ブルーモーメントの中で⑦

「き、期待ですかっ……あの、口元隠されると怖いんですけど」

「メニュー、少ないけど、きみのために用意したんだ。決めなよ」


 あ、はい。

 すっかり霧灯優衣ワールドだと思いつつ、野々花はまたメニューとにらめっこになった。


『これは、大きなお星さまからのプリン』

『黄色のお星さまからのチョコレート』

『蒼いお星さまが隠れたいたずらアイス』

『翠のお星さまが集まったにぎやかなゼリー』


 全く違うのに、メニューの中から、そんな声が聞こえてくる。あのメニューは、母親が作ったものに、結翔がこんぺいとうやドーナツを載せて、デコレートしたものだと後で知った。


「どうしたの?」

「思い出すんです。はは、星座繋がりでしょうか。こんな風に、お菓子作らせたなあって……今思うと、ほんっとわたし、我儘ですよね」


 黒歴史はたくさんあるが、一番の黒歴史は、「手術するからお菓子作って持ってきて」だろう。


(ああ、頬から不死鳥が……)


 でも、結翔も「ワロス、ワロス」なんて書いてるのだから、お互いに黒歴史かも知れない。思い出して、くすっとなった。

 

「生きていて欲しかったです」

「ののちゃん」

「いえ、これで終わりにします! わたしは霧灯さんを」


 口が開いた。野々花はまた「何でもないです」と言葉を引っ込めた。「こ、これにします」とプリンのデザートプレートを選んで、メニューで口元を隠す。


 これ以上何か言って、暴走羊が走って来たら、一緒に飛ばされてしまうだろう。美味しく食べて、笑顔でいよう。黒歴史はさておき、です。


「すいません。決まりました。Aセットと……クラブサンドセットで、珈琲はブラック」


 朗々とした声を聴きながら、野々花はメニューを思い出していた。

 まるで違うのに、どうしてあのデザートを思い出すのだろう。食べれば分かるのだろうか?


「しかし」静かになるなり、霧灯の唇が動いた。すっかり霧灯の暴走に身構えるようになってしまった。野々花はぎょっとした表情を向けているに違いない。

 目が瞠っている気がする。


「僕は、まさか、結翔本人だと思われているとは思わなかったよ」


 黒歴史、その二。


 黙って聞こう……。


「タイムトラベラーだったらいいと言ったのも違うからな。僕は、僕で良かったよ。ただ、二人とも、大切な人を」


 言葉を切った。


「失っただけに過ぎない。僕は、その傷の舐め合いが大嫌いだ。それははっきり言っておく」


 また言葉を切った。


「失ったものを探し続けていれば、現実が失われる。きみがどんなに重ねても、僕は僕である以上、きちんときみを好きになる。堂々といけばいい。そんな僕をきみは絶対に好きになる。現実を選ぶだろうと信じていた」


 ――唖然。


「わたしがお兄ちゃんを好きだって知ってますよね?」

「好きだった、だろ? なら今、目の前で君は誰と向かい合って、誰と未来を歩んでいるの? ののちゃん」

「……それは……」


 勢いと、熱さのこもった言葉に頬を熱くした目の前で、霧灯は顔色を変えずに、先に来ていた珈琲を煽った。


「僕だろ? はっきり言えばいいのに。いや、心に命令は出来ないよな」

「してます」

「そこははっきり言うとか……やっぱり僕はきみのような子が好きだよ」


 三回目。言われるたびに、胸が熱くなるのが不思議で、野々花は焦りながらデザートを待つ振りをする。それがやって来た時、どれだけほっとしたことか。


「おまたせしました。こちら、アレルゲンを考慮したメニューになります。成分表をお渡しします」


 場を詠んだタイミングで、野々花の前にプレートがやって来た。


 きらきらとした何かがかかっている。

 メニューは文字だけで、写真はなかった。よく見ると、見覚えがあった。


「これ、こんぺいとうだ」


 こんもりとしたケーキのうえに、色とりどりのこんぺいとうが並んでいるのだ。



(この、こんぺいとう……まさか)


「まさか、ここのお店に」


 振り返った野々花に、「結翔はもういないよ」と霧灯が声を掛けた。


「このお店は、以前、結翔が勤めていたんだ。ここで、彼はアレルゲンメニューを作って旅だった。きみのお母さんが知っていたんだよ。そのこんぺいとうは、ここのお店で扱っているって。ののちゃん、食べて」


 涙で、しょっぱくなりそうだった。


「ののちゃんのために、作って待っていたらしいよ。言っただろう、きみのお陰で、結翔は最後まで、らしく生きたって」

「スプーンが……もてない、です……」

「あーんして欲しいって? 嫌だよ。そういうの恥ずかしいから」

「ち、違いますっ……」


「食べなよ。やっと探し当てたんだから。作るのも大変らしいし。アレルギーって、過敏症って言われるけど、繊細なだけなんだって。今は、療法も変わって来て、一生懸命研究されているらしいよ。きみのような子供が、多く笑ってくれること。それが、最後の最期まで、結翔の願いになったんだ」


「お兄ちゃんの願い……?」

「読ませなかったんだけど」


 霧灯はあのノートを再び持ち上げた。「持ち歩いて読んでたから暗記しちゃったよ」


 持ち歩くほど、大切なのだと。霧灯らしくて、涙が出る。


「きみへのプレゼントを作っているうちに、変わっていく結翔兄がいるのを見つけた。すごく真剣に取り組んでいる。アレルゲンの研究とか、人が変わったように。その途中から、カウンセリングの記述がないんだ。治ったのだと思ったけど……」


 おずおずとスプーンを突っ込んでみる。とても小さなパフェで、甘味はないが、安心して食べられる。甘味は自然の甜菜で、野々花が苦手な糖質や大豆は使っていないからだ。


「美味しい」

「今は辛いだろうけどさ。身体は日々変わっているんだって。大人になっていったら、変わって来るよ。きみ、子供の頃はほとんどの物質に反応してたんだね。ここにしっかり栄養とか、貼ってあるんだ。「カウンセリングが嫌で、点数稼ぎ」なんて書いてるけど、違うな。きみのお母さんの字もあるし?」


 ――そういえば、母親も同じような道を選んだ。おかげで、野々花は食事に困ることはなかった。


 誰かに支えられて、色々なものを乗り越える。この、経験は大きい。こんな風に苦しんでいる子供は、たくさんいるだろう。もしかすると、野々花よりひどい状態の子供もいるだろう。


「ののちゃん。食べ終えたら、結翔に逢いに行こう。きっと、会いたがってると思うんだ。想い出になっても、消えないものだ」


 ――覚悟を決めた。


 多分、霧灯はそのために連れて来たのだ。だから、野々花も覚悟を決めなければ。


「うん、ちゃんと、手を合わせます」

「ののちゃん……」


 霧灯は驚いたようでいて、不思議そうな顔をした。この気持ちは、あの時と同じだ。


 検査が嫌で、逃げ回っていて、結翔が励ましてくれた。その時も、「のの、ちゃんと検査する」とようやく言えたのだ。


 その後は、逢えなくなったけれど、少なくとも両親の笑顔を護れた。そして今、やっと見たかった霧灯のきょとんとした顔を見ることも出来た。


「ありがとう、霧灯さん」


「お礼は、レシピを残した大好きなお兄ちゃんに言いなよ。ちゃんと手を合わせて。結翔はね、「みんなのいえ」に眠っているよ。あの後、きみの家族がいなくなった後――」 


 霧灯は何も言わなかった。

 野々花も、何も聞かなかった。


 ただ、やっとめぐりあった同じお菓子を、今日見つけた未来と共に、涙をのみ込みながら減らしていく。霧灯はただ、野々花の泣きじゃくる顔を見ていた。好きなだけ泣けと謂わんばかりに。

 

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