*第五章ー7❇︎一番起こしたかった奇跡は

*2*


「……部員、来ないな」


 相変わらずの閑古鳥。天文部は今日も五人の同好会活動である。


「配信、いつですか」


「生徒会執行部が決めてる。企画は出してみたけど、通るかどうか。それに、生徒が学校ちゃんねるなんか、見ると思う? 僕は見ない」


 霧灯は変わらずの口調で告げると、ふ、と息を吐いた。野々花は霧灯が少し後悔しているのではないかと気が付く。あの女の子たちが入ってくれたら。どこかでボタンを掛け間違えて、あの子たちを遠ざけてしまったのではないだろうか?


「あたし、もうちょっと友達やクラスメートに声、掛けてみます」

「無駄なことはしなくていいよ。この間の……」


 霧灯は何かを言いかけて、「いや、なんでもない」と口を噤んだ後、野々花の前の日が良く当たる椅子に座り、窓に肘をついた。

 さわさわ、と春の風が舞い込んでいる。

 校舎のガラスに、微妙な距離の霧灯と野々花が映った。


「――椎名に、誘われたんだけど」


「はい」


 ずっと言いたかった言葉を見つけたらしい。霧灯は男の子にしては大きめの目を細めて、陽射しに顔を向けた。

 陽射しが輪郭を緩く消していく。


「ヒトって、一緒にいると、犯罪者でも何でも、恋してしまう生き物なんだって知ってるかい?」

「あの」

「何でもだ。愛に飢えた化け物……なんてね」


 何が言いたいのだろう。野々花は「知りませんでした」と答えてみた。霧灯が何を言いたいのか、さっぱり分からない。


 この話題はあまりよくなさそうだ。野々花は身じろぎをして、立ち上がろうとした。目の前に拳が降りて来た。さほど強くはなかったが、握りしめた霧灯の拳は痛々しいように見える。


 机をへこませるつもりなのか。それとも、野々花をへこませるつもりか。たらり、と冷や汗がコメカミを降りて行った。


「僕が椎名に恋するかも知れないって話だ。きみは返事はののの、ノーだと言っただろう」


 ――雰囲気が怪しくなってきた。野々花は本気で困惑して、指先をうりうりとこすり合わせてみたりする。


「なんてね」霧灯は軽くいなすと、椅子に座り込む。唇を撫でる仕草が色っぽく見えて、野々花は目を擦った。暴走羊のわりに、霧灯は艶めくときがある。


「さすがの僕も、きみの頑固さには負ける。……ノートが切り札だったのに、それも使えないとは思わなかったよ」


「切り札、ですか」


「きみの心から、臆病者を追い出す方法として――」


 霧灯は悔しそうに告げて、拳を握ってみせた。

 野々花は霧灯との距離のずれを感じた。「いやだ」と言った自分と、霧灯。


 歩き出したいのに、野々花が立ち止まるから、霧灯も立ち止まる。永遠に同じ距離が横たわって行く。


 多分、野々花が歩み寄らない限り。結翔の手を振り切って、走り寄らない限り。


「またそうやって落ち込むんだから」

「落ち込んではないよ。ただ、僕はあのノートを見つけて、そこに書かれていた女の子に恋をしたのだと思った。あまりに結翔が愛おしそうに書くから。どんな風に育ったのだろうって。そうしたら、まさかの同じ高校にいるんだから」


 霧灯はふわり、と微笑んだ。


「奇跡はあるのかも知れない。そう信じようと思ったけど、やっぱり奇跡は僕には似合わなかった。一番起こしたかった奇跡は、きみに僕を好きになって貰う事だったんだ」


 ――心に命令は出来ない、な。

霧灯の寂しそうな言葉と、口調が不死鳥のように甦る。


(奇跡は、あるかも知れないのに)


 あまりに目の前の霧灯が寂しそうで、野々花は思わず口走りそうになった。もう、結翔の想い出は終わってしまったのはとっくに気づいている。それは、霧灯のほうが生々しいからだ。結翔はどこか、ガラスの人形のようだった。

 あまりに現実を知らな過ぎて、夢や憧れ、というのも違う。

 想い出でしかないものを探しても、想い出には手は届かない。野々花はそれを、あのノートで知った気がした。


 それなら、近くで手に触れて、感じられる相手のほうが、よほどいいと。


「――ののちゃん?」

「……ううん、なんでもないです」


 キミはもっと、我儘でいい。霧灯の言葉はどうしても野々花を泣かせようとする。今更霧灯の言葉を理解するなんて。


 我儘なら、「やだ、あたしを好きって言ったじゃん」とか「やだやだ、行かないで」とか言えたのだろうか。


 ……あたしには、無理だよ……。


 野々花は精一杯の笑顔を作った。散々迷惑をかけて来た。そんな野々花の選択肢なんてたかが知れている。


「椎名さんと、案外お似合いかも知れないですよ」

「そう?」


「ヒトって、愛している人より、愛される人と一緒のほうが幸せって言うじゃないですか。椎名さん、霧灯さんのことをよく見てる。お菓子だなんて言わないし、きっと」


「ののちゃん、嘘、下手過ぎ」


 見ると、霧灯は男の子なのに、目元を濡らして、野々花を見詰めていた。


「そうしてると、世界がこぼれますよ。昨日のわたしみたいに」

「ふうん、泣いたんだ。あんなノートを読ませたからか」


 結翔のノートのことだ。あまりに暗黒なカレの本当の叫びが詰まっていた。

 人は、想いをこの世に残せる。書いて、伝える。それだけで。


「――はい」


 本当は、違う。野々花は霧灯を想って涙を零したのを自覚している。でも、それを霧灯に伝えるべきじゃない。


 椎名の勇気の邪魔はしたくない。誰の邪魔も、しちゃいけない。


 だから、霧灯に伝えるべきじゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る