*第五章ー4❇︎霧灯の有刺鉄線

***

「で、あんたはどうしたいのよ。思い出しても腹立つな。あー、寒かった!」


「ほ、ほら、紅茶淹れましたからぁ……別に示し合わせたわけじゃなくって」


「霧灯の夢みて、早起きした。何度も聞いたよ。耳にタコ」


 ランチタイムである。「今度お昼でも」の言葉の通り、朝を経由した数時間後、野々花と椎名は部室でランチマットを広げ始めたところだった。


「どうしたいって」


 椎名はフォークを持ったまま、肘をついて、目を座り目にする。


「霧灯よ。好きって言われて、モテ実感で、ご満悦で放置かよ、そんなら最低なんだけど」


 少々口の過ぎる姉御モードに、野々花はもぐ……と野菜を口に放り込む。 


「砂葉さんには、言ってないんだけど霧灯さんは……」


「え? まさか、霧灯以外にも告白されたとか、そういう話? あんた薄幸の美少女っぽいから、男子ド真ん中ってやつかしら」


「違うよ!」


 思わず反論して、野々花は視線をトマトに向けた。つやつやのあめトマトを抓んで、また口に放り込む。


「トマト食ってからでいいよ。霧灯のこと、どうするの?」

「霧灯さんみていると……」

「見ていると?」


「なんか、子犬っぽいなって」

「なんですって!」


 椎名の卵焼きがぽろりと落ちた。タマゴを避けている野々花のお弁当に比べて、椎名のお弁当は色とりどりだ。それだけは羨ましくて、母親に三日に一度、食べられないけれど、色とりどりのおかずを入れてもらう。でも、結局ラップに包まれていて、見栄えだけのお弁当だ。


「呆れた。あんた……中身が育ってないのね小学生か。なるほど、霧灯のやつはそこを利用してんだわ。こすいやつ。ののをからかってる。霧灯が哀れ過ぎるわ」


 椎名はぶすりとハンバーグを串刺しにすると、組んだ足を組み替えて、ばくんと口に放り込んだ。


「霧灯の話、しとく。あいつ、この部室で揉めたって言ったでしょ。一定の、距離って分かる? 人と人のラインね。上下関係や、横関係、人はこのラインを保つことで、関係を維持するわ」


「うん? 霧灯さん、ラインなんか挽いてなさそうだけど。ウエルカムな気がします」


「逆よ。霧灯は有刺鉄線で自分を囲ってる。道化よね。明るい振りで、みんな騙されているけど、本来はラインを超えるのが怖いのよ。臆病ものの虚勢」


 言うだけ言って、椎名は淹れたての紅茶を啜った。


「でも、あんたにだけは、違うのよね。今朝も驚いた。のの、ありがとうね。霧灯の笑顔が本物になって来たのは、あんたのおかげだわ」


 椎名は告げると、遠い目をした。


「全く、嫌になるほど、好きんなってんだから。目の前で「気持ちに応えられない」なんて言われても、動じない。この恋、どうすりゃいいのかしらね」


「わたしは、霧灯さんの良さが分かりません」


「だから、かまちょするのよ。あんた、霧灯の良さなんか知ろうとしないから安心して。ねえ、のの。このままじゃ、あたしもあんたも、霧灯の有刺鉄線で傷だらけになっちゃう」


 野々花は椎名の話を黙って聞いていた。椎名のいう、有刺鉄線の中に、霧灯が立っているイメージがぼんやりと浮かぶ。多分、自分で囲ってしまったのは、自分の激しさを知っているからだろうと思う。とするなら、どうして霧灯は有刺鉄線で囲ってしまったのだろう。


 こんなところで結翔を思い出す。

 なんとなく影を追っている気がするのだ。


「話を戻すわ。そう、部員の一人と揉めて、暴言を吐いてしまった。ささいなことだったけど、霧灯は、ついでに自分を慕っていた人間全員を拒絶した。暴走羊の本領発揮ね。そこで、わたしが采配するしかなかったのよ。ワルモノくらい、なってやるわ」


 野々花は先日、女子を罵倒した霧灯を思い出した。容赦がなかった。霧灯の中は、敵か味方かしかないのだろう。博愛主義? 確かにエイプリルフールに生まれただけはある。


「見ました。冷やかししたクラスメートを怒鳴りつけました。相手は女の子なのに」


「正義感が間違った方向に行ったのよ。……懲りないやつ」


 椎名は涙目で野々花を見詰める。


「あいつは、雲の上で、柔らかく寝ていればいいのよ。暴走した悲しみの怒りなんて、似合わない。あんたが、霧灯を犬にみてるとは思わなかった」


 ――だって、なついてくるんだもの。


 犬でも、狼でも、猫でも。ともかく、霧灯を人だと意識するのは難しい。どうしても結翔と比べてしまう。『ののちゃん』と呼ばれる度に。しかも、霧灯の優しさは、優しかった結翔に紐づいているから、野々花は知らず、悪人になっている気さえした。



 ――お兄ちゃん、ひとりで逃げないで。



 霧灯を見ていると、つい、口に出そうになる。だから、「かまちょ」くらいでちょうどいい。じゃれて、笑って、それでいい。


「霧灯さん見てると、辛いこと、出て来ちゃうから」


「初恋の相手が、霧灯に似てるとか?」


 鋭い。全部話すと、結翔の本心まで語ることになるので、野々花はこくんと頷いた。勘のいい椎名は、さらに声を潜めて来た。


「もしかして、……あんたのその相手、霧灯、知ってたりする?」


「はい」


 しばし、例えようのない空気が通り過ぎた。


「決めたわ、あいつの有刺鉄線引きちぎってやる」


 椎名は目を輝かせた。


「あんたが、霧灯を恋の相手としても、男の子としても見ていないのが分かった以上、わたしが手をこまねく理由はない。わたし、霧灯と出かけたことなかったのよね。誘うことにする。いいわよね?」


 青天の霹靂とはこのことだ。野々花は強い椎名砂葉に答えることが出来なかった。普通、「気持ちに応えられない」と言われれば諦める。椎名は逆だ。


 ぽっかりと胸に穴が空いていることに、今更に気が付く。



 いつ、開いたんだろう。こんな穴.....。

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