*第四章ー7*天文部のとある事情

***


「あの、椎名さん」


「そっち、緩んでいるわよ。あんたの性格を表してないで、まっすぐにして」

「らじゃっす。女王様」


 三脚前で仁王立ちになっている椎名に、野々花は声を掛けた。椎名は男子二人とセッティングに余念がない。


 それは、ふつうの椎名だが、どこか、無理して見えた。ショックを受けないはずがない。あんなに霧灯が好きなのに。どうして、そんなに強いのだろう。


「あたし、ちゃんと断るから」


「あんた何を言ってるのよ。さっきから」椎名は告げて、くるりんと振り返ると目を細めた。


「終わったら、甘いモノでも付き合おうか? わたし、あんみつなら食べられる」


「あ、わたし、寒天食べられなくて」


「何? あんた、アレルギー? じゃあ、後で食べられないもの教えておいて。出かける時に調べるから。それにしても、霧灯を振るなんて勿体ないわぁ」


 衝撃だった。野々花は、てっきり、椎名が烈火のごとくの怒りの大魔神になると思っていた。

 しかし実際の椎名は会話を怒るどころか愛しんでいる。


「あたしの好きな霧灯のどこが不満なのか、聞きたいわね。明日、ランチ一緒にどう? ほらぁ、曲がってるってば。で、あんたは準備しているの? 霧灯! 邪魔するような告りはすんじゃないわよ」


「手厳しいな、きみは」


「当たり前でしょ。あんたはかき乱すのが趣味なの?」


「穏やかなほうがいいに決まってる」


 ――あ、戻った。やっと優しい笑みになった霧灯に、唸るのを止めた。


「あんたが穏やかにしないんでしょ。のの、そこの狼は相手にしなくていいわ。あとで、お説教よ、霧灯」


「僕はそろそろ帰ろうかと」


「――あっ、待ってください! 帰る前に!」


 痴話げんかをとりあえず銀河の彼方に送り出して、野々花は父親と母親に相談して気が付いたことをまとめたレポートを取り出した。



***


「天の川を走らせる? オーロラみたいな感じで?」


 テーブルには、麦茶と、クッキー。それに、野々花が持参しているそば粉ガレットが並んでいる。


「調べると、春の星座の夜空って天の川の近くで……そのせいで寂しいんです。ちょうど、駄目にしちゃったスクリーンを繋げると、河みたいに見えて」


 野々花はテーブルにアクリルシートを並べてみた。確かに、いびつではあるが、曲線沿いにホワイト塗料が飛び散っている。


「これに、椎名さんが買ったLEDライトをプリズムに当てたら、綺麗になりませんか」


「あら、わくわく」


「うん、重ねることばかり考えてたけど、確かに時間律を考えると流すのもありだね。アニメーションぽいけど」


「あら、そのほうが派手で好きよ。ののが考えてくれたなら、やってみたいわ」 


 いつのまにかののと呼ばれている。嬉しさで頬が緩みそうだ。


 野々花の提案はさっそく実験に入った。


(うーん、思っていたのと、違うなあ……)


 もっと、華やかになりそうな感じだったが、脳のイメージに限界があるのだろう。

 言ってみれば凡だ。


「いい案なんだけどな。もっと、こう……」


「いっそ、ビッグバンのCGでかぶせる?」


「やめてくれ。趣旨が変わってしまうだろ」


 思った以上に寂しくて、やはりせめて12星座くらいは書き足すほうがいいという話になった。やっぱり、春の星座より、冬のほうが良かったのだろうか。冬は大きな一等星が目白押しだ。その上、12星座ではない星座の数も多い。

「アンタレスと、オリオン座、シリウスには勝てないな。ほら、またきみの星座」

「……わたしのも、ですか」


「当たり前でしょ」


「でも、ちょうど大曲線の……」


「ののちゃん、もごもごしていると、また狼に食われちゃうよ? 今度はどこかな」


 狼の本性の人が言うか? 台詞に、野々花は目を剥いた。


「霧灯。いい加減ののをからかうのをやめなさいよ。あたしのシャツのクリーニング代出してよね」


「お安い御用だ。来月の小遣い日は20日だからそれまで待ってくれれば」


 そんなやりとりを視ながらも、野々花はうー、とげっそりしながら、上手く隠した抜けた星座に筆を置いた。


 スクリーンに映すための塗料は、一度乾くと修整が出来ない。ただ、乾くととても綺麗に輝く。


 でも、どうしても、自分がこの星座だというのが……。


「手伝おうか? ののちゃん」


 ――びくっ…… 霧灯の声に手が震えて、野々花はじいっと霧灯を睨んだ。優しさの後ろに「へっへっへ、今度はどこを食べましょうかね」という狼が見える……。


「いいです。あの、あっち行っててくれると助かります。もう、わたしもぎゅとかしませんから」


「それは残念。はいはい、叱られ狼はベランダにいますよ」


「霧灯、あんたまた」

「もう先生の説教は懲りたよ」


霧灯は口元に何やらあてがう真似をすると、本当にベランダに出て行った。


 ――なんだ、全然結翔お兄ちゃんとは違う。なんで間違えたり、タイムトラベラーなんて思ったんだろう、あたし。


 雰囲気はまるで似ていない。それに、あの少年はきっともっと大きくて、もう大人なはずだ。何か勘違いし過ぎ。


 ちらちらとベランダに目を向けるせいで進まない。野々花はすっくと立つと、カーテンを引いた。それでも時折入り込む風が、「そろそろ霧灯をどうですか」とばかりに霧灯の姿をチラ見せさせる。


「元不良のベランダ小僧は放置しましょ」と笑いを堪えた椎名が号令をかけた。後で、休憩になって、椎名は鈴木に命令して、パックのジュースを買いに走らせた。


「のの、飲めるものある? ええと、果物は平気よね? カフェオレはあたし」


「あ、大丈夫です。これ、戴きます」と水玉模様のジュースを手に、野々花はちらっとベランダを目にする。椎名の霧灯を窘めている場面を思い出した。


「霧灯さん、部活で何かあったんですか」

「何があったもんじゃないわよ」


 ちら、と霧灯を伺い、椎名は息を吐いた。


「部員にキレて、早々に見つかったの。未遂だったから、活動停止で済んだけど、三年生は逃げるように辞めたわ。巻き込まれたくないって。昨年の文化祭前ね。それで、天文部はイベントが出せなくて、また部員が止めて、残ったのは、霧灯狙いだけ。霧灯は、あの容姿でしょ。だから、飾りもののように言われるけど、中身は情熱のかたまり。暴走すると手がつけられないのよ。特に、中身を無視されると顕著に出るわね。正義感で燃えるのよ」


「ああ、だから三年生がいないんですね」


――内申ヤバいし。そんなことを、女の子たちも言っていた。「もめごとばかりで悪かったな」とも。霧灯の言葉尻は強いから、どうしても諍いになりやすいのかも知れない。


「外見しか見ない低能な女に、へりくだることなんか憶えなくていいんだ。本当に尊敬する相手が見えなくなるからな。行こう、須王」


 あの時、霧灯が「そうかい。じゃあ、僕を食べにくる?」なんて台詞を口にしたら、野々花が怒ったかも知れない。


 毅然と女子を糾弾し、自分の主張を通す。ちょっと、かっこよかった、かも。 


「椎名さんが好きな気持ち、分かります」 


 椎名は「あら」と嬉しそうに微笑んだ。野々花は顔を上げて、意気揚々と語る。


「霧灯さんの、強いとこを見てるんですね。さっき、尊敬する相手が見えなくなるからへりくだるなって」


「無駄なプライドだけどね」椎名は笑うと八重歯が見える。今はなんだかんだで一番話しやすい。それにしても……。


 ふたりで、ベランダを同時に見た。


「いつまでベランダにいるつもりなんでしょうね……あの人」


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