*第四章ー4*互いに困惑する恋なんて

 有無を言わせない強さの獲物を狙うような眼光と、口調に挟まれて、野々花は目が勝手に進むくらい、前のめりになる。


 くっと霧灯の口元が緩んだ。いやだ。霧灯が獣に見えてくる。自分と違って力強く骨が浮かぶ手にたらりとしながら視線を向けた。

 続いて水が溜まりそうな鎖骨と筋張っているけれど頼れそうな骨格....


「ののちゃん?」


 少し出しにくそうな低い声。何かに似ている。狼だ。食べられちゃう!


「コミカルな表情だね」とやがて霧灯はぱっと手を離してくれて、野々花は倍の距離を取った。


 ――心臓は、ちゃんとあったが、確かにドドオという音がする。


「そんなに飛びずさることないと思うけど」


 

「お、狼さんです! あ、あたしあかずきんちゃんの気持ちになりますよっ」


「狼? 僕が? それはどういう」


「腕とか、手とかがごつごつ! 仔羊だます、狼の手です! ゆ、ゆいとおにいちゃんは」


「いや、同じようなものでしょ。同じ男でアプローチが違うだけで、ベッドに居るあかずきをがっつくつもりだったかもしれない。でも、君を食べちゃったら、君がいなくなるから、食べません」


「さっきは女の子に「僕はお菓子じゃない」とか言ってたくせに!食べるってへん!」


「美味しく食べて欲しいからな。僕は暴れて逃げてる間に美味しくなるんだ」


(も、もうっ……! 何を言っても……!)


 言葉が出せない野々花の肩に、霧灯の指が触れた。(今度はなんだ!)と目を瞑る野々花に、髪がいじられて舞い降りるかすかな音がする。


「今日は、外に跳ねてるんだ?」


「こ、これは寝ぐせで……! 霧灯さんのせいだからあっ!」

「へ? 僕? ああ、じゃあ、お詫びしないとだめかな、ののちゃん」


 ぴょこりん、ととがった耳が見える(野々花の妄想)。目の前で、霧灯はちらっと舌で上唇を舐めて見せた。


「きみがゆっくり眠れますように。――☆」


 ふいっと何かが頬に触れた。頬から小さな♡が跳んだような。頬から頭のてっぺんから、野々花の顔をした不死鳥が大量に飛び立ち、銀河を超えて、すぽんと帰って来た。


「む、む、むと……っ……いま、何……」

「頬キス。そのくらいならいいよな」


「ほ、ほお……っ……」


 野々花の頭にはもう言葉は一つしか浮かばない。差し詰め、「霧灯さんのばかあああああああああ!」である。


 ――信じられない! 好きとか多分好きとか! ああ、でも、お怒り羊はお帰りになったのかな?


 普段の霧灯からは想像もできない。あの、怒りようは怖かった……。


(やっぱり、違う! わたしは優しい人のほうが好き。あんな風に怒られるのいや!)


 部員のことは、いちからやり直そう。そんな落ち込む暇もありはしない。霧灯の言葉に、指先、これじゃ、遊ばれているみたいだ。まだ、結翔を重ねて恋したほうが……。



 ――もう、重ねられないよ。



 もうすぐ入学して二か月。そう、霧灯との時間が過去を追い越すのもまもなくだった。結翔とはほんの2ヶ月。もうすぐ霧灯との時間のほうが長くなるーーー



***


 野々花が走っていったあと、霧灯は、影で見ていた女の子たちに気が付いたが、何も言わずに踵を返した。小さな「ごめんなさい」は聞かないふりして。


 やっぱりつま先を向けたが、走って行った野々花への心配が勝った。多分、野々花は椎名に告げ口して、また怒鳴られる。


「そろそろ椎名も、何とかしないと」


 ――現れた、ボロボロの星座盤を抱えた、かつての女の子。ほんの出来心だった。


 負け犬の恋の代理をやってやろう、なんて人生を差し出せるほど、霧灯優衣は優しくない。


 純粋な興味だ。そのはずが、上を行く純粋さに口走った自分の負けである。


 一度恋をすると、止め方が分からない。こんなに困惑する恋は初めてだった。

 それも互いに困惑している。


 今もなお、須王野々花にひたむきに、思われている過去の結翔に嫉妬して、どうするのだろう。


 早く事情を説明して、諦めさせる?


 ――あんなに、こんぺいとうを想っているののに? 言えるのか。



「やれやれ。また遊んじゃった。なかなか、言い出せないのは、きみのせいだ」


 呟きは人知れず消えるのだった。



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