*第三章ー5❇︎生きたカケラ一筋の涙

***

「じゃあ、校門を出たところまで送る。アクリル板、何とかしないとだから、しっかり休んで」


「はい」


 小脇に抱えたアクリル板は、掲げれば夜空に重なって綺麗だった。しかし、本来予定していた枚数の30%を失ってしまって計画は難航する一方だ。


 野々花はぎゅうっと板の入ったケースを握りしめる。薄いシートは、くるくる巻かれて、筒状のケースに収められていた。


「部員、戻ってこないのかな」

「椎名も反省してるけど、そうそうはね。気に入らないものを追い出していたら、結局は独りきりになってしまう。愛おしいモノが遠ざかると分かったなら良いけどね」


 こういうところが結翔とは違う。容赦がない。でも、考えれば、霧灯の言葉は正しい。

 世界から逃げたがった結翔の影が薄くなるほど、霧灯の言葉は生命に溢れて、強いのだ。その霧灯に、どうしてあの儚そうな結翔が生きているかどうかなど聞けるだろう。聞くのが怖い。でも、逢いたい。想いは霧灯を通して、募るのだ。



***



 多分、今日も泣くだろうから、まくらにタオルを巻いておこう。洗面台のストッカーから、洗い立て、乾燥仕立てのふわふわタオルを手にしたところで、リビングから声が聞こえて来た。


「ののなんだけど」


 両親は、よく野々花の話をする。二人の子供、という感覚で。それは「のの、大変だけど頑張ろうな」と言ってくれたパパとママの時から変わっていない。

 大人が、子供を思いやる優しさは、くすぐったくなるほどで。


「あの子、最近泣きながら寝るのよ、どう思う? パパ」


(どき)


 確かに、野々花は最近泣きながら寝ることが増えた。椎名や、霧灯、それに結翔が夢に出て来ることも多い。


「学校で何かあったのかしら。先生に聞いてもらおうかと。あの子、にこにこしているだけで、何も言わないのだもの」

「……いじめられてはいないそうだから、大丈夫だよ、ママ」

「でも、療養のあとがあったでしょ、パパ。人はやっぱり、ハンディキャップがある人には冷たいのだわ。わたしも、そうでしたから」

「ママ」

「野々花のアレルギーは、わたしのせいだわ。あなたに申し訳がない。野々花にも」

「疲れているのかい?」


 聞こえて来た両親の心配そうな声はあまり聞きたくない。


 このまま、寝るわけにいかなくなった。野々花は部屋着に薄手のパーカーを羽織ると、リビングに顔を出した。

 要は、野々花が何で悩んでいるかを打ち明ければいい。変な憶測よりいいだろう。


「のの」「パパ、ママ、どうしよう」とアクリル板と天文部の話をしてみる。母親がココアと野々花用のクッキーを添えてやってきた。


 ――泣いている理由は言えない。野々花は本当に欲しいモノを今日、知ってしまった。

 皮肉にも、霧灯の告白は、野々花の心を揺さぶった。わくわくと病室で結翔を待っていた。美味しいお菓子をほおばって、声が聴ける時間は胸に降り積もって勇気になった。


(あたし、今頃気づいたよ。おにいちゃんに恋してた)


 霧灯の言葉は、合っていた。霧灯自身が見える日は、来るだろうか。それなら、いっそ忘れたらいいのだが、天文、の繋ぎで、どうしても結翔を思い出してしまう。


 あの日々は、野々花の宝物で、心の支えだったから。


 ――逢いたいよ、結翔お兄ちゃん……その気持ちは恋に育ってしまったよ。


「のの、天文部に入ったの。でも……」

「うん? 天文部が無くなりそうで? ああ、それで泣いていたのか、のの」

「まあ、それは……ママにも出来ることある?」

 ふたりは真剣に聞いてくれたけれど、泣いている理由は違う。でも、言えないから、心配を明らかにしてあげる嘘しかできない。


 野々花の過去は、もう口に出さないほうがいい。どれだけの苦労をさせたのか、育つごとに身に染みる。


 蓋をしているけど、野々花ももう、大人への階段につま先が触れそうだ。


 ――この世界から逃げたいと願ったなら、有り得ない話じゃない。


「――うん、でもいい先輩たちがいて、毎日楽しいよ。でも、ののが、ののの星座が嫌いなせいで、ダメにしちゃった。みんなに悪いなあって」

「見せてごらん」


 仕事で疲れているよね、パパ。ママも勉強で大変だし、野々花の料理に何時間もかけているのも知っている。それでも、二人は話を聞こうとする。


 ――アレルギー克服には、家族の想いが一番。


 野々花は騙すようにして説明を被せた。

被せたのだ。


 結翔の生きたカケラを隠すようにーー

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