*第二章ー3❇︎こんぺいとうの代役?
椎名は目の前で瓶のふたを開け、中身を池にばらまき、池に空瓶を投げ入れた。
頭上でこんぺいとうが砕けて舞う。
遅れて瓶が水面に落ちる音。
世界に取り残される気分はまさに今かも知れなかった。
「いやなら、天文部を辞めていいわ。憎むならご勝手に」
きつい一言と、愕然とさせられた疲労が、野々花の足を震えさせる。砂地に足を付けた野々花に、椎名は吐き捨てた。
「綺麗過ぎるものも、滑稽なものも嫌いなのよ、みじめで目も充てられない」
「ひどい」
野々花は俯いて、砂を握りしめて、椎名を見上げる。
「どうして、こんな」「そのくらいすれば、天文部の継続はないでしょ。あんたが続けさせちゃうかもしれない」
――継続させたくない。椎名は、野々花が次の天文部を作ることを恐れている。
「無くなればいいのよ、そういう場所は。そうすれば霧灯だって前を向くわ、こだわり過ぎ! いつまで、道化やっているの……」
きらり、と光る目元に気が付いたところで、椎名は「今日も活動停止ね」と霧灯に告げて、去って行こうとして。
「無灯」
霧灯は足を止めると、椎名を見ずに告げた。
「きみは最低だよ」
履いていた靴、靴下、それにブレザーを脱ぎ捨てた。走りながらネクタイもぶん投げて、シャツの腕をめくる。
「霧灯! 何月だと思ってるの!、やめなさいよ!」
金切声に顔を上げると、霧灯は裸足で池に飛び込んだところだった。
「あんたのせいだからね!」
椎名は一瞥すると、「見てられない」と視線を逸らせた。飛び込んだ霧灯は、藻だらけの水面をかき分けて、瓶を掴んだところだった。
水が入れば沈んでしまう。そうなれば、この暗い池で見つかるは難しい。浅瀬だが、広さがある。溺れることはなくても、危険だ。
「霧灯さん! もう、いいですから! 池は危険です! こんぺいとうは」
野々花は強く目を瞑った。諦めるなんて口にしたくない。空気を振り仰いだが、そこにはもうかけら一つ見当たらない。
代わりに野々花の水滴が舞い散っている。
「あったよ」
無灯はまだぷかぷか浮いていた野々花の瓶を手にすると、庭石に手をかけて。ざばりと上がって来た。
「大切な想い出なんだろ。聞いたからには、放置しないよ」
「――勝手にすれば!」
最後まで女王口調を貫いた椎名は堪え切れないのか、踵を返し、野々花は慌ててずぶぬれの霧灯に駆け寄った。
「ヘドロが……まあ、五月だし、当たり前か」
ぶるぶる、と頭を振りながら、「割れてないかな」と瓶を返してきた。リボンが外れそうになってはいるが、丈夫なガラス瓶のお陰で、ひびはない。が、中にはおたまじゃくしが……。
「きみにはお帰り願おう。星のこんぺいとうの代役には不向きだ」
「お帰りください」と瓶を逆さにすると、おたまじゃくしは「人騒がせな!」と言いたそうに池に飛び込んで、スイーと泳いで見えなくなった。
「さすがに、おたまじゃくしはないか。あ、あはは」明るく霧灯が笑う。
「う、ふふ……」野々花も少しだけ笑うことが出来た。
「こんぺいとうの代わりは無理だな」
気にもしないような霧灯に、野々花は勢いよく頭を下げた。その頭を少し濡れた手が撫でる。
(ののちゃん、頑張るんだよ)
結翔の時と同じ。胸があたたかくなって、なんでもできる気がした。結翔から星座や天体、夜空を説明されるたび、野々花の心の部屋はどんどん広くなっていく気がした。
「おたまじゃくしのおかげで、気が晴れたね。空も見事な夕焼けだ」
「はい」
夕陽が当たって、霧灯の髪がオレンジに輝いている。それだけではない。横顔の透明な感じも、全て、昔と変わらない。
――こんなにも変わらないなんて、やっぱりタイムトラベラーなんじゃ……。
「ん? 何? ののちゃん」
背の高い霧灯が振り返ると、伸びた影が野々花に届く。霧灯はシャツをはためかせながら、空を見上げていた。
「何か、理由があるのかもな……ここまで出来るとなると」
椎名のことだと分かる。野々花には椎名の目元がちらっと光って、小さく頬を流れたのが見えていた。
ジレンマ、というのだろうか。生死をさまよった……とは言い過ぎだが、検査を嫌がった野々花には覚えがある。
散々両親を困らせて、困らせて、最終的には困らせるのが嫌なことに困って、一歩を踏み出した。椎名のやっていることはまるで違うのに、野々花の過去を突っついてくる。野々花は少しだけ、同年代の友人よりもたくさんの何かを手に入れたらしい。
「ともかく、部室に戻……っくしょい!」
ずぶぬれで風に晒された霧灯がくしゃみを弾き飛ばし、野々花は慌ててハンカチを差し出したが、霧灯は断って来た。部室にタオルがあるから、ということで、戻ることになった。
こんぺいとうは完全に無くなったーー。
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