*第一章ー3❇︎おんぼろの天文部
*2*
野々花は廊下をとぼとぼ歩いていた。小学生時代とはいえ、療養で二年間の遅れをやっと取り戻せたのは、父と母の渾身の教育のお陰で、野々花自身も努力して、中学までに知識を取り戻した。
それでも、野々花にとって、歴史と社会はまだまだ天敵だ。あと、英語も。
「ヒトより倍、やらなきゃだめだ」
――結翔と絶対に頑張ると約束して、こうやって元気に生きている。過ぎらないはずがない。お兄ちゃんも元気だと信じてここまでやって来たのに。
“ぼくはタイムスリップしていたんだ”とか、明るい話にはならないだろうか。
あるわけがない。過去と今は繋がっていて行き来などできないはずだ。
世界は広いだけじゃない。きっともう一つの言い方があるはずで。
頭から湯気が出てきた。学校が貸し出したモバイルの地図を見ながら、天文部の部室にたどり着いた。迷う必要はなかった。廊下に大きな土星のつくりものが下がっているのを目にするなり、不安は吹っ飛んだ。しかし、不安が募って来た。
「随分、手作りの……」
みんなのいえ、を思い出す手作り感。しかし……輪っかは撚れているし、色も剥げて来て、括らないと廊下を歩けない。みれば、そんながらくた? もどきがいっぱいだった。
「惑星が多い。……星座、ないのかな」
野々花が好きなのは星座だ。星でも、もっと小さいほうがいい。地球より、夜空がいい。そんな想いで見渡すと、星座盤に似た、大きな天文図が貼ってある。
(そうそう、こういうの。理科の教材かな)
星座のシールドが廊下に貼ってあったが、こちらも端っこは朽ちているうえ、陽に当たって焼けている。しかし、肝心の天体図はデザインチックでたちまち世界が広がるスケールで描かれていた。塗料が剥げてはいるが、キラキラしたラメの類で描かれている。
誰が描いたのだろう。想いが伝わって来るようだ。
うずうずとしたところで、ドアが開いた。
ニーハイの似合う女子が、「何の御用」とばかりに本を片手につんけんと眼鏡を押し上げて見せる。
「行ったり来たり。あやしい動き。こっちからは丸見えなんだけど。入部希望?」
上級生は苦手だ。野々花は畏まった。
「あ、はい。廊下に星がいっぱいで」
「当たり前でしょ。ここ天文部よ。部長の椎名砂葉。二年生。あれは捨てられないごみよ、分別しにくいごみ」
つんとした口調に、何やら見定めるような目。すらりとしたお嬢様テイストの容姿に、黒髪はゆるカール。短めのスカートに、ニーハイソックス、上履き踏み潰しの少女は怪訝そうに眉を下げている。
「あ、須王野々花です」
「ののか? 変わった名前。ふうん、野原の花?。ああ、あの道路の隅っこでちっちゃく咲いてるやつね」
(それは雑草)とは言わずにおいた。
小さくてもいいじゃないか。一生懸命咲いてるんだから。砂浜のようなさらさらした名前だからって。
お腹でわめいているうちに、気が収まった。ひとはひと 自分は自分。小さい名前が好きだからそれでいい。
「入部希望者、やっと一名よ、霧灯。小さいのが来たわ」
ふいっと呆れたような冷淡な口調に、野々花はまた泣きそうになったが、部屋に大きく貼ってあるドームを見るなり、また気を取り直すことができた。
「プラネタリウムのオンライン勧誘の準備よ。霧灯、もう諦めなさいよ。わたし、帰るからね」
鞄を掴むと、「あんたもこんな問題だらけの貧乏部への入部なんかよく考えたほうがよくてよ」と椎名は去って行き。
「手厳しいな、うちの女王様は」
隠れていたらしい、ドームからぽこぽこと顔が見え始めた。
「あの性格が、女子を減らすんだよ。文句も言えないけど」
「そうだよ。もっと、可憐な……おお!」
たちまち二人の男子に囲まれて、野々花は仰天した目を向ける。「おい、作業投げだすな!」と声。腕まくりした腕に、金づちを持った手が崩れかけたドームからにゅっと出て来て姿は男の子になった。
霧灯優衣だ。野々花は自分で頬を紅潮させているのが分かる。
ゆいとお兄ちゃん!と透明な自分が駆け寄るような幻影が見えた。
「お昼、ごちそうさま。ののちゃん」
「のの?」
「野々花の、のの」
「きゃっわゆ~い」
囃し立てられて、野々花はまた後ずさりした。
「可愛い〜!入部希望?」
「ささ 椅子にどーぞ」
「おい、おまえら」と霧灯が窘めてくれて、ようやく野々花は霧灯に頭を下げたのだった。それでもなかなか顔はあげられない。
なんで忘れちゃってるのだろう
こんぺいとうはもう直ぐ無くなるよ。
姿形は違っていても、わたしにだけは分かるのに。
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