第一章 薄荷色の天文部へ
*第一章ー1❇︎野々花のトラベラー計画
*1*
水鳥(みどり)高校は、高校自体には特色はない。最寄り駅も小さなローカル副都心の駅のために、同じ制服の生徒が一気に集まる。学校自体の配慮で、生徒の入学式と帰宅時間はずらされているけれど、やっぱり同じ制服が多い。
(入学初日はさすがに、探すどころじゃなかったもんね)
よし、と気合を入れて野々花はパンフレットを確認しようと、速足で中庭のベンチに向かうことにした。
さわさわ、と少し雨交じりの風が野々花を追い越して去っていく。
青葉が目に映ったところで、野々花は顔をゆっくりと上げた。馥郁たる新緑の香りにぽこんと頭を小突きたくなる。
――思考、暗いのダメダメ。
野々花は頭を振ると、陽射しの良く当たっているベンチを選び、母親お手製のサンドイッチの入ったバスケットを膝に置いた。
たまねぎの微塵切りの入ったツナサンドで頬を膨らませて、スマートフォンを取り出した。各部活の紹介は、QRコード化されていて、集合を避けるようになっている。早速天文部を読み込もうとしたが、読み込めない。
エラーも出ずに画面はしーんとしたまま。
「おかしいな」何度やっても、読み込めず。
水鳥高校の名前を冠した白鳥の銅像と目があった。
翅があるっていいなあ.....。
幼少の気持ちが甦る。でも今は自分で歩いていける。過去の少年を追いかけることはできないだろうけど。
「それ、コード間違っているんだよ」
白鳥が答えた。……はずはない。目を丸くした野々花に気が付いた「白鳥」がまた告げた。
「副部長が印刷に載せる時、ゆがみを入れてしまったんだ。新入部員が来ないな、と思っていたら、申込書がダウンロードできないんだって昨日知って配布中」
ぴらり。と肩越しにチラシ。「こっちこっち」との声に野々花は振り返って、また目を回しそうになった。
時間が巻き戻る感覚は初めてだった。
「ゆいと、お兄ちゃん……?」
まさに想い出になった顔が、野々花の前に現れたからだ。薄目の茶髪に、緩やかな頬のライン。笑うと目が三日月になる。
「ゆいとお兄ちゃんだよね?!」
ベンチの背中越しに、「あれ? なんで名前知ってるんだ?」と男の子の優しい声。
「いや、それより、それでコード読み込んでみて。昼休み終わるよ」
「あ、はい」
脳がぐるぐる回る。忘れていたはずの「ゆいとお兄ちゃん」のピンボケ表情が脳裏でくっきりと鮮明になった。
間違いない、間違うはずがない。でも、何かが間違っている。
そう思いながら、野々花はまじまじと目の前の「ゆいと」を見詰めた。さらさらの青味のある髪。そういえば、漫画で寝ている間にタイムスリップした話……。
翳していたスマホがぴぴっと音を立てて割り込む。
「――あ、できました……」
「そ、良かった。そこに申込書と、部室と、合宿の案内があるから。前はずらっと並んで部活の勧誘をやっていたけど、今年からオンラインに変わってね。入力の仕方分かる?」
――のの、星座は12個あって、みんなそれぞれ中心の輝きを持っているんだ――
同じ距離感。同じ空気。野々花は忘れていた心地よさを思い返した。誰かといるのは楽しいけれど、結翔はただそこに居るだけで良かった。
どこに逃げたかったのだろう。
聞いてはいけない闇の香りの言葉だと分かる。
「――聞いてる?」
はっと気が付くと、少年はベンチを回って、隣に座っていた。ガーデンベンチはかなり大きく、男女並んで座ってもまだまだ余裕がある。重ねた資料の合間から、ボロの星座盤が顔を出した。
「随分ぼろぼろの星座盤だね……」
ゆいとは言葉を押しとどめ、口元を片手で覆うと、目を細くして、野々花を覗き込んだ。
「昔、僕があげたやつ」
――えっ? 驚くと野々花の場合は目に出るらしい。
「コミカルな表情だね」とゆいとは告げると、サンドイッチに視線を向けた。
「ああ、おいしそうだ」
母親は、あの後から料理の研究をして、野々花が不満のないように彩りや、栄養を考えて作ってくれた。その努力から、今は栄養士の資格取得に燃えている。
ゆいとの羨ましそうな視線から逃げられず、野々花はおずおずとバスケットを差し出した。
「……どうぞ……あと、タマゴとハムチーズ……フルーツサンドは獲らないでね」
「厚焼き玉子なんて、レトロな喫茶店風味でおしゃれじゃないか」
「そうなんですか」
「うん。昔ながらの喫茶店、見たことないかな。厚焼き玉子と珈琲が多いんだ。戴きます。合宿の打ち合わせで昼飯買い損ねた」
「合宿? お泊り会ですか?」
「いや、それは無くなって、学校で用意した場所で天体観測をするだけになったんだけど」
――天体観測!
野々花は目を輝かせた。父にせがんでも、父はなぜか望遠鏡を買ってくれず、野々花は都会の薄くなった星空を眺めるだけだった。
零れそうな星空が見えた「みんなのいえ」が恋しくなって涙を落とした夜もある。星空と、過去は切っても切り離せない。それをまた、ゆいとに言われると、涙も浮かんでくる。
「あの」
「
さすがに同じ人ではないだろうと、野々花は言葉を探しあぐねた。あの時から数年以上が経っているのに、ゆいとの容姿は変わっていない。ふと何かを思い出しかけて、野々花は瞬きを増やす。
違和感が分かった。いつも野々花は結翔を見上げていたからだ。それが、今はベンチに座って、同じ視線の高さで交わしている。
野々花が、未来に来たのだろうか? やっぱり、未来から来ていたのでは……。
野々花の中で、結翔トラベラー計画が順調に進んでいる。
「これ、ある人から昔に貰ったんです。私、病気で療養施設にいたことがあって……」
バスケットのタマゴサンドはあっという間に消えた。
(あなた、ですか)
こんぺいとうがもうすぐ無くなるから?
ゆいととこんぺいとう 繋がってる?
言えるはずがない。でも、いちいち会話が合いすぎる。そして霧灯ゆいとは告げた。
「実はその時のことを良くは憶えていないんだ」
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