*Prologueー2*星のお兄ちゃん 結翔(ゆいと)

***

『ママ。星のお兄ちゃん。ののと同じなのかな、検査なんかしたくないよね』

『のの』母親に窘められて、野々花は髪を揺らして、ベンチに座ったところだった。

『あのお兄ちゃんも一生懸命なのだから、ののも』

 母の次の言葉を察して、野々花は口を尖らせた。

『のの嫌だよ。このまんまでいい』

『あなたが大人になって苦労するのよ。その時は、パパもママもいないかも知れないの……』

 母親に抱き締められると、お腹が震える感じがする。

 ――ここは小児の難病を検査するための病院繋がりの家族の施設。たった一人で子供を病院に入院させる現状を改善するため、家族が住めるここは「みんなのいえ」と呼ばれる子供のための養護施設。そこでは入院した子供のために、母親や父親が一緒に暮らし、同じように料理をし、時には一緒に過ごすことが出来る。


 その「いえ」を借りるのも、また大変なのだが、野々花には理解できないのだ。


『またわがまま。ののが検査してくれないと、おうちに帰れないのよ』

『のの、ここ好きだもん。勉強もちゃんとするし、みんなと走れるもん』

『走っちゃだめなの。ののは。少しでも、変えてあげたいの、ママ』


 またやってきた。何かを阻む言葉の壁。そういえば、みんなに配られるお菓子も、野々花だけはいつも違う。クッキーや可愛いチョコレート、ふわふわのメレンゲ。しかし、小麦アレルギーの野々花にはキャンディや、フローズンフルーツ。


『またかゆかゆになるわよ』

『それは……やだ……』

『ね?ののが食べられるシチューはママが作ってあげるからね。のの、こんぺいとうは開けないで。それが聞こうね』』


 その日は特に何もなく、「みんなのいえ」で仕事から帰って来た父親と三人で、あったかい夕食を食べた。

『こんぺいとうかあ、随分懐かしいデザインだね』

 父親は珍しがり、蓋を開けて、食べていた。

『あなた……お菓子にめがなさすぎ』

『毒味だよ。ここに成分が書いてあるけど、添加物を使っていないから、高かったんじゃないか。あとで見かけたら、御礼をしてあげるといい。のの、良かったな。これなら食べられるだろうけど、お星さまは眺めるものだぞ』

 言葉と裏腹に、ぎゅっと蓋をしめられたこんぺいとうはより開かなくなった。


***


 母親は今日の洗濯物を抱えて、野々花を連れて、廊下に出る。野々花は小瓶を手に、母親について外に出た。

 洗濯ブースは、ちょうど屋上に設置されていて、パラソル越しに夜空が見えた。

『今日は晴れているね。ののの瓶とおんなじ。ここは星が良く見えるわ』

 乾燥機の前に籠を下ろしたところで、母親が「あら」と声を柔らかにした。

 

『あらあら、この家にいたの?』

『お星さまのお兄ちゃんだ!』


『今日から……。一人なので、どうやって洗濯するのだろうかと』


 母親は「任せて」とばかりに、少年の洗濯を先に進めてあげた。瓶をだっこした野々花に気が付いて、少年はにこと笑う。

 少年と会話する野々花を背中に、母親はシーツを丸めていくつも洗濯機に放り込んだ。ドラムが静かに動き出すのを見て、また振り返る。


『それ、気に入ったんだ? 僕の家は駄菓子屋さんでね。こんぺいとうって言うんだよ』

『こんぺいとう』

『そう。お星さまみたいだろ。僕の精神安定剤……かな』

『うん、綺麗。のの、いっぱい詰まってるのを見てると、不思議な気持ちになるよ。でも、瓶に詰めちゃったお星さまは、どうなるの? お空に帰れないの?』

『お空はもういっぱいいっぱいで落ちて来たんだ』


 少年は聞くなり、くつくつと肩を揺する。すうう、と気が付くと母親は柱に寄り掛かって寝息を立てていた。


『おかあさん、寝ちゃった』

『看病は疲れるからな。我儘を言っちゃだめなんだよ。僕は結翔(ゆいと)。空に繋がる名前で気に入ってる。君はのの? ああ、野々花だったか』


 ゆいとはそう告げると、険しい表情を見せた。


『急がなきゃ、ののちゃん。この世界から逃げなきゃ。くだらない大人になる前に』


 言葉の意味は分からない。ゆいとは、野々花に対して告げたわけではなさそうだった。時折見える手首の布。野々花は黙って見上げていた。目の端にこんぺいとうの瓶が飛び込んだ。


『これ、ののも食べられるのかな』

『お菓子だからね。ちょっと子供にはきついかな』

 ぎゅっと詰まった蓋が開くと、小さな星たちが手のひらに滑り降りて来た。

『星空こんぺいとう』とラベルに書いてある文字を詠んだところで、母親が目を覚ました。ゆいとは一瞬ぎくりとした表情をして見せる。


『ああ、寝てしまって……』

『ののちゃん、どうしたら検査受けてくれるんでしょうね』

『あなた、その傷はなに?』


 少年はバツが悪そうに視線を逸らせた。手首を押さえて、隠しながら自嘲する。


『……バカなことをしたと思っています。もう、大丈夫ですよ。僕のわがままは、終わりましたから。逃げることにしました』

『そんな言葉はののに聞かせないで、決心が鈍るわ。野々花の』


 ――わかっているの。悔しい。わかっているの、のの、分かってるんだよ。でも、伝える術がないの。野々花は言えずに俯いていたが、ぱっと顔をあげた。


『お兄ちゃん、他にも、お星さまのお菓子、持ってきて。そうしたらのの、検査する』

『は? お星さまのお菓子?』


 母親が「のの!」と叱りかけて、ちらり、とよそ事をする。


『そうね、のの。それなら頑張れるわね? ゆいとさん、付き合って貰えないかしら。きっと、楽しい想い出になると思うしわ』

 ゆいと、は何が言いたげだった。顔に陰りを持つ少年は、『まあ、そのくらいなら』と答え、母親は持ち歩いている小さなノートを見せた。


『……ハードル、高いなあ……あの……』

『野々花の食べられるものをまとめたのよ』


(今思えば、トンデモナイ子供だった。でも当時の私は大真面目に、何か素直になれる理由を探していたのだから。そして、ママはいち早く、》》見抜いていたんだ)

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