星空と蒼空とこんぺいとうときみとの未来―
天秤アリエス
*Prologue*星空こんぺいとうの瓶越しに*
*Prologueー1*野々花と手の中のお星さまたち
「はやく逃げなきゃ。くだらない大人になる前に」
小瓶に詰められたこんぺいとう。こんぺいとうの黄色は白に近く、白はより清廉に、赤は情熱的、緑は優しく。
それは恰も人がひしめき合って生きている世界のようで。
だから、それは全て「こんぺいとうの魔法」だと思っていた。けれど、流石に高校生にもなれば、これはただの「こんぺいとう」でしかないのだと分かって来る。
(しかし、子供の私、須王野々花は、星空から零れ落ちたかけらだと純粋に信じていたし、今もまだ、そう信じたい気持ちはある)
賞味期限が切れた、こんぺいとうを見ていると、何やら不思議な気持ちが沸き起こる。
「こんぺいとうが無くなった時、また、逢えるよ」
その言葉を信じてはいなかったけれど。
信じたい気持ちもどこかにあって、夜空の星たちのような優しい気持ちを呼び起こすのだった。
***
『絶対いや。検査なんかのの、しない!』
渾身の野々花の叫び声に、周辺の目が忽ち野々花と母に向き始めた。野々花は母親に腕を引かれ、一生懸命逆方向に向かおうとして腕をつんと張らせている。ちょうど、散歩の犬が抵抗しているような図だと思えばいいだろう。
午前中の五月、木漏れ日を取り入れた病院は明るく、陰りのある雰囲気はみじんもない。
診察が終わる直前だからか、ロビーにいる人数はまばらで、親子連れが二組、真ん中に野々花と母親、それに一人の少年が隅っこで瓶を手に、考え込んでいる。
時折通る看護師が、こらこら、というように野々花を見ては、母親を見る。
やがて母親は、野々花の我儘に疲れている口調になった。
『野々花、我儘をいわないの』
『やだ、絶対やだ! のの、絶対そんなところ行かないからね! もう、いえに帰る』
のの、とは野々花の愛称である。野原の花……変哲もない名前にこそ、平凡な幸せを願ってつけた、野々花の名前だ。
母親の困惑が、野々花の我儘の行き場をなくす。でも、嫌なものは嫌。注射も嫌だし、アレルギー検査のパッチも気持ちが悪い。舌を出して舌苔を取られるのももう嫌。
座っていた少年が席を立った。「ほら」涙目の野々花にひとつの瓶が映り込んだ。
『お星さまだ……』
たちまち野々花は泣き止んだ。瓶の向こうには、包帯を巻いた手首が見える。それよりも、野々花は瓶の中に詰まった星空に目をくぎ付けにした。夜に見上げるとキラキラで届かないお星さまたちが、瓶に詰まって、『ののちゃん』とみている気がして。
『泣き止んだね。病院では静かにしないとだめだよ』
たくさんの小さな星が詰められたこんぺいとうの瓶は、野々花の興味を惹いた。それも昼間のクリニックの待合室は、通常のクリニックと違って、サカナや、花などカラフルに彩られていたから。
ここは小児病棟なだけあって、すみっこには大きなくまのぬいぐるみや、仕舞い忘れたこいのぼりが置いてある。現れた少年の年の頃は17歳くらいだろうか。襟足にかかるくらいの青みかかった黒髪は、とても優し気に見えた。
『まあ、すみません。この子ったら! おいくらですか』
『これ、ののに? のの、悪い子なのに』
『悪い子なんだ? あげるよ。きみはいい子だよ』
『まあ、お代を……』
母親がぺこりと頭を下げるのが、少々不愉快。野々花はむすとなりながらも、受け取った瓶を透かしてみる。それはとても綺麗に、陽の光を反射させて、耳を澄ませばしゃらりん、と音が聞こえてくるような、そんなこんぺいとうの詰め合わせだった。
***
『そうですか、手術前の判断するための大きな検査を嫌がってるんだ……』
母親は、切なそうに会話に興じていて、野々花はベンチに座って、瓶を透かしたり、眺めたり、手で光を遮ったりして遊んでいた。
『ええ、成長期のホルモン治療と、アレルギーの克服検査で……この子、乳幼児から極端なアレルギー反応が出てしまって。知っておかないと怖いと思ったら、少々大変なことが判明しまして。なぜかしら平凡な幸せをと願った小さな名前なのに……でも、この小児家族施設が借りられて良かったわ。遠すぎて通えないから、すぐそこの』
『ああ、病院養護施設にいるんですね。あの家、可愛いですよね』
赤い屋根に、小さな白鳥の銅像、いつも献花台には花がいっぱい飾られている。野々花はそこを「いえ」とゆっくり発音する。そこは文字通り、「みんなのいえ」だからである。
――瓶、見るの、飽きたな。
野々花はベンチから降りると、母親のズボンのすそに隠れた。
『あはは。今度は僕が怖い? もう瓶に飽きちゃった。また我儘かい?』
くすっとやられて、野々花は頬を膨らませた。
『しないもん。のの、いい子だから』
いい子になる野々花だから、お星さまがたくさんやって来た。だから、いい子にならなきゃ。野々花はその心地で小さな胸に、瓶を押し付けた。青色のリボンは夜の色で、とても綺麗に跳ね返っている。
『それなら、せめて、お茶だけでも。野々花、お母さんそこの自販機で飲み物買ってくるから。すいません、この子を見ていてくださいますか』
『はい。こちらのことは見えますし、安心してお願いします』
母親は足早く通り過ぎ、野々花と少年が残った。野々花はもともと好奇心旺盛な性格をしている。少年に颯爽と聞いた。
『お兄ちゃんも、何か、悪いところあるの? ののもね、治すところがあるんだって。みんなで、こっちに来たの』
『うん……それ、気に入った? 検査、しなきゃだめだよ、ののちゃん』
『でも、検査はしたくない』
七歳にもなれば、大人のいう言葉は少しわかる。『手術』『もしかすると』『やってみなければ』『でも、この子は一生』その雰囲気は逃げたくなっても当然の、何かとても「こわいもの」だ。手術は怖い、でも、あの怖い空気はもっと怖い。
『のの、元気だから、する必要はないよ』
少年は、さらりとした髪を戦がせて、野々花には届かない屋上のフェンスに両腕を託している。見上げると、風に残されて零れた「お兄ちゃんの言葉」が野々花の上に降って来た。
『急がなきゃ……』
少年が小さく呟いた。それは野々花に向かってきた言葉なのかは定かではない。
『――になるまえに』
言葉は母親の足音にかき消されて届かなかった。やがて戻って来た母親から缶コーヒーを受け取って、少年は屋上から姿を消した。
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