鬼と悪魔の一騎討ち(2)

 華音は、富士川と高野と一緒に、セレモニーホールから芹沢邸へと戻ってきた。

 一階奥の応接間で、三人はいまだ喪服のまま、会話もなく無言でソファに座っていた。重苦しい沈黙が流れている。色々なことがありすぎて、みな疲労の表情を隠せない。


 しかし、これからが正念場だ。

 もうすぐここへ、『悪魔の二番弟子』がやってくる。


 富士川は落ち着きなく、部屋の時計に何度も目をやっている。

 高野は相変わらず煙草をくゆらせ、何か考え事をしているようだ。


 そこへ、芹沢家の執事が、鷹山を案内してやってきた。

 執事には極上の笑顔で「どうもありがとう」などと愛想よく対応している。

 そして執事が去りドアが閉められると――鷹山は表情を一気に硬化させた。


 富士川が、華音に目配せをした。

 席を外したほうがいいのだ、と華音は察した。すぐに立ち上がり、自分の部屋へ戻ろうとドアのほうへと向かう。


 すると。


 鷹山とすれ違いざまに、華音はいきなり腕をつかまれた。

 驚きのあまり、つかまれた腕の先を辿ると――あの大きな威圧的な瞳がそこにはあった。

 鷹山は華音の腕をしっかりとつかんだまま、今度は富士川のほうを見据えた。


「彼女にだって『知る権利』はあります。いや、むしろ『知る義務』でしょう。英輔先生亡きあと、楽団の経営は決して芳しくないであろうことを、直系の彼女には受け止めてもらわなければ、皆が困る」


「華音ちゃんはまだ高校生だ。あまり無理難題を押しつけるんじゃない」


「話を聞くことが、無理難題なんですか? こんなに立派な耳がついている」


 また鷹山は、華音の顔を食い入るように見た。

 怖い。吸い込まれてしまいそうだ。


「まあ、いいじゃないの。ノン君も一人部屋にいるのはサビしいだろうしさぁ、俺の隣においで。楽ちゃんは上座にどうぞ。一応お客様だから」


 富士川は難しい顔をしていた。しかし、高野の勧めに、特に口を挟もうとはしなかった。

 鷹山はようやく華音の腕を放し、そのまま勧められた席へ腰を下ろした。華音も迷いがあったものの、ソファに戻って高野の隣へ腰かけた。




 近況報告もそこそこに、赤城という男が持ちかけてきた「楽団買収」の話し合いに入った。

 美濃部青年が用意してくれた書類のコピーを、富士川がそれぞれの前に置いていく。

 その書類に目を通し始めると、しばらく室内は無言になった。

 華音も少しだけ読んでみようと書類を手に取ったが、小難しい言葉の羅列がまるで理解できず、早々と諦めて書類をテーブルの上に戻した。こういうときに、自分はまだ子供なのだと華音は思い知らされる。


 難しい顔をしながらも、書類を淡々と読んでいく富士川や鷹山、高野たちとはやはり立場が違うのである。

 富士川は書類から目を離すことなく、高野に向かって尋ねた。


「赤城麗児とは、どんな人物なんですか? 我々のような芸術分野にスポンサー参入するのは初めてらしいですけど、信頼に足るんでしょうかね?」


「確かにねえ……あの麗児君がクラシック音楽って、全然イメージじゃないんだよね」


 高野は首を傾げている。


「高校の同級生って言ってましたよね? この方は音楽科ではなかったんですか?」


「うちのガッコウ特殊でさ、音楽科とスポーツ特進科ってのが、なぜか同じクラスだったんだよね。専門バカになるのを避けるためだったのかなあ……。で、麗児君はそのスポーツ特進科だったんだよ」


 いろいろ思い出しているようだ。懐かしい若き日々の姿――。


「俺が練習してるとたまに窓から覗いてたりしてさ、麗児君デカイからコワイのなんのって。しかも剣道の面つけながら『この間のアレ、弾け!』とか言って……そのアレってのが、いまだによく分かってないんだけどね」


「うちの団体に思い入れがあるというわけではないんですよね」


「ああ、ないない。麗児君に限ってそんなことはありえないよ。これでもかってくらい、ビジネスライクな思考の持ち主だから」


 富士川はううん、と唸るような声を上げた。


「そんな……芹沢先生の音楽をまったく理解してない人物に出資してもらうなんて、俺は賛成できません」


 そこまで黙っていた鷹山が、ようやく口を開いた。


「富士川さん、この提案書は『出資』ではなくて『買取』ですよ。確かに、このままでは納得できませんね。しかし、出資という方向に話を持っていけるのであれば、僕はおおいに賛成ですよ」


「そんな……芹沢先生が喜ぶとはとても思えない」


「芹沢芹沢と、なぜあなたが、そこまで名前にこだわるんです?」


「お前だって弟子を名乗るなら――芹沢という名に誇りを持ったらどうなんだ」


「受け継ぐべきなのは名前ではなくて、その音楽性なんじゃありませんか?」



 華音は富士川と鷹山のやり取りをじっと見つめていた。見つめる他なかった。

 すると、なぜか鷹山の矛先は華音へと向けられた。


「君、ちゃんと話を聞いているのか?」


「聞いてます。聞いてるけど……よく分かんないもん」


「鷹山! この問題は華音ちゃんには関係のないことだろう? なにより華音ちゃんは芹響の楽団員でもない」


 富士川の牽制にも、鷹山は耳を貸そうとはしない。


「むしろ君だ」


 鷹山は華音を見据えた。


「君の問題だ、これは。富士川さんが考えてくれる、じゃなく、君がこの先どうしていきたいのか――」


「だって」


「『だって』なんだ?」


 鷹山の目は真剣そのものだ。決して甘えを許さない、突き刺すような視線。


「だって……楽団はおじいちゃんのもので、私がどうこうできるものじゃないもん」


「だったらそうみんなにはっきり言って、楽団を解散させたらいい。みんな君と同じことを、心の底では思っている。――英輔先生が死んだらどのみち楽団は廃れる運命にあるとね」


「止めろ鷹山! 華音ちゃんには何も関係ないと言ってるだろう!」


 富士川が滅多に出さないような大きな声を上げ、華音をかばった。

 それが火に油を注いだ。鷹山は読んでいた書類を、テーブルの上に叩きつけるようにして置いた。


「何も関係ないなんてことはないでしょう? むしろ大ありだ。未成年だから? 高校生なら充分自分で考えることができる。あなたはこの人の何なんです? 保護者気取りも大概にして欲しいですね。少し――黙っててもらえませんか」


「なっ……」


「まあまあ、二人とも落ち着いて。ノン君が驚いてるじゃないの」


 高野にそう言われて、華音はそこでようやく自分が震えているということに気がついた。高野が気遣って、そっと背中をなでさすってくれる。


 もはや富士川は、言葉を発する力は残っていないようだった。口を真一文字に固く結び、じっと何かに耐えている。

 一方の鷹山は、語調を少し緩めると、なおも華音に語りかけるように言った。


「このままでは確実に廃れてしまう。けどね、僕だって他の団員たちと同じように、この楽団をなくしたくない、と思っている。でもそれを、富士川さんが言い出すのでは駄目なんだ。『芹沢』の名を持つ君が――いいか、君が言わなくては駄目なんだ」


 『芹沢』の名を持つ君が――。

 『芹沢』の名を持つ君が――。


 鷹山の言葉が、華音の頭の中でいつまでもこだましている。


 自分は、芹沢英輔の唯一の血縁者。

 芹沢という姓を名乗っているということの重さを、これほどまでに感じたことはなかった。

 芹沢交響楽団の行く末は、存続か解散か――。

 百名をこえる団員、数多の定期会員の聴衆たち。


 それらすべての人間の望みそして運命が、弱冠十六歳の華音の肩にのしかかっている。

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