告別式(1)

 演奏会の三日後、芹沢英輔の告別式が営まれることとなった。


 式のあと、追悼演奏会が行われることになり、そこでまた、富士川は指揮をとることになった。

 今回は不可抗力ではない。師を追悼するために相応しい人物として、楽団員たちに選ばれたのである。

 富士川も、黙ってその要請を受けた。




 告別式の参列者が、会場となっているセレモニーホールへ続々と集まってきた。

 外はあいにくの雨だ。まだ昼下がりという時間であるのに、目に見えるすべてが、薄暗いベールに覆われている。別れの儀式に相応しく、曇天の空が大粒の涙をこぼしているかのようだ。


 富士川は追悼演奏会に備え、祭壇前の仮設ステージでの音響チェックに余念がない。

 必然的に、受付業務などの裏方の仕事は、出番のない華音や高野へと回ってきた。

 しかしこういった類いの仕事は、普段であれば富士川や美濃部が仕切っているため、二人の仕事ぶりは目もあてられないほど要領が悪かった。

 弔事初参加の華音はともかく、人生経験が豊富なはずの高野の動きがやたらと鈍い。高野は持ち前のいい加減さを十二分に生かし、パイプ椅子に逆向きにまたがって、背もたれに肘杖をつき、だるそうに紫煙をくゆらせている。


「真面目にやってよ、先生」


 華音が注意すると、高野はのそのそとパイプ椅子ごと前進してきた。


「俺さあ、こういう辛気くさいのに向かないんだよね。来る人来る人みんな黒ずくめでさ、一様に暗い顔してるし。俺がもし死んだら、喪服で来る奴は絶対に中に入れないからな。泣いちゃう奴なんか言語道断だね」


 そう愚痴る高野は、一応喪服に身を包んでいるが、黒のネクタイはだらしなくぶら下げただけの状態だ。


 弔問客の数が、一気に増えてきた。

 やってくる人間は、蒼々たる顔ぶれである。国内で活動している有名な演奏家や、一流オーケストラの指揮者など、業界屈指のアーティストたちばかりだ。


 受付には華音と高野の他に、セレモニーホールのスタッフ二名が手伝いに入っている。

 会葬者名簿への記帳を促すだけなら華音も何とかこなすことができても、不意に手荷物を預けられたり、伝言を頼まれたり、会場付近の地理を尋ねられたり――働いた経験のない華音には到底手におえるものではない。

 もたついているうちに、受付付近はあっという間に弔問客で埋め尽くされてしまった。


 そのときである。

 黒い人並みを掻き分けるようにして、美濃部達朗が受付へとやってきた。

 美濃部はこの状況を、充分予想していたらしい。


「やっぱり。こんなことじゃないかと思ってたんです。弔問に見えられた方が、受付で詰まってるじゃないですか。なのに、高野先生はそこで休んでいるみたいだし……私、先生の代わりにここを手伝いますよ」


 美濃部青年は持ち前のマネジメントの手腕を発揮すべく、受付の状況を素早く把握している。

 一方の高野は、あくまでのん気に構えている。


「あれ、美濃部ちゃん。富士川ちゃんの手伝いはもうすんだのかい?」


「芹響のスタンバイはOKです。あとはここをさばかないことには始まりませんからね」


 華音はようやくまともな戦力が手に入り、胸をなで下ろした。


 美濃部が受付に入ってからは、効率よく会場入りが行われた。

 告別式開始予定の午後二時まであと五分という時間まで迫ると、受付付近には弔問客もまばらになった。


 受付を手伝っていたセレモニーホール側のスタッフ二名は、今度は告別式会場の対応をするために、ホール内へと向かっていった。

 受付には華音と美濃部、そして高野の三人が残される。


「一段落、ですかね」


 人一倍機敏な働きを見せた美濃部が、華音に安堵の笑みを見せた。

 すると。

 後ろでただ物思いにふけっていた高野が突然、独り言のように呟いた。


「それにしても……大丈夫なのかなあ、富士川ちゃん」


 高野は、ようやくくわえていた煙草を、灰皿替わりの空き缶に押しこんだ。


「まあ、今日は小品を三曲ですから、三日前のようなことにはならないでしょう。やっぱりね、指揮デビューがコンチェルトだったのが、まあ、一因でしたからね」


 美濃部はあえて一因という言葉を選んだ。勝因でも敗因でもなく、あえて明確な言い回しを避ける。

 もちろん高野は、今日の追悼演奏会のことも気にかけているに違いなかったが、本当に心配なのはもっと先のことらしかった。


「団員の中にはさあ、すでに今後のことを考えて、早々に退団して、他の団体に移るなんて動きも、ちらほら見えてるしねえ。とりあえず告別式終わるまでは、表立ったことはないと思うけど、富士川ちゃんにしてみりゃ崖っぷちだよね、今まさに」


 相変わらず軽い口調だが、その発言の中身はかなり手厳しい。


「今の富士川ちゃんには、芹響をまとめていく求心力はないから」

 高野はハッキリと言い切った。


 華音はショックだった。

 芹沢交響楽団のことをよく知る高野がそう言うのだ。さまざまな根拠に基づいての意見なのである。


 高野は暗に言っている。


 富士川祥は、芹沢英輔の後継者となりえない。

 たとえ、一番弟子であっても――。




 美濃部は、腕時計とセレモニーホールの壁掛け時計を見比べ、高野を促した。


「そろそろ高野先生は中のほうへ。もうすぐ始まりますから」


「へいへい。ノン君、ホントに出なくていいの?」


「うん、ここにいる」


 華音は、富士川の指揮する背中を直視できそうになかった。三日前の夜の悪夢が、今も脳裏に焼きついている。

 高野はその理由に気づいているのか――軽くため息をつくと、何とも中途半端な表情を残して、会場となるホールへと向かっていった。

 受付のテーブルには、華音と美濃部、二人が残された。




 辺りは静まり返っている。先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。雨の外壁に叩きつれられる音が、ハッキリと聞こえている。

 こうやって美濃部と二人きりになったのは、華音は初めてだった。

 美濃部という青年は、祖父の演奏会に行くと必ず見かける顔で、華音にとってはただ社交辞令程度の会話を交わすだけの関係でしかない。


「美濃部さんは演奏しなくていいの?」


 華音は、傍らで名簿をチェックしている美濃部に話しかけた。

 美濃部は手を止めることなく、返事をする。


「しなくていいっていうか、金管と違ってヴァイオリンは人数多いですからね。何人か抜けたって平気なんですよ」


 そんなものなのか――華音にはよく分からない。


「華音さんのほうこそ、告別式、出なくていいんですか? 身内が出ないと、変な感じがしますけど?」


「有名な人がいっぱい来てるから何だか落ち着かないし、みんなから同情の眼差しを向けられるのも嫌だし、それで悲しんでない顔を見られるのもどうかと思うし。やっぱり変かな、私」


 美濃部はチェックしていた名簿からようやく目を離し、華音のほうを振り返った。そして、迷いも見せずに理路整然と語りだす。


「そりゃ人の感情なんて、決まったルールがあるわけじゃないですからね。人が死んだら悲しくなって涙を流さなければならない、ってこともないと思いますけどね。私もよく機械的だって言われますし。実のところ、別に私も悲しくないですからね」


「そうなの?」


 少しだけ、意外な言葉だった。

 楽団員なら祖父の死を悲しむべき――そう思っていたわけではない。ただ、泣き崩れていた富士川の姿を思い出し、美濃部の反応は随分と対照的だと、華音は感じたのである。


「私、芹沢先生の門下生じゃないので、他の団員の方々とは事情が違うんですよ」



 折れた廊下の先から、話し声が聞こえてくる。

 セレモニーホールの職員が、遅れてきた弔問客を案内しているようだ。複数の足音が、ゆっくりと近づいてくる。


 追悼演奏会の受付へと姿を見せたのは、かなり身長が高い男だった。

 日本家屋であれば確実に鴨居に額をぶつけるタイプの人種である。身なりは嫌味ない程度にお洒落で、颯爽としていた。一見して、青年実業家だと予想できる。


 男は表情を崩さずに辺りをゆっくりと見回し、よく通る声で言った。


「赤城エンタープライズ代表の、赤城麗児と申します。芹沢交響楽団の責任者と話をさせていただきたいのだが――」


「ええと、今はまだ告別式が始まったばかりですので、そうですね……四時には終わると思いますけど」


 美濃部は腕時計に目をやり、そう説明した。

 すると赤城と名乗った男は、眉一つ動かさず、手に持っていた大きな封筒を受付のテーブルに置いた。


「四時? あいにく私にはそこまで待つ余裕がない。ところで、ここの関係者に高野和久という男がいたはずだが?」


「ああ、高野先生のお知り合いですか? すみません、高野先生は会場の中のほうに入ってしまわれまして」


「では伝えてくれ。楽団を買い取りたい人間がここに来た、と。――詳しいことは、その封筒の中にある提案書に目を通していただきたい。では、私はこの辺で失礼する」


 赤城という大男は、用件だけを手短に伝えると、そのまま記帳もせずに受付をあとにした。

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