第45節 -地下の攻防-

 国家非常用地下区画ポイントC2区域の通路には1人の男の足音だけが響き渡っていた。

 薄暗い通路を足早に通り抜ける男は手元の時計に目を落とす。

 時刻は10時20分を過ぎている。警察の特殊部隊が突入するまで残り時間は僅かだろう。間に合うのだろうか。もしくは既に突入が開始されたかもしれない。

 足音の主であるジョージは視線を通路の先に真っすぐ向けるとさらに急ぎ足で目的地へ向かう。

 点々と存在する照明のみで照らされる通路は図面で確認するよりも広く、見通しはよくはないが歩きづらくもない。


 このまま進み続ければ難なく目的の場所へ辿り着けるはずだ。


 そう思いながら急ぎ足で歩みを進めるジョージがC2区域からB1区域への連絡通路へ差し掛かる曲がり角を左に曲がった瞬間、目の前に予想外の人物が立ちはだかった。


「お待ちしておりました、大統領。貴方をこれより先へお通しするわけには参りません。」

 足を止めたジョージは目の前に立つ人物を見て驚きの表情を浮かべた。

「大統領府館内のセキュリティIDを固定してその場から移動していないように見せかけることが出来るのは貴方だけではありません。」

 ウィリアムの言葉を聞いたジョージは彼がこの場にいる絡繰りをすぐに理解して言葉を投げかける。

「ウィリアム、いつから気付いていたのかね?」

「アヤメさんが襲撃された事件の折、貴方が外部の誰かと頻繁に連絡を交わしている様子を見た時から私の中で何か引っかかるものを感じていました。しかし、貴方がこの事件に深く関与していると確信したのはつい最近のことです。過去の通信履歴などを個人的に精査し、今までの警察などの対応の仕方などを考えた結果として今の答えに辿り着きました。今まで貴方が浮かべられていた苦悩は全て自身に向けられたものだったということにも。」

「執念というものか。よくも個人でそこまでのことを調べ上げられたものだ。」厳しい目線を向けつつも感心した様子でジョージはウィリアムに答えた。

「調べれば調べる程、考えれば考える程に答えは一つの方向を示していきました。意図的な情報隠蔽を警察が行っていたのは貴方が黒だと気付いていたからでしょう。今朝の彼らの動きからしても、貴方を拘束する意図を持っていることは明白でした。だとすれば、貴方自身が取られるであろう行動は一つ。ですが、大統領府に隠された通路を知っていたのも貴方お一人ではありません。私も非常用地下通路へ通ずる道が存在することについては以前より把握しておりましたしセキュリティの解除方法も承知していましたから。しかし、その先にあるものがまさかあのようなものだとは思いませんでしたが。」

「そうか。そこまで分かっているのであれば言の葉を交わす必要も無いな?君の職務上における越権行為及び不法行為についてはこの場では不問としよう。ウィリアム、私はどうしてもその先に進まなければならない。こんなことに君が関わる必要はないのだよ。道を譲りたまえ。」

「いいえ、なりません。貴方は自らの罪を法に従い正しく清算されるべきです。このようなやり方で過去を取り戻そうなどと思ってはならない。これ以上その手を穢してはいけません。」

 それ以上、互いに掛ける言葉は無く膠着状態となる。

 静寂が支配する薄暗い地下通路の只中、僅かな時の流れが極限までゆっくりと感じられる。

 どうしても道を譲る気配を見せないウィリアムに対してジョージは覚悟を決めて懐へ手を伸ばし掛けたが、すぐ後ろから聞こえてきた声に制止される。

「どこに行こうというのかね、大統領。いや、ジョージ。こんな場所で何か探し物か?」

 後ろを振り返り、声の主を確認したジョージは溜め息をつきながら言った。

「ウォルターか。直接話をするのは久方振りだな。君がここにいるのはウィリアムの差し金か。悪いが私は先を急いでいる、2人とも道を開けたまえ。これは大統領命令だ。」そう言いながら再び手を懐へ伸ばし掛けたジョージを見やってウォルターは言う。

「馬鹿な真似はよすんだ。今ここでそれを抜けば、お前は残りの人生全てを後悔の為だけに捧げることとなる。何もかも投げ捨てるには些か早いだろう。」

「既に捨て去ったも同然の人生だ。組織をこの国へ呼び寄せてしまったと気付いた時には手遅れだった。私は私の意思でこの国を穢し、私は私の手によって取り返しのつかない過ちを重ねてしまった。これより先に何を積み重ねたところでもはや変わるものなどありはしない。」懐へ手を入れたままジョージは言った。

「大統領、確かに貴方のされたことは国に対する裏切りであり、国民に対する裏切りでもありました。しかし、心の内にある根底が間違っていたわけではない。選んだ選択とその後の行動が間違っていたのです。失われた命、失われた名誉が回復されることはないでしょう。それでも、今でもその心の中に本当にこの国を想う情熱が欠片でも残っているのなら、正しく罪を償った上で国の為に生きる道を選んでください。貴方がその道を選ばれるのであれば、及ばずながら私も出来る限りのことは致しましょう。」

「相変わらず君は優しいのだな、ウィリアム。常に私の傍らで私のことを気にかけてくれていた君の優しさには感謝してもしきれないほどだよ。だが、この場においてそれは甘さというものだ。他者を慮るだけでは何も成し遂げられはしない。君が情熱をかけるべき相手はもはや私ではないのだ。今、君が選択すべき行動はすぐに私という存在を切り捨ててしまうことだと思うがね。」ウィリアムの説得に対しジョージは首を横に振りながら甘さだと言って切り捨てた。

 ウォルターとウィリアムに挟みこまれたジョージは視線をB1区域の先へと向けながら言う。

「これ以上の問答は意味を為さない。君達が私を通さないというのであれば…押し通るまで!!」

 そう叫んだジョージは懐に伸ばした手を素早く抜き去ると、上方へ向かって小型のスタングレネードを投げ一直線にウィリアムの方へ走り出す。

 反応が遅れたウォルターとウィリアムの間でそれは炸裂し強烈な閃光を放った。

 ジョージはスーツのジャケットで顔を包み込んで防護し、ウィリアムの脇を駆け抜けるとB1区域に入った曲がり角で身を潜めた。

 スタングレネードの放つ閃光が収まると、ジョージはC2区域とB1区域を接続する通路に突っ伏した2人の姿を確認する。

 薄暗い中に慣れてしまっていた2人の目に先程の閃光はよく効いたようだ。ウォルターもウィリアムも視界を遮られ方向感覚がまるで掴むことが出来なくなっているらしい。その様子を眺めながらジョージは言った。

「ここで “さようなら” だ。人生において、君達のような友を持つことが出来て私は幸せだったとも。」

「待て!ジョージ!!」

 ウォルターの叫びを無視してジョージは連絡通路を遮断する非常用シャッターを起動するスイッチを押し込み、鋼鉄のシャッターが凄まじい勢いで降り通路を遮断した。

 これによりC2区域とB1区域は完全に分断され、ウォルターとウィリアムは現地点からジョージを追いかけることが不可能となるのだった。


                 * * *


「ポイントB1区域突入部隊よりチームβ司令へ。マルティムの本拠地と思われる部屋の入口扉へ辿り着いた。これより突入を開始する。」

 B1区域最奥にある部屋の入口扉手前まで辿り着いた特殊部隊は司令部へ通信伝達を行うと、最前方にいる隊員がセキュリティロックを解除してハンドサインで突入を合図した。

 開いた扉の先に無言で素早く隊員達がなだれ込む。

 部屋に突入した隊員は銃を構えながら部屋を見回すが、マルティムの首領と思われる2人の姿を発見することは出来なかった。


「くそ、どうなってやがる。奴ら、どこに消えやがった。」


 1人の隊員がそうぼやきながら周囲を改めて見渡す。

 そしてふと天井を見上げた瞬間、そこに設置された “あるもの” を見つけるなり怒号を発した。

「爆弾だ!総員、退避!退避!!」

 部屋になだれ込んだ隊員たちが脱出しようとしたその時、1人の隊員の気付きも虚しく天井に仕掛けらた爆弾は炸裂し、辺り一帯を吹き飛ばした。

 轟音と共に地下へ吹き抜ける爆風。部屋に立ち入った隊員の約半数が爆発に巻き込まれ、部屋の中にあった家具や外壁の下敷きとなって見動きが取れなくなった。

 入口付近に居た隊員たちも爆風によって吹き飛ばされ、通路の壁に激突して皆意識を失っている。

「チームβ司令へ伝達!マルティムの本拠地には爆弾が仕掛けられていた!その炸裂によって部屋に入った隊員の半数が死傷した!畜生、煙で何も見えやしない!状況はどうなっている!」

 司令から即座に返電が入るが通信状況が悪くノイズだらけで聞き取ることは出来ない。

「奴らはどこだ!一旦退くぞ、続け!」

 通路に立ち込める煙の中、何も見えない中での状況継続を困難だと判断した部隊長が退避の指示を下す。

 指示と共に部隊は後退を開始する。しかし、そこには命令に従って元来た通路へ引き返そうとした部隊を待ち構える2人の悪魔の存在があった。


「諸君。ようこそ、悪魔の根城へ。」


 煙の中に佇む細身で長身の男はそう言うや否や、手に持った銃で目の前の隊員たちの頭を的確に一人ずつ撃ち抜いていった。

 通路へ広がった煙が徐々に薄まり、視界が確保できる程度になった時に特殊部隊の目に飛び込んできたもの。それはこの世全ての存在を見下すような冷酷な目つきをした細身の男と、まるで熊のような大柄な体躯をしてにやりと笑う男の姿である。

「ビズバールとヘカトニオンだな!動くな!武器を捨てて大人しく降伏しろ、お前達に逃げ道など無い。」

 銃を構えながら言った隊員の言葉にアルフレッドは応じる。

「逃げ場がない?そうだな。俺達に逃げ場なんてものはない。そして動くな、ときたか。さもなければ銃で撃つか?それも良い。だがな、こういう状況では失うものが何もない奴の方が… “動きやすい” んだぜ?」

 嘲笑するように言うと目の前にいた隊員の1人を即座に射殺した。

「くそっ!これより対象の拘束を開始する!急所は外せよ!撃て!撃て!」

 特殊部隊は一斉に銃を構え2人めがけて銃撃を開始し、アルフレッドとベルンハルトはすぐに通路の曲がり角に身を潜めた。

「おうおう、この狭い空間でよくもまぁ撃ち込んでくるもんだ。跳弾が怖くないのかね?特殊部隊にしては些か訓練が足りねぇんじゃないか?」アルフレッドはいつになく楽しそうな表情を浮かべて言う。

「ベルンハルト、後ろは任せるぞ。俺は目の前の憐れな子羊たちを黙らせる。」

「任せな。機械の相手だけじゃ退屈過ぎてつまんなかったからよぉ!」

 間もなく、B1区域の各通路で監視体制を敷いていた特殊部隊の応援が現地に駆け付ける。しかし、応援の手が先に突入して銃撃を繰り広げる部隊へ届く前にベルンハルトは彼らの前に立ちはだかり、その剛腕によって一人ずつ殴りつけて無力化していった。

「特殊部隊って聞くから期待してたけどこんなもんかよ?ボスの言う通りだな。鍛え方が足りねぇだろ?」

 1人の隊員の首根っこを掴んで放り投げた後、別の隊員を羽交い絞めにして銃撃されないように盾代わりにしたベルンハルトが言う。

 腕力による締め付けを行い、それに耐え切れずに助けを乞い悲鳴を上げる隊員を尚もゆっくりゆっくりと絞めあげていく。やがて羽交い絞めにされた隊員の背骨が砕ける音が鳴り、完全に動かなくなった。

 ベルンハルトは動かなくなった隊員から銃を奪うと、その隊員を盾にしたまま通路の先にいる別の隊員たちに向けて発砲をした。

 隠れる場所がなく伏せるだけが精一杯だった隊員たちはベルンハルトの銃弾によって一人一人が頭部などの急所を的確に撃ち抜かれていく。

 防護用ヘルメットや防弾チョッキでカバーしきれていない、守りの浅い部分をベルンハルトは執拗に狙い続け、新たに倒れた隊員からも銃火器を奪い取り射撃し続けた。

「血が沸き立ち心が躍るような抗争ってやつを一度はやってみたかった!!最後の最後で念願叶ったりってやつだなぁ!おぃ!!」

「近くで叫ぶな。声がでけぇよ、少しは静かに仕事しやがれ。」銃撃を繰り返しながら狂乱の叫びをあげるベルンハルトの背後でアルフレッドは悪態をつきながら反対方向の通路の先にいる隊員たちに向けて発砲をする。


 銃からやがて銃弾が尽きると、アルフレッドは懐からハンドグレネードを取り出し躊躇うことなくピンを抜いた。

「イースターエッグのプレゼントだ。」

 アルフレッドはそう言って笑うと通路の先にいる隊員たちに向けてそれを投げつけた。

 投げられたものが何かを悟って恐怖の悲鳴を上げる隊員たちだったが、彼らに逃げる間は与えられない。狭い通路の脇で固まっている隙間にグレネードは落下し炸裂したのだ。

 再び地下には爆発音が鳴り響く。それと同時に銃撃の音は鳴り止み新たに立ち昇る煙が視界を封鎖した。

「やり過ぎたか。しかしあっけねぇな。こんなもんか?」

 つまらなさそうに言ったアルフレッドであったが、その顔は充実した人間の表情そのものであった。

「残った連中は一旦退いたのか。雑魚が。もっと強ぇ奴は来ねぇのかよ。」ベルンハルトも笑いながら言う。


 こんなに楽しい抗争はしたことがない。数年にも渡りただ地下で窮屈に無意味な日々を過ごすだけ。そんな毎日に飽き飽きしていた。

 最後の最後で与えられた楽しい “戦場” をアルフレッドもベルンハルトも心から喜んだ。

 目の前に積み重なった死体の山を見て誇らしい気持ちになる。それが自分達の仕事の結果だ。

 抜け殻のようだった昨日までの心が嘘のように満たされていく。

 歓喜で心を震えさせるこの戦場をさらに満喫するようにアルフレッドは煙草を取り出し、火を付けてくゆらせた。


 その時だった。特殊部隊が引き上げた通路の先から柔らかく慈悲と慈愛に満ちたような声が響く。硝煙と血なまぐささが立ち込めるこの場に到底ふさわしいとは思えない声が自分達に話しかけてきたのだ。

「ご期待に添えられるかはわかりませんけれど、もしよろしければわたくし共がお相手仕りますわ。」

 怪訝な表情を浮かべながら通路に立ち込める煙の奥に視線を向けたアルフレッドとベルンハルトの視界に現れた者。

 それは神に背く悪魔を祓い清める者達、修道服に身を包んだ神の御使いであった。

 美しく輝く青い瞳に獲物を狩る瞬間の肉食獣のような狂気を浮かべて嗤う聖職者と、その後ろに付き従う赤紫色の瞳の聖職者が自分達に近付いてくる。

 そして青い瞳の聖職者は微笑みを浮かべたまま言った。

「全ては、神の御心のままに。」


                 * * *


 地下通路のB1区域を歩くジョージは遠くから鳴り響いた二度の爆発音を聞き、自身が間に合わなかったことを悟った。

 突入した警察の部隊とマルティムの2人が小競り合いをしたのだろうことは想像に難くない。彼らはその身柄を拘束されたのだろうか。

 状況は不明だが、ここまで来たからには引き下がるわけにもいかない。この目で事の行方を確認するまでは諦めるわけにはいかないのだ。

 そうした思いを胸にジョージが通路を進んでいくと、既に見慣れてしまった少女の姿がふと視界に入った。


 進行方向の先、通路の中央に彼女は1人で佇んでいる。

 桃色ツインテールの髪にいつもの服装をした幼い少女。ただひとつ違うのは普段に比べて無邪気さが感じられないことだ。顔は俯けられて表情を読み取ることは出来ない。いつものようなふざけた態度は影を潜め、何か真剣な意図をもってこの場に現れたといった様子だ。

 近くまで歩み寄っても何も言わない少女を前にしてジョージは話し掛ける。

「どうやら私は間に合わなかったようだ。行動するのが遅すぎたのかもしれない。」

 ジョージの言葉に彼女は何ら反応を示さない。

「しかし私はこの目で彼らの行く末がどうなったのかを確認してみたいと思っている。通してはもらえないだろうか。」

 自身が既に敗北者であることを告げ、命令ではなく頼みだとして彼女に言う。それでも目の前に佇むアンジェリカは何の反応も見せなかった。

 ジョージは仕方なく何も言わずに彼女のすぐ傍を通り抜けようとする。

 だが、真横を通り抜けすれ違おうとした瞬間、アンジェリカはジョージのスーツの袖口を掴んで先に進むことを制止して言った。

「あの2人の元に向かうのを止めはしないわよ。けれど、もう少しだけ待って。もう少しだけで良い。」

 制止されたジョージはなぜアンジェリカがそのような行動を取るのか理解できなかった。意味のある行動には思えなかった為、そのまま振り切って先へ向かおうかとも思ったが彼女が袖口を掴んだ手が震えているのを見て考えを改めた。

「分かった。従おう。」そうして彼女が良いと言うまでその場で待つことに決めたのだった。


                 * * *


 警察の特殊部隊との激しい抗争を終えたアルフレッドとベルンハルトの目の前に現れた修道女は確かにこう言った。

 自分達が相手になると。

 言葉の意味は理解出来るが行動の意味が理解できなかったベルンハルトは思わず聞き返した。

「お前らが俺達の相手をするだと?気は確かか?それとも冗談を言っているのか?それなら生憎と笑うことも出来ねぇぞ。女をいたぶる趣味は無い。」しかし、相手をしっかりと見定めたアルフレッドは前のめりになるベルンハルトを制止しながら言った。

「止めておけ。性別なんざ関係ない。この女からはあのガキと同じものを感じる。勘が叫ぶんだよ。こいつはやべぇってな。それ以上一歩でも前に踏み出したら、お前死ぬぞ。」

 アルフレッドが冗談を言うとは思えない。言葉からも真剣に言っていることを汲み取ったベルンハルトは態勢を戻してその場に立ち尽くした。

「あら、良い感覚をされていらっしゃいますのね。であるならばお話も早く進むというもの。ですが、わたくし達は貴方がたの命を奪おうとは考えておりません。万物における命の尊さは我らの主によって説かれているもの。わたくし達は貴方がたに手を差し伸べる為にこの場に参りました。」

「手を差し伸べるだぁ?やっぱり気が狂ってんのか?お前達は教会の人間だろう。人を正しく導く職務を生業にするような輩が悪党を目の前にして言う言葉とは思えねぇな。」

「言葉で言って聞かぬなら、力づくでもこの場から引きずり出すまでのこと。」自身の言葉に対して悪態をつくベルンハルトに嘲笑を浮かべながらロザリアは言った。しかし彼に対しては目が笑っていない。

 口を閉ざす二人を前に話を続ける。

「さぁ、それほど時間があるわけでもありませんわ。貴方がたの命を狙っているのはアヤメさんだけではありませんもの。第六の奇跡よりも先にその命を脅かす存在がすぐそこまで迫っていましてよ?」

「差し詰め大統領閣下かあのガキのどちらかだろうな。だが、奇跡によって俺達が裁かれる様子を見たいと望んでいるあのガキがこの場で俺達を殺すとは思わねぇ。であれば答えは前者だ。大統領閣下がすぐ近くまで来ているというなら話は理解出来る。」

「そこの熊のような方と違って物分かりの良い方で助かりますわ。」ベルンハルトに向ける視線とは違い、ロザリアはにこやかな笑みをアルフレッドに向けた。

「誰が熊だ。てめぇも根本的にはあのガキと思考回路が一緒なんじゃねぇのか?」

「あぁ、申し訳ありませんわ。比較される熊が可哀そう…ですので訂正いたしましょう。そこの筋肉だるまさん?わたくしにはその子がどのような方かは想像の範囲でしか分かりませんけれど、同じだと言われると心穏やかというわけにも参りませんわね。」表情は穏やかだが、誰かと比較されたことに怒りを滲ませた声色でそう言うロザリアの周囲を包み込む空気の変化を感じ取ったベルンハルトは舌打ちをしながら視線を逸らして口をつぐんだ。

「えぇ、えぇ、それで良いのです。この先の通路を真っすぐに進み、警察へ投降なさってくださいまし。少々手荒に扱われるかと存じますが、変な気を起こされないように。…生きて余生を過ごされたいのなら。」

「上等な脅しだな。つまり今ここで息絶えるか、もう少し生き延びてから息絶えるか決めろということだな。だが残念な二択だ。今の俺達には選べる答えは最初から一つしか用意されていない。」後者しか選べないと悟ったアルフレッドは観念して言う。

「ご名答。分かっていらっしゃるのであればどうぞそのまま通路の先へ。」

 アルフレッドは目の前で語り掛ける女の後ろに控えるもう一人の女に視線を送る。直感で分かる。奴もおそらくは “同類” だろう。下手な行動をすればそれこそ自らを姫と呼ばせたあのガキと同じように、自分達を瞬殺するだけの何かをしでかすに違いない。

 これより先に一歩でも踏み入ればおそらく奴らの間合いに入る。目の前の2人がそこから一歩も近付いてこないのが良い証拠だ。その辺りも含めた “上等な脅し” である。

 つまりそこで変な気を起こしたが最期、文字通りこの地下が自分達の墓標となるのだろう。

 手に持っていた銃を通路後方へ投げ捨て、両手を頭の後ろに組んで投降の意志を示しながらアルフレッドは歩き始めた。

 続いてベルンハルトも同じように銃を捨てて頭の後ろに手を組み歩く。

 マルティムの2人がヴァチカンの2人に近付き、アルフレッドがロザリアとアシスタシアの横を通り抜け、ベルンハルトも大人しく同じように通り抜けるかと思われた。

 しかし、ロザリアの横を通過する瞬間後ろに組んでいた腕の内片方をロザリアの顔面目掛けてベルンハルトは振り下ろした。


 馬鹿が。アルフレッドは内心でそう思いつつも見て見ぬふりをすることにした。


 黙って従うのは割に合わねぇ。そう考えたベルンハルトは、目の前の女が地に突っ伏せる光景を想像しながら今自分に出来る最大の一撃を見舞った。

 直撃すれば顔の骨を砕く程度は出来るだろう。そうすればその美しい顔は二度と復元出来ないに違いない。ものが歪む光景というのはなんとも胸が弾むものだ。

 自分の口にしたことを一生後悔させてやる。そう思っていた。そう思っていたはずだったのだが、結果は違ったものとなる。

 突如ベルンハルトの腕の関節を激痛が襲った。肘から痺れるような痛みが腕全体に広がる。まるで無意識に関節部の骨を固いものに強打したときのような痛みだ。

 何が起きたか理解するのに時間がかかったが、どうやら喋っていた修道女の傍らに控えていたもう一人の女が “何かした” らしい。何をされたのか視界に捉えることすら出来なかったが、奴の無機質な視線が自分を捉えて離さない。

 あまりの痛みに腕を押さえながら苦悶の表情を浮かべるベルンハルトの様子を見やってロザリアは言った。

「体を覆う筋肉量が多すぎて関節の可動域が常人よりも狭い貴方が、その距離からわたくしを狙うのは悪手というもの。それに申し上げたはずですわよ?変な気は起こされないようにと。筋肉だるまさん?」

 痛みに呻くベルンハルトをアルフレッドは呆れ顔で見やり大きな溜息を吐く。

 その後、マルティムの2人は修道女へ視線を向けることはなく指定された通路の先まで歩いて行った。


                 * * *


 あれから数分の時が流れた。

 互いに一切言葉を発することなく薄暗い静寂の中で佇む。

 そしてついにアンジェリカはジョージのスーツの上着の袖を離して言った。

「もう良いわ。いきなさい。」

 ジョージは何も言わず再び歩みを進める。だが、前に進みながらふと考えた。


 彼女は今何と言った?


 “行きなさい” と言ったのだろうか、それとも “生きなさい” と言ったのだろうか。

 気になったジョージはアンジェリカへ真意を尋ねるために後ろを振り返る。しかし、そこには既に彼女の姿は無かった。

 なぜこのタイミングで自身の目の前に姿を現したのだろうか。最初はマルティムの2人の元へ向かう自分を殺害する為に現れたのだとばかり思ったが、事実はそうではなかった。

 そして最後の言葉。

 考えても仕方ない。今自分が考えなければならないのはもっと別のことだ。

 この通路の先にあるもの。彼らが警察の特殊部隊と争った後に何が残されたのか。それを確かめる必要がある。

 もし仮に彼らがまだその場にいたとしたらその時は…


 そんなことを考えながらジョージはB1区域の通路を歩き進め、マルティムの本拠地があると思われる部屋の通路へと繋がる最後の曲がり角を曲がる。

 そして突き当りの三叉路になっている角の脇で一旦停止し、周囲の状況を確認した。

 爆発によって巻き上げられた煙だろうか。薄っすらと白いもやが辺りに立ち込め臭いも酷い。これは構造物が破壊されたことによる臭いだけではない。硝煙の臭いや何かたんぱく質が焼かれたような臭いまで立ち込めている。

 恐る恐る三叉路の角から顔を覗かせて先を見据える。その時目に飛び込んできたのは、両手を後ろに組み通路の先に向かって真っすぐに歩いて行くマルティムの2人の姿と思われる人物達の影だった。

 通路の先へ向かい、2人が煙の中に消え去った後には特殊部隊の隊員と思われる者達の怒声が飛び交った。恐らく2人を激しく押さえつけて拘束したに違いない。

 奥の様子に気を取られていたジョージであったが、ふと自分のすぐ真横を誰かが通過する気配を感じ取って慌てて顔を向けた。

 顔を向けた先にはヴァチカン教皇庁から派遣された使者であるロザリアとアシスタシアの姿があった。

 青い瞳の聖職者は通路を通り過ぎる瞬間、その美しい瞳をジョージへと向けると何も言わずに不敵に微笑んでみせた。もう一人の聖職者はすまし顔のまま、視線を前に向けたままロザリアの後に続いていく。


 気付いていて何も言わなかった。彼女達とて警察と共に行動をしているということは自分が薬物密売事件の主犯の1人であると知っているはずだ。

 見逃された?いや、何か他に意味や意図があるのだろうか。

 だが今はそんなことはいい。マルティムの2人が拘束されたという事実さえ分かれば他に見るべきものはない。

 この場に留まれば現場を再捜索に訪れるであろう特殊部隊に拘束されるに決まっている。

 通路から覗かせた顔を静かに隠したジョージはすぐに踵を返して元来た通路へと歩き去った。


                 * * *


 ウィリアムとウォルターの2人は分断されたC2区域とB1区域の境目となる場所から地上へと急いだ。

 大統領府の中にある通路入り口とは別に設けられている出入り口から地上へと出ると、すぐに揃ってチームαの司令部がある場所へと向かう。

「大尉、すまなかった。状況を報告してくれ。」現場へと戻ったウォルターは自分が留守をしていた間に何か動きがあったかを尋ねる。

「中佐、悪い報せです。チームβの特殊部隊は地下へ侵攻後にマルティムのビズバールとヘカトニオンの両名と交戦状態に突入。機構より貸し出されたドローン4機の内3機は大破、突入した特殊部隊50名のうち35名が死傷したと報告が入っています。」包み隠さずに大尉は詳細を伝えた。


 なんてことだ。ウォルターは自身の顔面から血の気が引いていくのを感じた。

 プロジェクト・シルゥにおける第一段階は現在までの所失敗だと言わざるを得ない。

 大統領府にいたはずの大統領を取り逃がし、さらに2人しかいないマルティムのメンバーを50人の特殊部隊で襲撃した結果返り討ちにあったという。

 すぐに次の手を打たなければ。時刻は午前11時に近付いている。

 このまま彼らを取り逃がしたまま正午を迎えるわけにはいかない。

「大統領は大統領府館内の秘密通路から地下のB1区域だ。チームβに付近の出入り口を全て封鎖するように指示をしてくれ。加えてチームαも地下と地上を繋ぐ全ての出入り口の封鎖を行う。急げ。」

「はっ!」

 ウォルターの指示を受けた部下たちが慌ただしく動き始める。

 しかし、その直後に通信員が新たな状況変化の報告を携えてやってきた。

「中佐、チームβより報告です。マルティムの首領、ビズバールとヘカトニオンの両名を拘束に成功、既に移送車への搭乗を完了させたとのことです。」

 ウォルターは内心で安堵した。これで第一段階における半分の任務は達成できた。

 残るは大統領だ。未だ地下に潜伏していると思われる彼を見つけ出しすぐに拘束する必要がある。

 先の地下で自分とウィリアムへ攻撃の意志を見せたことにより、公務執行妨害の現行犯として強制的に拘束することも可能となった。

 今、大統領はどこにいるのか。


「大統領はまだ地下にいるはずだ。ポイントB1からC2へ繋がる通路を中心に捜索を行わせろ。機構より借り受けたドローン1機も引き続き内部探索に当たらせるんだ。」

「承知しました。」

 矢継ぎ早に指示を出したウォルターはウィリアムへと視線を送る。

 この後に大統領が取る行動として一番可能性の高いものを考えるならば、当てずっぽうに考えるよりも彼に聞くのが一番正確だろう。

「アンソン秘書官、大統領の身柄拘束に協力してくれたまえ。」

 ウォルターの懇願するような申し出にウィリアムは静かに同意した。


                 * * *


 地下区画ポイントB1区域とC2区域を結ぶ連絡通路。先程自らの意思で非常用シャッターで分断したポイントにジョージは戻っていた。

 この位置から移動することの出来る場所は限られている。A2区域へ向かう通路を通り抜けてコロニア市内に向かうメインストリート脇へ抜けるか、E6区域へ向かう通路へ向かいコロニア市内とは真逆の方向となるメイラップ方面へ向けて移動するか…又はC1区域へ移動して大統領府近辺へ戻るか。

 いずれにせよ警察に捕まらないように地上に出るのはもはや困難な道のりとなってしまった。

 ジョージは通路の壁にもたれかかり上がった息を整える。この年齢で動き回るというのは思った以上に体に響くものだ。

 精力的に各島や各地を訪問していた頃が懐かしく感じられる。よくやっていたものだと思う。

 重たい体を引きずりながら遠いメイラップへ移動することもコロニア市へ移動することも現実的ではない。

 となれば目的も見失った今となっては潔く大統領府へ戻り、抵抗せずに警察に拘束される道筋が一番だろう。

 長い人生の結末がこのようなものになろうとは。冷たい地下の壁に体を預け、自分に用意された末路を鼻で笑った。

 ジョージがこの国の未来を思いながら精力的に活動した過去の出来事についてひとつずつ回想していると、通路の奥からコツコツと誰かが歩み寄る靴音が聞こえた。

 男の足音ではない。特殊部隊であればこのように柔らかい響きの良い足音は立てないだろう。

 音のする方向へ視線を向けるとそこには先程自身に不敵な笑みを浮かべた彼女の姿があった。

 いつも連れ立っているアシスタシアという少女は傍にいないようだ。

 疲れた体を休める話し相手には丁度よい。ジョージはそう思い立ち自ら彼女に話し掛けた。

「やはり私を捕まえに来たのかね?」

「いいえ、わたくしにそのような権限はございません。少しお話がしたいと思って参りました。」

「まるで私が最初からこの場で動けなくなるのを見越していたかのような物言いだな。あぁそうだ。貴女は初めて会った時から私の全てを見抜いてしまっていたのだろう。違うかね?」

「ご想像にお任せいたしますわ。」

「政府と機構と警察という組織の間に入り、その全てを掌で転がした手腕は見事だった。」

「まぁ、人聞きの悪い。でも今なら構いませんわ。わたくしと大統領の2人しかこの場にはいませんもの。」誉め言葉とも皮肉とも分からぬ物言いに対してロザリアは笑みを浮かべて返事をした。

「思い返せばそう。奇跡の始まり以後に貴女方をこの地に呼び寄せた時点で私の敗北は決定的だったのだな。いや、呼び寄せなくても彼女の奇跡で焼かれるであろう身であることに変わりは無いか。」

「全ては神の御心のままに。故に、今日という日に貴方様の命が絶たれるということはないと断言致しましょう。機構の皆様が彼女の奇跡を必ず止めてみせるはずですもの。彼女の奇跡は神の意向に沿うものではない。我らの主が望まれる奇跡の有り様とは異なります。」

 ロザリアの強い意思に満ちた言葉を聞いてジョージはふと機構に在籍する少女の顔が頭をよぎった。

「イベリス、か。敢えて聞かずにいたが…総大司教ベアトリス、貴女も彼女と同じような存在ではないのかね?」

「ふふふ、お戯れを。」肯定も否定もすることなくジョージの質問を煙に巻く。

「否定しないのだな?まぁよい。この期に及んでまで追求しようなどとは思わない。それで?私と話したいと思ってこの場に来たのだろう?何か聞きたいことがあるのではないのかね?」

「なぜ、あの子の口車に乗ろうなどと思われたのですか。貴方ほどの情熱を持った聡明な方が、なぜ?」

 そう言う彼女は穏やかな表情を浮かべてこそいるが、その瞳の奥に悲哀の念を浮かべているようにジョージには感じられた。

「なぜ…なぜだろうな。あのような得体の知れない小娘の戯言を一国の大統領がまともに取り合うなど、本来有り得てはならぬことだと思う。」自らの選択を嘲笑う様に言ったジョージはそこで言葉を区切る。そして溜め息交じりにこう付け加えた。

「だが、その情熱というものが仇になったのかもしれないな。まず第一にあの娘の提案というものは世界中のどんな国々が提案してくる経済援助よりも実用的で魅力的だったのだ。さらに、一般的にハードマネーと呼ばれる個人献金として多額の資金援助を彼女は見返りを求めずに提案と同時に私に申し出た。」

「そして貴方はそれを受け取った。」俄かにロザリアの表情が険しくなる。

「いかにも。何かを作り上げるには資金というものが必要だ。何かを動かす為には資金というものが必要なのだ。言葉だけで人々や組織を動かせる場合もあるだろう。しかし全てがそうというわけではない。誰かを動かすためには元手となる資金と投資というものが必要であり、私の描く希望を実現する為にはそれを避けて通ることは出来なかった。」

「彼女の資金援助の申し出を受け、彼女の言うことを聞いた結果として、最終的にこの国にマルティムという薬物密売組織を招き入れる事態に繋がってしまったというわけですのね。」

「私がそれに気付いた時には既に手遅れだった。何もかも。」

「そうですか。では最後にひとつだけ。あの子が貴方に何かを強要したということは?」

「ない。断言しよう。私は自らの意思で彼女の申し出を受け入れ、提案に乗った。全て私の意思で決めたことだ。」

「分かりましたわ。お話くださってありがとうございます。」話を聞き終えたロザリアはそう言って一礼をするとすぐに後ろを振り返り歩き出す。

「あの娘のことを気にかけているのだな。アンジェリカのことを。」その場から立ち去ろうとするロザリアに向けてジョージは言った。

「まさか。お戯れを。」彼の言葉にロザリアは立ち止まるものの、振り返らずに返事をしてそのまま歩き去った。

 穏やかな笑みを常に浮かべる彼女らしくない光景だとジョージは思った。

 そしてロザリアが歩き去った後、今からの自分の身の振り方について再度思案する。一度目を閉じて深呼吸をし、心を落ち着かせる。

 そっと目を開け、これからの行動を心に決めるとあちこち痛む体に鞭打ちながらC1区域へと向かって歩き出す。

 どこへ行こうとこの身に待つ結末が変わらないのであれば、自身の責務を最後まで果たすべきであろう。

 同時に、 “いきなさい” と言った彼女の言葉に従ってみようと思った。

 帰るべき場所に帰ろう。

 既に大統領府へ戻っているはずのウィリアムはどんな表情をするだろうか。そんなことを考えながらジョージは薄暗い地下通路を歩き続けた。

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