第43節 -プロジェクト・シルゥ-

 運命の日まで残り1週間。

 ミクロネシア連邦ポーンペイ州ではメディアや国民の会話を含めてそのほとんどが第六の奇跡に対するもので染まっていた。

 第五の奇跡で焼かれた建物がマルティムに関連する施設であったと警察から発表された直後から国民の間では神の裁きが下されたという歓喜の声は鳴り止まない。

 中にはアヤメを神格化するような過激な集団も登場し始めており、日に日に警戒態勢が強められる事態にまで発展している。

 最後の奇跡では必ずやこの国に災厄をもたらした密売組織そのものを壊滅させる神の鉄槌が下ると誰もが信じ、来たる10月13日を前に奇跡に対する熱は高まりの一途を辿っていた。


 奇跡の回を重ねるごとに過熱する民衆の様子に懸念を抱いていた政府は、第五の奇跡の直後から厳しい入出国規制を敷くに至り、海外からの観光客の受け入れも停止している。

 観光目的で入国していた人々は即時に国外への退去を行うよう命じられており、10月6日現在において、この島にはポーンペイ島で元々暮らしていた民の他には各国大使館や機構のような正当な公務、並びに特殊な事由によって入国している者のみが残っている状況である。

 当然これらの措置はポーンペイ州のポーンペイ島に限った話ではない。チューク州やヤップ州、コスラエ州といったミクロネシア連邦を構成する他の島々でも同様の措置が取られている。


 そして10月6日、月曜日の午前10時。

 世界特殊事象研究機構 太平洋方面司令 ミクロネシア連邦支部では警察とヴァチカン教皇庁の使者を交えた最後の会議が行われている最中だ。

 支部の中において特別な権限を持つものしか立ち入ることが許されない機密会議室の円卓をリアム、ハワード、ジョシュア、ルーカス、フロリアン、玲那斗、イベリス、ロザリア、アシスタシア、ウォルターが囲んでいる。

 アヤメの奇跡を止め、マルティムを瓦解させた上で大統領の身柄を拘束する為の計画。その一部始終がこの会議によって決まろうとしていた。


「では次に各組織の行動について事前に擦り合わせておくべきポイントの確認を行う。モーガン中尉、頼む。」ハワードが言う。

「承知しました。まず奇跡の当日の流れですが、アヤメ・テンドウさんによる第六の奇跡が始まるよりも先にマルティムの首領であるビズバールとヘカトニオンの両名の身柄を警察によって先に確保することから開始されます。」ハワードに指名されたリアムはモニターに当日の各組織の動きの順序をまとめた資料を表示しながら説明する。

「我々の標的は2つ。マルティムの2人と大統領だ。この内、優先するべきはマルティムのビズバールとヘカトニオンとなる。大統領とマルティムの関りを暴く為には組織を牛耳っている人間の証言は非常に有効だからな。言い換えれば、大統領との繋がりを証言出来る人間が既に彼らしか残されていないことも意味している。」ウォルターが説明を補足した。

 その後、リアムはマルティムの本拠地について説明する。

「彼らの潜伏先は首都パリキール、旧政府合同庁舎及び大統領府付近に設置されている国の独立を記念する大型のモニュメントの地下にあります。地下に広がる巨大な空間は、元々連邦政府が災害などの有事に備えて用意した国民の非難区画、そして非常物資の貯蔵庫として利用されるはずだった場所です。しかし準備が進められたものの使用計画は凍結、実際に使用されることも無く長年にわたって放置されたままとなっている空間でもあります。」

「内部の構造について、公式資料としては建設当時の図面などしか参考に出来るものはないが、我々機構が過去に災害時の緊急対応に関する訓練に参加した際に入手した資料を合わせて見ると、建設当時の図面には見られなかった区画がいくつか存在していることが判明している。」ハワードが補足を加える。

「灯台下暗しとはよく言ったものですね。政府中枢の地下に敵の本拠地があるだなんて普通は誰も思いもしません。」

「だからこそ我々警察の調べでも見つけ出すことが出来なかったわけだ。いや、それ以前に手を出すことが絶対に出来ない領域でもある。ヴァチカンのお二人から意見をもらわなければ今でもマルティムの本拠地は不明のままだっただろう。」ルーカスの言葉にウォルターが答える。それに対しロザリアはただ一言だけ言った。

「お役に立てて何よりでございます。」

 続いてリアムが地下内部の情報を話す。

「地下には広大な空間がありますが、その中でもマルティムが利用しているとみられるのはポイントB1と呼ばれる区画にある部屋です。この区画からはコロニア市の裏通りや島の外周を走るメインストリートへもアクセスしやすい。運び屋や売人の移動にはもってこいの場所で、この区画を通じて移動を行っていれば監視カメラなどの警備の網にかかることもありません。」

「先日の第五の奇跡で焼き払われたエニペインの貯蔵庫に向かう為のメインストリートへも抜けやすい位置にあるな。港や陸路に対する利便性も良好で監視の目を潜り抜けるという意味でも地下空間の中において絶妙な位置にある。」ジョシュアが頷く。

「10月13日の早朝から準備を進め、多くの人々がナン・マドール遺跡に移動を完了するであろう午前10時頃に地下への突入を開始します。状況を見て時刻は前倒しにする可能性もあります。マルティムの頭である2人が潜伏する位置を探り捕らえることが出来れば作戦成功です。しかし地下の中の状況は未知数です。その場所がどうなっているのか、また何が仕掛けられているのかわかりません。人的被害が及ぶ可能性も鑑み、最初の突入は我々機構が持つ自走式観測ドローン4機を流用して対処にあたらせることとします。」

「本来であれば自然災害や異常気象、食糧危機や難民問題など以外に関する国家内の犯罪捜査に我々が関与することは決して出来ない。だが9月早々に政府と警察と我々の間で情報開示協定を結んだ折に一連の事件に関する協力協定を事前に結んでいたことで実現した話だ。機構の備品であるドローンを連邦警察へ供与することについては既にセントラル2の了承も得ている。用意できる数に限りはあるが。」リアムの話にハワードが補足する。

「装備の少ない我々にとってはありがたい話だ。この場を借りて深く感謝申し上げる。」ウォルターは機構に礼を言うと地下突入時の計画について具体的な話を付け加えた。

「当日はマルティムの頭を捕らえる為にポイントB1に対応する部隊と、大統領へ向けた部隊を別々に組織して動かす。国会会期ではない現在は大統領の不逮捕特権も無い為、内乱罪を適用しての逮捕を行う。私は大統領側の部隊に回るようになっている。マルティム側には信頼できる部下に指揮を任せ特殊部隊を配置して対応する。」

「次に機構側の動きについてですが、基本的には第五の奇跡の配置と同様です。ウェイクフィールド少佐の指揮するメタトロンを旗艦とする艦隊の他に複数の調査艦隊をナン・マドール遺跡を中心とした半径40キロメートル地点に展開させ、海洋上から周辺海域の監視目的でトリニティを飛行させることで警戒態勢を敷きます。」リアムが言う。

「奇跡が起きている最中はポーンペイ島内部の電子機器は軒並み使用不可の状態に陥ることが第五の奇跡でも確認された。我々機構の持つ機材の一部は電磁波シールドを搭載している為ある程度の運用も出来るが完璧ではない。敢えて島外から離れた海洋に展開する目的はある種での保険だ。電磁干渉を受けずに行動できる部隊が存在していた方が良いという判断も兼ねている。」ハワードがいう。

「奇跡の途中に30キロメートル地点へ近付けば無差別な雷撃の餌食ですからね。最初からその地点を超えた場所で自由に行動できる艦隊を配置しておけば万一の備えにもなります。」

「我々洋上艦隊が動く時は有事の際だ。よって、艦隊が本当の意味で何もしないまま作戦終了することを切に願う。」リアムの補足にハワードは頷いた。

「ナン・マドール遺跡を中心とした奇跡に直接対処するのはマークתの役割です。姫埜中尉とイグレシアス三等隊員、ヘンネフェルト一等隊員がナン・マドール遺跡で直接対処を行い、ブライアン大尉とアメルハウザー准尉はペイニオットにてそのサポートをして頂きます。具体的な奇跡の停止方法に関しての詳細は機構の機密保持の観点から割愛するものとします。」

 イベリスの持つ神の如き特殊な能力をもってアヤメ、及びアイリスの奇跡に対抗するなどという話をウォルターにするわけにはいかない為に、機密保持を名目としてリアムはそれとなく話を流す。

 当然、そのことを承知しているロザリアやアシスタシアも何ら反応を示すことは無い。

「機構が奇跡を停止する頃には我々の行動も決着しているだろう。成功すれば神罰という名の奇跡が破綻することで向けられる国民の怒りの声が拡散する心配もない。計画の成功を祈る。」ウォルターもリアムの話を受け入れた様子で言う。

 計画における当日の行動の概要が三者で共有できたことを確認し、会議が終わりに向かう中でウォルターは言った。

「本計画の行動内容に関する共有は以上だな。それと外部での会話などで本計画を話す際などにおける便宜上、この計画に勝手ながら名前を付けさせてもらっている。以後、本計画を【Siluh〈シルゥ〉】と呼称したい。」

 その単語が示す意味について、唯一即座に意味を理解出来たリアムが言う。

「シルゥとはポーンペイ語で数字の3を表します。」

 ウォルターは頷いて答えた。

「今回は警察、機構、ヴァチカンという3つの組織による共同計画であること。奇跡の停止、マルティムの瓦解、大統領の拘束という3つの戦いに勝利するという目的を持つこと。そしてポーンペイ、ナン・マドールの伝説において苛政を敷いたシャウテムォイ王が治めるシャウテレウル朝を英雄イショケレケルが滅ぼした際に共に戦った仲間の人数が333人という数字であることに由来して計画名を決めさせてもらった。また、単純な数字の呼称であれば外部の人間が耳にしたとしても何を意味するのか理解することは出来ないだろう。重要なのは3という数字だ。三者間で共有する際のコードネームはSiluhで統一するが、各組織内の会話で用いる際にシルゥで不自然さが出るのであれば英語のThree〈スリー〉でもドイツ語のDrei〈ドライ〉でも言い換えてもらって構わない。特に多国籍の隊員たちから成る機構はその方が自然だろう。」

 ウォルターの説明に全員が納得した様子を示した。

「では、計画における行動共有の会議は終了とする。私はすぐに部隊組織と細かい調整を行うので失礼させてもらう。皆の健闘を祈る。」

 機構の隊員は挨拶の代わりに敬礼を送り、ヴァチカンの2人は礼をする。

 ウォルターも全員に敬礼をし、静かに部屋を後にした。

「私と少佐はイサム中佐を外まで案内した後に計画の細部調整を行いますのでここで抜けますが、マークתとヴァチカンのお二方はお話を継続されてください。」

 リアムはそう言いハワードを伴ってウォルターを追って会議室を出た。



 会議から3人が抜け、マークתとヴァチカンの7人のみが残る室内で口火を切ったのはジョシュアであった。

「司教ベアトリス。先日は玲那斗とイベリスの危機を救ってくれたそうだな。仲間の一大事を助けてくれたことに礼を言う。」

 9月28日にアンジェリカによる襲撃を受けた2人を助けてくれたことに対してジョシュアはロザリアに礼を伝えた。

「わたくしは必要な務めを果たしたに過ぎません。お二人は今回の計画において核ともいうべき重要な大役を担うのですから、それをお守りするのは当然のことですわ。」ジョシュアへ穏やかな視線を送りながらロザリアは答えた。

「ここに至ってまで使命や務めというのはやめにした方が良い、司教様。」ロザリアとアシスタシアの丁度対面に座るルーカスが言う。

「2人を守ってくれたことは俺からも礼を言いたい。いや、隊長や俺だけでなくフロリアンも含めてマークת全員からだ。」視線こそ合わせないものの、ルーカスはロザリアに対して初めて皮肉以外の素直な言葉を伝えた。

 その様子を見たロザリアは一瞬だけ驚いたようなそぶりを見せたが、ルーカスの心の内にあるものが本当の感謝の心だと分かったのかすぐに穏やかな笑みを浮かべた。

 続いてロザリアの隣に座るイベリスが言う。

「ロザリー、私達が懸念しているのはアンジェリカの動きよ。あの日あった出来事はみんなと共有しているから、彼女が一体どんな力を使ってどんな行動をするのかについては私達全員が把握している。けれど、彼女の動向は私達には掴むことが出来ない。貴女は何か知っているの?」

「あの子の動向についてなら心配することは無いでしょう。少なくとも、わたくしとアシスタシアがこの地にいるというただそれだけで彼女に対する抑止となるのですから。そのことは彼女も身に染みて理解したはずですわ。」

「アンジェリカが私とロザリア様を指して “死神” と言ったことはある意味では正しいのです。いわゆる彼女にとっての天敵に違いありませんから。」ロザリアの言葉に加えてアシスタシアが言った。

「実際、アンジェリカという少女の力は厳密にはどのようなものなのでしょう。」フロリアンが問う。

「そうですわね、単純に言えばわたくし達リナリアに縁を持つ者達が使う特別な力を “全て使うことが出来る” というものになるでしょうか。エニグマ《謎》、そう呼ばれる力かと。ただし個々人の持つ能力には遠く及ばない程度でしか扱えませんけれど。以外に彼女が持つ特徴的な力はレイ・アブソルータ〈絶対の法〉。彼女が “こうだ” と定めた事象を彼女の都合の良いように現実のものとする。そんな能力ですわね。」

「それは驚きだな。 “絶対の法” か。計画の途中で唐突に干渉されると厄介なことこの上ない。」ロザリアの説明を聞いたルーカスが言う。

「先にも申し上げましたが、おそらく貴方がた機構に対して彼女が干渉をすることはないでしょう。むしろ心配なのは計画において貴方がたが絡まない部分に関してですわね。マルティムと大統領府への警察の権限行使。こちらを注視すべきだとわたくしは考えています。奇跡の停止を阻むことが出来なくなったのであれば、マルティムの瓦解を防ぐことで国民の怒りの声による混乱が起きることを求める。あの子はそういう思考をする輩ですもの。故に計画当日は警察の方々の側でそれとなく様子を見守ることに致しますわ。」

「宜しく頼む。警察がビズバールとベルンハルトの身柄拘束に失敗することは計画の失敗に等しい。」ロザリアの意見を聞いたジョシュアが頷きながら答えた。

「任されましたわ。」そのジョシュアの返事にロザリアは笑顔で言った。

「ロザリー、もう一つ尋ねても良いかしら?」イベリスが言う。

「えぇ、何なりと。」

「9月に裏通りで起きた警官2人に対する襲撃事件、そして28日の夜に裏通りで起きたバラバラ殺人事件。これらの事件にアンジェリカは関与しているのかしら。」重たい表情を浮かつつ真剣な眼差しでイベリスが言う。

 ロザリアは少しの間どう言葉を紡ぐか迷った様子を見せるがはっきりと言い切った。

「以前と同様、神のみぞ知ると申し上げたいところですが、あの子が関与している…いえ、あの子自身の手によるものであると断言して良いでしょう。彼女にとってはただ自身の欲求を満たす為の行いに過ぎないのでしょうけれど。」

「欲を満たす為に殺人を犯すだって?」眉をひそめながらルーカスが言う。

「それをご理解頂く為にはリナリア公国出身の子供たちの話からしなければなりませんわ。全てをお話するわけには参りませんが、わたくしやイベリス、アイリスといったリナリア出身の者達は基本的に貴族の子供として比較的自由に生活を過ごしていました。当然、伝統に基づいた厳しい教育が各家庭にあったことは事実ですけれど、それでも他の家の子供と遊んだりする自由などは保障されていた…ですがアンジェリカの場合だけは事情が異なります。」ロザリアは言葉を選びながら話す。それについてイベリスが補足を加える。

「彼女にはおおよそ自由と呼べるものが一切なかった。生前に直接会う機会もほとんどなかったし、話す機会も無かったの。私達ですら実際の所、あの子のことはほとんど何も知らないに等しいのよ。」

「しかし、それだけでそのような狂気に身を堕とすとは思えません。」フロリアンが言う。

「もちろん。あの子がそう言った人として尋常ならざる狂気の道に至るには相応の理由がございます。彼女の家はリナリア公国における法を司る一族でした。そして法を破り、国家の秩序を著しく乱す者を取り締まる役目も担っていた。現代風に言えば警察と裁判所と刑務所の役を一手に引き受けていたようなものと言えるでしょう。美しさの裏に隠された汚れ仕事。表面上の “目に見えない” そういったものを引き受けていた家系です。その一族の次期当主となるには幼い頃から罪と罰というものについて深く知る必要がございます。故にアンジェリカは貴族としての振る舞いを教え込まれる以上に、その責務を果たす為の教育を徹底的に施されたとみて間違いありませんわ。法を破った罪人たちがどのような末路を辿るのか。幼い目で日常的にそうしたものに触れ続ければどうなるかなど想像に難くありませんもの。」

 ロザリアは敢えて言葉を濁すが、アンジェリカは罪人が日常的に裁きを受ける様子を眺めていたのではないかという。はっきりとは言わないが、裁きというものが現代でいう裁判のような言論での対話ではなく、暴力による拷問であっただろうことは誰にでも予想がつく。

「私達のように自由な人生を謳歌している者達と自分の境遇をあの子が比較したとして、その時どのような感情を抱くのかも理解できる。」声のトーンを落としながらイベリスは言った。

「そうか、だからあの時…」イベリスの言葉に玲那斗ははっとした様子で呟いた。

「そうよ。あの一言が彼女の逆鱗に触れた理由はきっとそう。 “図星” だったのね。世界が混乱する様子を見て楽しんでいるという彼女の言葉に対して、私は “ただの八つ当たり” だと言った。」

「意識していたかどうかは定かではございませんが、誰よりも自分のことを “理解してくれる” と思っていた方から突き放されたことがよほど堪えたのでしょう。千年経っても、自分の本心を誰にも理解してもらえていないと考えたあの子は感情に歯止めが効かなくなりかけていた。」イベリスの言葉にロザリアが自身の考えを述べた。

「きっとロザリーとアシスタシアが止めに入ってくれていなければ私も玲那斗も今この場にいなかったわね。玲那斗は確実に殺されていたし、それによって私という存在も現世から消失していた。あの子が心に抱える葛藤というものは表面的に見せている姿とはまるで逆なの。」

「そうですわね。自身の抱える弱さを誰にも見せない為にあのように振舞っているとも言えますわ。そして他者を裁く瞬間にしか自分の存在意義や価値を見出せず、そうすることでしか心の隙間を埋められない彼女にとっては自身の敷く “絶対の法” によって自身が罪人だと認めた者を裁くことだけがまさに心が求める欲を満たす方法。彼女にとってのレゾンデートル。」

 イベリスとロザリアの答えに機構の面々は言葉を失った。快楽殺人だけがアンジェリカの欲求を満たすための方法論であるという。

「お二人はそこまで彼女のことを理解していながらなぜ…」フロリアンがそこまで言葉を言いかけた時、それまで話をしていたロザリアとイベリスに代わってアシスタシアが遮るように言った。

「あの子がそれを望んでいないからです。」

「どういう意味だ?」ルーカスが言う。

「わたくし達が彼女に言の葉をかけて同情するような真似をすれば、それはそれで彼女の逆鱗に触れることになりましょう。自由を謳歌してきた者達に何が理解できるのかと。知ったような口を利くなと言われるに違いありません。反対に彼女の行動を否定すれば彼女の “存在意義” そのものを奪ってしまうことに繋がる。」

「ルーカス、それはつまり “お前がこの世界に生まれてきた意味など最初から無かった” とあの子に告げるのと同義なのよ。」ロザリアの言葉の核心にあるものをイベリスはルーカスへ伝えた。

 リナリアの法の番人の後継ぎとして生まれ、育てられ、それしか知らない少女が “それ” を否定されれば人生の価値を否定されることに等しいという理屈だ。

 ジョシュアもルーカスもフロリアンも黙り込む。マークתの4人の中で直接アンジェリカと相対した玲那斗だけはロザリアとイベリスの言う言葉の意味が理解できるような気がしていた。

 理不尽ではあるが、知らずの内に恨まれていても不思議ではないようにも思えた。

「少々、お喋りが過ぎたようですわね。」ロザリアが言う。

「イベリス様の気にされている裏通りにおける事件については、おそらく何事もなかったかのように処理されて忘れ去られてしまうでしょう。メディアも報道に積極的ではありません。詳細を伝えれば伝えるほど混乱に拍車をかけるだけですから。」ロザリアの一言を受けてアシスタシアが話の本質をずらしながら言った。

「現場から少量のエクスタシーが押収されたことで殺害された人物が薬物密売人だったと報じられて以後、事件の悲惨さよりも奇跡による “神罰” だとのたまい喜ぶ人々の方が多いと聞く。今の国民にとっての敵とは即ち薬物密売に関わる人間すべてで、そこに加担する側の人間や組織は徹底的に吊し上げの対象と成り得るというわけだ。どっちに転ぶかわからない危険な話だと理解すればメディアだって触れたくはないだろう。」

「元々は凶悪犯罪そのものが起きることも無かった、穏やかで平和な国だったはずなのにな。」ジョシュアの言葉にルーカスが呟く。

「俺達が気を付けるべきはアンジェリカではなく、国民の視線と言い換えることも出来る。第六の奇跡の停止を目論む俺達も下手をすれば国民の敵だとみなされかねない。自分達が絶対的な善だと信じて疑わない者の行動は、自分達に負い目があると考える人間のそれよりも自制が効かない分、遥かに直接的で攻撃的なものになるからな。」玲那斗が言った。

「気にかける要素は数多くございます。皆さまにおかれましてはくれぐれもご用心を。」

 ロザリアはそう言うと席から立ち上がり、アシスタシアも即座に続いた。

「互いに伝えるべきことは伝えられたかと思います。残り1週間。短い期間ではございますが、引き続きよろしくお願い申し上げますわ。」

 機構のメンバーに対し、ロザリアとアシスタシアは一礼をすると静かに部屋を後にした。

 部屋に残った5人の間には重たい空気が流れたままだ。

 あと1週間。それで何もかもが終わる。

 うまくいってもいかなくても、10月13日という日が大きな区切りになることは間違いない。


 “目に見えるものだけが全てではない”


 アヤメという少女の体に顕現したアイリスという存在。彼女が起こす奇跡。

 警察とヴァチカンが数か月も前から用意していた計画。政府の目を欺くための演技。

 国の未来を情熱的に語っていた大統領の裏の顔。

 忘れ去られた地下に根を張る密売組織。

 完全なる悪として認識されていたアンジェリカという少女の本質。


 その場にいた全員が言葉の意味を考えながら間近に迫った “終わりの日” についての思いを巡らせた。



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