第36節 -奇跡の正体-

 支部のミーティングルームのモニターに映像が映し出される。太平洋上及びその上空から撮影されたナン・マドール遺跡の映像だ。

 一面に広がる青空。穏やかな海面。上空から撮影された映像には明るい太陽の日差しが降り注ぐ陽気に満ちた大海原の先にナン・マドール遺跡の姿が映し出されている。

 “同日、同時刻”。現地の映像によれば異常とも呼べる現象が巻き起こっている最中であるはずだが、特に何も記録されていない。

 ただ雄大な自然が平穏に記録されているだけであった。

 しばらくして映像が切り替えられる。

 同日、同時刻。今度はメタトロン艦橋から撮影された映像だ。

 そこに記録されていたものも全く同じ映像。彼方に広がる水平線が見えるばかりで何の変化も無い。

 つまり雄大な自然の姿以外 “何も記録されていない” ただの記録映像だった。


 9月14日。

 第五の奇跡の翌日、機構支部内にあるミーティングルームではリアムとハワード、そしてマークתの全員が揃って昨日収集したデータを元に検証を行っている最中だ。

「フロリアンの予想通りの結果というわけだな。彼女の奇跡の正体が掴めてきた。」全ての映像データの確認を終えたジョシュアが言う。

「彼女を中心とした半径30キロメートル、及び上空1,500メートルの広大な空間を覆う “何か” が有り、ポーンペイ島全域を覆うその何かの内側でのみ観測することが出来る奇跡。また、内側と外側に分断された状況において、内側では自然界では絶対に有り得ないほどの強烈な磁場が形成されており通信を含めて電子機器の類は軒並み使用することが出来なくなる。そういったところでしょうか。」奇跡の概要について判明したことをリアムが簡単に言葉にしてまとめる。

「雷撃、電気という彼女が扱う能力のキーワードから考えれば一連の現象に対して一つずつなら説明が可能な側面もあるかもしれない。彼女を中心として有り得ないレベルでの電磁界が構築されている可能性も有り得る。この分だと彼女自身がマグネトロンの機能の真似事を果たすだって出来るかもしれないし、誘雷も実際に成し遂げているわけだ。しかし、これだけの現象を引き起こすほどのエネルギーを用いておきながら、それが人体や生物、自然界には一切影響を与えていないというところが理解し難い。いずれにしても彼女自身が電気を発するという時点で科学的な法則を無視したデタラメな現象だ。」

「現代科学の限界を思い知らされるようでもどかしいですが、現状では全てを結び付けて結論をはじき出すことは難しいと言わざるを得ません。隊長のおっしゃるように彼女自身が電気を発する謎自体が現代科学では解明できませんからね。それと現地で実際に確認された現象の一つに対する推論ですが、彼女の声がマイクやスピーカーといった収音拡散装置に頼らず、その場に集まった人々全てに伝達された原理解明の手掛かりとしてプロヴィデンスから過去の研究データが提示されています。パルス状のマイクロ波を使用することで、人間の聴覚を介することなく直接音声を脳へ伝達する技術は近代に入ってアメリカで研究されていたようです。ただ、情報にまとまりがなく参考資料程度としての提示扱いとなっています。」ジョシュアの言葉にルーカスが答えた。

「アメリカの研究?アメリカでのその手の研究といえば九分九厘に軍事目的による研究だろうな。バイノーラルビート然り、兵士の深層心理に働きかけて何かしようという意図が見え透いているようだ。」アメリカの研究という単語を聞いたジョシュアがぼやく。

「聴覚を失った人々にとっては良い研究となるかもしれません。」すかさずルーカスが言う。

「それが良い。そうであることを祈るよ。」苦笑気味にジョシュアは言った。

「ジョシュアや准尉の言う通り、現時点において全ての現象を論理的に解明しようとすることは困難であり、その答えを得ようと追求に時間を掛けることはとても得策とは言えないだろう。何より埒が明かない。だが、 “事実” として様々なデータを積み重ねることが出来たのは有意義なことだ。一か月後の奇跡に抗する手段として非常に重要なデータが揃ったことに違いはない。さて、その点において我々が今確認しなければならないことは一つ。そろそろ意見を聞かせてもらえるかな?イベリス。」煮詰まらない議論を重ねることよりも核心の方が大事だと言わんばかりにハワードは言い、全員の視線がイベリスへ集まる。

 ナン・マドール遺跡において彼女の近くから奇跡に対する干渉を試みた結果についての報告を求められたイベリスは口を開く。

「えぇ、お話します。でもその前に彼女についてひとつ話しておきたいことがあります。」

「何か気付いたことでも?」ハワードが言う。

「いいえ、気付いたのではなく彼女が直接私に教えてくれたことよ。一週間と少し前、夜中に彼女と話をしたわ。」

「夜中に?彼女と?」怪訝そうな表情を浮かべながらハワードは視線を玲那斗に向けた。玲那斗は知らない話だという様子で首を横に振る。

「ごめんなさい。この話は玲那斗にもしていないの。 “私達” が心に留めておくべきことだと思ったから。」


 そう言ったイベリスは9月5日の夜に自身とロザリア、そしてアヤメの3人で海沿いの広場に集まって話をしたことを伝えた。

 アヤメの中にもう1人、リナリア公国の出身であるアイリスという少女がいること。

 奇跡はアヤメとアイリス2人の願いであること。

 そして彼女に言われた “目に見えるものが全てではない” という言葉のことなど。

 

 話終えたイベリスにジョシュアが言う。

「常識として考えれば到底納得できる話ではないが、今までのことを鑑みれば否定も出来ないか。ここまでリナリアの絡みが増えてくるともはや偶然とは言えないな。事件そのものに何か必然性のようなものを感じる。」

「つまり薬物事件や奇跡よりもっと根本的な前提として、何者かがリナリアに関わりを持つ人々を集める為にわざと事件を起こしていると?」ハワードは言った。

「そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。そのことについても真実の追及は出来ないだろう。棚上げせざるを得ないが気にかけておくのも悪くはない。案外、そのことが良い方向に向く力になるかもしれないからな。」

「その通りです。彼女が私と同郷であるということは良い意味に働くかもしれないわ。」ジョシュアの言葉にイベリスは答え、さらに話を続ける。

「彼女の奇跡に干渉できたのかどうかという点について、その答えは “YES” よ。」

「具体的にどう干渉してどういう結果が得られたのか説明してくれないか。」ルーカスがイベリスに言った。

「もちろん。まず、誰もが懸念している雷撃による殺戮を止めることが出来るのか。このことが一番の争点になると思っているのだけれど、干渉は可能だった。彼女が放ったと思われる雷撃の内のひとつだけ軌道を逸らしたわ。」

「観測結果としてエニペインにだけは2発の雷撃が落ちたと報告されている。そのことか?」

「詳しい土地の名前は分からないけれど、おそらくその場所なのでしょう。私と玲那斗がいた位置のちょうど後方に位置する場所ね。一撃目で目標を外したことからすぐに二撃目を放ったのではないかしら。」

「彼女がどの場所に雷撃を落とすか分かると?」

「そう。それが良い方向に働く力といえるわね。私には彼女の仕掛けがよく理解できた。いつ、どの場所からどのタイミングで何が起きるのかを感覚として読み取ることが出来たの。ただし、そんなに明確なものではなくて勘というようなものなのだけれど。」

「十分だ。彼女の力が働く場所について何か周囲と異なる感覚があるということだな?」問答による明確な回答を得たルーカスが言った。

「そうね。みんな風に言うとセンサーのようなものが空間に設置されているというのかしら。おそらく科学的な数値で読み取ることが出来ないような類のものが空間に浮かんでいると言ってもいい。彼女は予めそういったものを特定の場所に配置しているの。自身の背後にある景色もそうだし、雷撃を加える場所の上空についてもそう。そういった目印になるものを置いて、奇跡と呼ばれる現象を起こす瞬間に力をそこに注ぎ込んでいるようなイメージだと思う。」

「つまりそのセンサーを狂わせるか破壊してしまうことで奇跡は防ぐことが出来ると?」ハワードが思い至る結論を述べる。

「その考え方で間違いない。彼女が配置するセンサーの役目を果たすものを私の力で使用できなくするか狂わせてしまえば奇跡を止めることが出来る。そうね…仮に〈ポイント〉という呼称をした方が適切かもしれないわ。彼女の意思を受け取るセンサーの役割と、雷撃を発生させる基点にもなる何か。」

「ポイントの破壊、か。けど、それはアヤメちゃん自身に簡単に見抜かれて対処されるんじゃないか?事実、彼女はエニペインの目標を外したことを瞬間的に察知してすぐに再攻撃している。」イベリスの考えに玲那斗が異議を唱える。

 彼女が異常を感知して修正できるのならば完全に奇跡を停止することは難しいのではないかということだ。

「それなら勝算があるわ。よく考えてみて欲しいのだけれど、彼女はなぜ1か月の間に1度しか奇跡を起こさないのだと思う?」

 イベリスの言葉に全員が黙り考え込んだ。おそらくはすぐに全員が同じ結論に至ったはずだが、答えの口火を切ったのはやはりフロリアンだった。

「準備に相応の時間がかかる。又は連続して大規模な力の使用が出来ない。そのどちらかではないでしょうか。」

「さすがね、フロリアン。彼女の起こす奇跡には弱点がある。予め準備したものが万一その場で破壊された場合、同じ奇跡の間にそれを復元することは出来ないだろうというもの。準備するのに相応の時間が必要であり、その為には相応の力が必要となる。太陽の奇跡に似せる目的で毎月の13日に被せているように見せかけて、実の所それは1か月という期間を空けなければ成し得ない仕掛けを使っている弱点を覆い隠すものなのではないかしら。肝心要となる雷撃以外にも干渉してみたのだけれど、彼女の背後で降り注いでいた流星群についてはかなり踏み込んだことをしてみたわ。」

「垂直に降り注いでいた流星か。自然界で絶対に観測されないというわけではないが、まずお目にかかることが出来ないものだな。」ルーカスが言った。

「モーガン中尉、ペイニオットのトリニティから撮影した流星群の映像を出すことは出来るかしら?出来れば最初に流星群が発生したタイミングと雷撃の後のタイミングを並べて見て欲しいのだけれど。」

「可能です。少々お待ちください。」イベリスのお願いにリアムが答える。

 そしてリアムは手元の端末で当該の映像を抜き出したものを並べてモニターに表示した。

 映し出されたのは赤く染まる空を背景にして垂直に降り注ぐ流星群の映像と、斜めに降り注ぐ流星群の映像だ。

「あの子は流星群が垂直に降り注ぐように人々に見せる為に、予め向きを調整するようなことをしていたのでしょうね。ルーカスの言う通り、自然界では目撃することが困難な形で示した方が奇跡と呼ぶにはふさわしいでしょうから。その流星の仕組みは例えるなら、ある場所からある場所に向けて星が流れるように始点と終点といったものを決めていたのだと思う。私は雷撃のポイントに干渉するどさくさに紛れて流星群の落ちる “終点” と呼ぶべきポイントを全て消したわ。その結果がこの通りよ。そしてそのことに彼女は気付いていたはずなのに同じ奇跡の中でそれを正そうとはしなかった。いえ、おそらく出来なかった。」

 簡単そうに彼女は言うが、具体的に何をしたのかはよく分からなかった。しかし、理屈だけはその場の全員が分かった。

 始点と終点。本来向かうべき目印になる場所である “終点” が無くなったことで、行き場を定められなくなった流星の流れる向きが変わったということなのだろう。

「正そうとしなかったのは奇跡の根本に関してあまり重要な事柄ではなかったからという可能性はないか?」玲那斗がイベリスに言う。

「否定は出来ないけれど、私が思う彼女の性格からすると可能性は低いと思うわ。それにそのポイントは赤雷が落ちるポイントも兼ねていた重要なポイントのはずだから。遠洋からこの国に近付くものを雷撃で遮る為のセンサーとも言うことが出来る。例の半径30キロメートル付近にある無差別に雷撃を落とす場所に設置された “目” といえば伝わるかしら。あと、これらは少なくとも一度破壊すれば自動的に元通りになることはないというのは間違いないわね。」

 内部にいる人々に見せかけの流星を眺めさせることのみが目的なら確かに修正する必要はないが、外敵の侵入を防ぐセンサーを兼ねていると考えれば飛躍的に重要性の高いポイントになるだろう。

 実際、第四の奇跡においては遠洋から密入国、密輸入をしていた船舶が数隻ほどこの地点における雷撃の餌食になったのだ。

「単純に言えば第六の奇跡において彼女の雷撃を止める方法はその国内に存在する “ポイントを全て破壊してしまうこと” に尽きるわけか。それで殺戮を伴う裁きは成立しなくなると。」

「しかしイベリス、そんなことが出来るのか?」ハワードとジョシュアが順に言う。

「それなら心配しないで。最初の話し合いで決めた通り、今回は全力で彼女の奇跡に干渉したわけではないわ。過去に似たようなことをした私が言うのも変な話だけれど、彼女に対して思うところがないわけではないの。彼女には…いえ、アヤメちゃんにもアイリスにも、2人ともに少しお説教が必要そうだわ。地の利が彼女に味方するとしても大丈夫。次は全力で行くから。」

「それは頼もしい。宜しくお願いします。私はこの国に生まれ、この島で育ってきた身ですから、多くの国民がそうであるように彼女の言うこの国の未来を想う奇跡の正当性については正直否定できません。ですが、彼女にこれ以上人を殺害するなどという行為をしてほしくもありません。ただ私にはそれを止めるだけの力が無い。我々には奇跡に対抗する手段が無い。このような役を押し付けてしまうことは心苦しいのですが、貴女という奇跡と皆さんの力が頼りなのです。」イベリスの言葉に対してリアムが即座に言った。


 今までであればそのような言葉を口にすることは無かっただろう。

 リアムは自身の言葉に対してそう思った。しかし、事態の中身を精査していくうちに自分達だけでは何も出来ないと悟った時点でそう言うしかなくなった。

 大統領やハワードが見込んだ通り、彼女という存在なしではただ指をくわえて何もせずにいることしか出来なかったに違いない。

 何もかもを彼女に押し付けて任せることがどれだけ酷で横暴なことかは理解しているつもりだ。

 それでも。それでも彼女の力に頼らなければ何も解決出来ない以上はそうするしかない。

 そんなことをリアムが考えていると、ふとジョシュアが穏やかな口調で言う。


「モーガン中尉。そう気負わずとも大丈夫だ。同じ機構の仲間なんだ。出来る者が出来ることを最大限に行う。これが我々の原則だ。総監の言葉を借りるなら “為すべきことを為す” だな。普段所属している場所が違うだけで、どこに行ったってそれは変わらない。」

 リアムがジョシュア達に目を向けると、皆が一様に笑顔で自身を見ていることに気付く。ハワード、ルーカス、フロリアン、玲那斗、そしてイベリスも。

「私だけの力で成し遂げるのではありません。マークתのみんなや少佐、そしてもちろんモーガン中尉…貴方の力も必要です。」イベリスが言う。

「ありがとうございます。」1人で気負っていた自分の思い込みを少し恥じながらリアムは答えた。


 アヤメ及びアイリスの起こす奇跡についての話に具体的な対策を施せる目途がついた。

 しかし問題が他にもあるとハワードは言った。

「さて、第六の奇跡に対抗する為の糸口が掴めた。そこに向かって準備を進めることになるが、問題は奇跡を止めた後にも及ぶ。我々が介入して雷撃による殺戮を止めた後、結局のところ密売組織自体は野放しの状態になるわけだ。ナン・マドール遺跡に集まった人々の様子を見る限りではそれをこの国の国民は許さないだろう。結果として彼女の奇跡を止めるということは、イコールとして密売組織を守ることに繋がるわけだ。確実に機構は国民を敵に回すことになる。」

「奇跡を止めることは出来るが、同時にしっかりと組織も壊滅させる代替案が必要というわけか。俺達が関与できる仕事では無いな。」

 奇跡に対処するよりも現実的な問題だ。しかし、現実的な問題であるからこそ機構には解決が出来ない問題でもある。ここに至ってはそちらの方が難しい課題となった。

 機構が対処できるのはあくまでも自然災害や異常気象などに関わる有事においてのみだ。国内で問題となっている薬物密売問題や殺人未遂問題などに関与することは出来ない。

「少佐の懸念は尤もです。その点については警察と政府に働きかけるしかありません。私から双方に働きかけてみましょう。密売組織の中枢がどこにあるのかを警察と政府が掴む必要がありますが、今回の件に絡めてその為の協力をする程度なら国際協定違反や内部規律違反にもかからないでしょう。彼女の雷撃によって焼かれた建物周辺の調査は我々も行う必要があります。ただし、協力をする為にはあくまで国家や警察からの要請を受けたという証明が必要とはなりますが。」

「キリオン大統領なら受諾してくれそうではあるな。警察よりも先に政府へ話を通すのが筋だろう。」リアムの話にハワードが頷く。

 全員が話の方向性に納得しかけたその時、唐突に通信司令部からリアム宛てに緊急を知らせるメッセージが届いたことを知らせるアラームがヘルメスから鳴り響いた。

 リアムは急いでヘルメスに届けられた通知を確認して言う。

「これは…皆さん、政府へ通達するよりも先に別の方々との話し合いが必要となりそうです。」

「どうした?何か緊急事態か?」ハワードがリアムに確認する。

「いえ、我々と直接会合の場を持ちたいという人物がたった今、3人ほど支部を訪ねているようです。ヴァチカン教皇庁の使者、総大司教ベアトリスとシスターイントゥルーザ。それに加えて…連邦警察のイサム中佐です。緊急を要する為すぐに会合の場を持ちたいと。」

「なんだって?」


 ヴァチカンと警察が一緒に?なぜ?

 その場にいた全員が予想外の唐突な来訪者に驚きを隠せずにいたが、彼らを追い返す理由もない。

 緊急で会談をしたいということは余程切羽詰まった事情があるのだろう。来訪者の要求通りに話し合いの場を持つこととなった。


                 * * *


「どっかーんとやられちゃったねー☆きゃはははははは!」

 地下室全体に響き渡る賑やかな声の主はアンジェリカだ。

 アルフレッドとベルンハルトのいる部屋でカップに入ったバニラアイスを片手に昨日アヤメが起こした奇跡の顛末をお腹を抱えて笑いながら話している。

「苦労して国内に持ち込んだ商品が台無しにされてよく笑っていられるな。っで?姫さんはどこが攻撃されるのか知っていたのか?」

「まっさかー。知ってたら少なくとも1か所だけは焼かれないようにしたんだけどね。グレイを納めている建物が木っ端みじんになっちゃったのは悲しいじゃない?」

 アルフレッドの問い掛けに本心とは思えない言葉をアンジェリカは笑顔で答えた。

「でもさ、でもさ、結果的にこの場所の近くにある建物が焼かれなくて良かったね☆そう思わない?」

「あぁ、まぁな。」吸っている煙草の煙を吐き出しながらアルフレッドは答えた。

「っていうかー、その辺りは “まだ” 焼くわけにはいかないよね?焼かれるとしたら最後の奇跡でということになるのかな☆エニペインやプウェル・ウェイータの貯蔵場所を的確に焼き払われたってことはあの子、その場所に何があるのかも知ってるんだろうし?実際パリキールの他の建物は焼かれちゃったもんね。ただ地下にあるこの場所はどうやって焼くんだろう。私はそっちの方が興味あるなー。」無邪気な笑顔でアンジェリカは言う。


 いよいよ心穏やかではいられなくなってきた。

 アルフレッドはそう考えていた。目の前の危険な女に対してではない。あのアヤメという少女についてだ。

 神の裁きという文言はただのこけおどしだと思って高を括っていたが、第五の奇跡で焼き払われた場所は紛れもなくマルティムが薬物保管庫として使用している場所や組織の構成員が隠れ蓑にしている場所であった。

 あの少女は自分達のことをよほど念入りに調べ上げていたらしい。それも警察以上に緻密に正確に。

 であれば目の前の女が言うように本拠地であるこの場所のこともおそらく知っているはずだ。奇跡で自分達を殺すつもりでいるから周囲には話さないでいるのだろう。

 地下に対して落雷を貫通させることが可能かどうかはさておき、外部からもよく目立つ場所から立ち入ることになるここが次の奇跡で標的となるのは間違いない。

 ある意味、その場所というものはこの国を揺るがす事件のあらゆる象徴であるからこそ最後に焼かれるべき場所だと言うことも出来る。

 自分達が死を免れる為にはアヤメの言う通りに国外へ退去するか、殺される前に殺すかの二択である。

 しかし、国外退去は入出国規制が敷かれてしまった今となっては難しい。第五の奇跡の直後、政府によって緊急に規制が敷かれたのだ。

 正規のルートで退去しようとすれば書類の偽造が見抜かれて投獄されるに決まっているし、何より目の前の女が障害になるに決まっている。同じ理由で密出国も出来ない。

 奇跡の前に対象を殺すことについても、先の狙撃を失敗した上にやはり目の前の女の影響で2度と同じことは出来るはずもない。信頼のおけるスナイパーも失い、虎の子であったライフルも失ってしまった。

 国外退去も叶わず、奇跡を止める手段も無い以上は裁きとやらが下されるのをじっと待つしかなくなった。

 “例の男” の話では機構がアヤメの奇跡を止める手立てを探しているという話だったか。であるならば機構が奇跡を止めることに賭けるというギャンブルに縋るしかないのだろうか。


 考えていることの小物臭さを内心で笑いながらアルフレッドは煙草をふかし続けた。元より命など惜しいとは思わないが、その最期の散り様くらいは選びたいと思っている。地下に引きこもっているところを狙われて死ぬなどお笑い種だ。

 小さな女の子の起こす奇跡の雷撃に焼かれて死ぬなどという結末もそうだが、もう1人の小さな女の子の有り得ない力によって切り刻まれて死ぬなどという結末も御免だ。

 策が無いなら策が浮かぶかやってくるまで待つしかない。

 追い詰められた時こそ動かずに待つべきなのだ。さもなければ狙撃の失敗のような致命的な出来事を繰り返すことに繋がりかねない。

 今ではマルティムの悲惨な壊滅への道を道楽として楽しむことを目的としている目の前の得体の知れない女が自分達を殺すことも無いだろうが、次に何かをしでかせばそこで何もかもが終わりだろう。

 それこそ、奇跡による裁きとやらの前に人生の終止符が打たれるに違いない。


 アルフレッドは彼女に向けた視線を天井へと向けて静かに目を閉じる。

 残り1か月。その時自分達がこの世に存在しているのか消されているのか。

 その行く末はまさに神のみぞ知る。

 手に持った煙草のタールよりきつい冗談であることを感じながら心の中で嘲笑の笑みを浮かべた。


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