第35節 -イベリスの潜考-

「状況はどうだ?」目の前で起きている壮大な奇跡にまるで動じることなくジョシュアはルーカスへ確認をする。

 3人の目の前では宙に浮かぶアヤメの姿と背後で煌めく流星群が確認出来る。先程のレッドスプライトも含めてナン・マドール遺跡から見える光景と同じものを目撃していた。

「時折ノイズが酷い箇所がありますが、事前予想通りのデータ観測が出来ています。フロリアンの言う通りだ!」トリニティから受信したデータと目の前で起きている現実を比較しながら興奮気味にルーカスは答えた。

 高度を低めにとったトリニティからは今自分達がナン・マドール遺跡に集った人々と同じように目撃している奇跡の様子が映し出されている。雷撃の轟音で音声リミッターなどが働いている為、ノイズが酷い箇所や映像が乱れる箇所も多いが記録としては上出来だ。

 そして問題は高度を高くとったトリニティからの映像である。そこに映されていたものを見た時、最初3人は目を丸くした。理由は単純明快である。


 何も変化が観測できていない。


 つまり、フロリアンの予想通りある一定の範囲と高度を過ぎると奇跡自体の観測が不可能になるということが実証されていたのだ。

「衛星からのデータはどうだ?受信できるか?」ジョシュアは気象観測衛星の映像を確認出来ないかルーカスへ尋ねた。

「それが、強烈な電波妨害か干渉によって現在はまともな通信接続を確立できません。リナリアの時と同じです。テムウェン島を含めポーンペイ州一帯が自然界では観測できないような強い磁場を形成しています。察するに今この一帯でまともに機能している通信機器やデジタル機器は我々機構の持つ機材くらいのものでしょう。人間の身体に影響が出ていないことも “奇跡” だと言えるくらい強力なものです。」

「各機材における対強磁場環境における耐性を強化したことが功を奏したか。とはいえ、俺達の機材も全てがうまく行っているわけでは無さそうだ。」ルーカスの言葉にジョシュアが言う。

 ジョシュアは視線を通信機へと移し、ステータスモニターに表示された情報を見て溜め息をつく。

「次は通信機も強化対象に含めるよう報告書を出すとしよう。」

 機器に表示されていたのは不通を示す【No Signal】という単語であった。

「磁場の変化については第四の奇跡のデータからも考察が進んでいましたし、電子機器の不具合報告は確認されていましたが、これだけ多くの人々が集まって奇跡のことが海外へ映像などに情報として出回らない理由がこれではっきりしましたね。」

「彼女がここまで計算に入れていたのかは知らないが、もしそうだとしたら見事というほかない。」フロリアンの感想にジョシュアが答える。

 これほどの大規模な異常気象と呼べる怪現象を引き起こしながら世界各国の衛星やメディアが何も取り上げないことの疑問への答えがようやく示された。

 そもそもこの一帯で奇跡が起きている間は電子機器が機能しないのだ。その証拠に3人がそれぞれ個別に所持しているヘルメス以外のスマートデバイスはシステムエラーでフリーズしたまま動かなくなっているか、強制的にシャットダウンされた状態となっている。

 その肝心なヘルメスも機能と接続は維持できているが、音声通信は使用できない状態となっている。

「トリニティやプロヴィデンスとの接続は問題なく確立されていますが、ヘルメスの音声通信は遮断されています。玲那斗とも連絡は取れません。奇跡の開始直後に支部管制の通信が途切れ途切れだったことから、あの時点で既に障害が始まっていたものと思われます。」

「ふむ。俺達が平然としているのだから玲那斗はともかくとして、イベリスはうまくやっているだろうか。」ルーカスの報告にジョシュアが言う。

 我が子を心配する父親のような表情をしている。その様子を見たフロリアンがすぐに返事をした。

「中尉が傍にいるんですから大丈夫ですよ。」

「それもそうか。奇跡の前にも聞いた事だった。心配し過ぎも良くないな。フロリアン、島内での明確な落雷ポイントの確認の状況はどうだ?」

「低高度のトリニティによって落雷が観測された数か所のうち、現在明確に位置が特定されているのは1か所です。コロニア市内から外れた位置にある倉庫のようですね。火災が発生していて公安局と機構支部の中隊が共に消火活動を行っている状況です。煙が凄くて詳細は見えません。コロニア市内にあと4か所、エニペインやプウェル・ウェイータなど複数、そしてもう2か所ほどパリキールにあるようですが明確な位置は確認中です。内1か所、エニペインでは2発の雷撃が観測されましたが、その双方ともほぼ同一箇所に落雷が発生したようです。」

 マップ上に×印が表示されている落雷ポイントを見つつジョシュアは言う。

「何か法則性があるわけでもなさそうだな。」

「マルティムに関連のある建物か何かがあったのでしょうか。」

「騒ぎが治まるまでははっきりしたことは確認出来ないだろうが、おそらくはそうだろうな。持ち帰った情報を支部で精査する必要もある。仮にそうだったとして、どうやってアヤメ・テンドウはその場所を把握できたのかについてもな。」ルーカスの疑問にジョシュアは返事をした。

 現在状況についての確認を一通り終えた3人は再び視線をアヤメの方へと向ける。

 相変わらず遺跡の方角からは民衆の悲鳴にも似た大歓声が聞こえ続けている。

「よし、観測を続けよう。ルーカス、トリニティをエニペインの方角へ向かわせられるか?」

「可能です。奇跡の観測可能な高度の割り出しは特定できていますから二機ほどこちらに残しておけば十分でしょう。残りはコロニアとパリキール、エニペインとプウェル・ウェイータへ向かわせます。」

「分かった。そのように頼む。」

 落雷のあったポイントを観測できる位置までトリニティを向かわせることを決定した一行は、複数のトリニティの自動観測プログラムを変更しつつ、引き続き遺跡の観測に注力することにした。


                 * * *


 玲那斗はアヤメが目前で起こす奇跡の様子を観察しながら手元のヘルメスへ視線を落とす。

【No Signal】。表示されていたのは音声通信不可を表す通知だった。どうやらプロヴィデンスとの接続は保たれているようで、上空を飛行しているトリニティから送られてくる観測データの受信は出来ているようだ。

 そして視線を今度は隣に佇むイベリスへと向ける。彼女は真剣な眼差しでタイミングを見計らいながら幾度かアヤメの奇跡への干渉を試みていた。

 どこにどんな変化を起こしたのかはイベリス本人と奇跡を起こしている主であるアヤメ以外には分かり得ないことだが、雰囲気からすると悪くない手ごたえを持っているように感じられた。

 何が出来て何が出来ないのか。今イベリスはそれをひとつずつ試しているような節がある。

 次に視線をアヤメへと向ける。彼女は今何を思っているのだろうか。

 この地に集まった民衆のことだろうか。又はこの国の未来のことだろうか。

 それとも “別の目的” があるのだろうか。

 例の狙撃事件以来、直接会話する機会が失われた為真実は闇の中に閉ざされたままになってしまっているが、ただ一つだけはっきり言えることがある。

 彼女は決して悪意をもってこの奇跡を起こしているわけではないということだ。

 別に目的があったとしてもそれは誰かを貶める為などではないだろう。むしろ誰かの為というよりは…

 途中まで考えていた思考を一度放棄する。今考えても仕方のないことだ。

 大事なのはこの第五の奇跡を通じて一つでも多くの情報、観測データを手に入れること。

 手元のヘルメスを解析モードに切り替え、プロヴィデンスへ解析処理実行要求を送る。数秒後に要求が承認されたことを示す通知が届いた。

 今、この場所でしか得ることが出来ないデータがある可能性を考えた玲那斗は、ヘルメスをアヤメに気付かれないように向けてその動向の記録を行い、端末に送られてくるトリニティからのデータとの相違性が無いかの確認を始めた。



 イベリスは静かにアヤメに視線を向けたまま奇跡に対する干渉を試していた。

 それは彼女の背後で水平線に向けて降り注ぐ流星群に対してであったり、この島の周囲を覆っているであろうドーム状の境界線に対してであったり、何より彼女が放った雷撃に対してであったりと色々だ。

 注意深く奇跡を形作る外郭から内郭に至るまで観察していきながら干渉を試みる。玲那斗が横から奇跡によって形作られたドーム状の “境界線” がどの付近にあるのかを教えてくれたのでその観察は実に容易かった。

 今の所は思い浮かんだ全てに対して干渉が可能であることが判明している。

 結果として自分にはこの奇跡の正体がどういったものかが理解できた。フロリアンの直感による読み通り、彼女は島を丸ごとドーム状の幕のようなもので覆い、その内側に “奇跡が起きているように見える映像を投射している” に過ぎない。例えるならば超広範囲に対する高精細のプロジェクションマッピングである。

 また、雷撃を放つ位置は予め用意したポイントから行っていることや、流星群の落ちる先も同じように予め向かう先が示されていることも把握した。

 これだけのことが分かれば自分がこれらの事象に干渉することだけでなく、景色全てを塗り替えることなども時間限定とはいえ容易いというものだ。

 それにしてもプラネタリウムと “目に見えないもの” という二つのキーワードからこの答えを予見したフロリアンの洞察力はさすがというほかない。改めて内心でそう思った。

 実際に彼女が自らの意思で操作しているのは全ての人々に声が届くようにしている点と奇跡の水、そして雷撃の3つに絞られる。

 後はただの虚像だ。実際にそれらの現象が起きているわけではない。実際に起きていないからこそ科学の力をもって解明できなくて “当然” なのである。

 第四の奇跡における分析も雷撃以外が〈観測されなかった〉という結果は、実は科学的分析として正しいものだったということになる。

 ただし、この超広範囲を覆う幕のような境界線と投影の方法についてはそうとも言い切れないのではあるが。

 さらに干渉を続けて分かったことは、彼女が起こす雷撃に対してはその軌道を逸らすことも打ち消すことも可能であるということだ。

 実際、自分達の立っている場所から真後ろの方角に対して放たれたと思われる雷撃を1発だけ目標から逸らすことに成功している。

 同じ異能を持つ者同士だからだろうか。それとも同郷の人間だからだろうか。事前にどこにどんな変化が起こるのかは不思議と感覚として明確に掴むことが出来る。どの位置に仕掛けが施してあるのかが分かるのだ。

 言い換えると “勘” でしかないのだが、今の所その全てが察知出来ていることから感覚としては間違ってはいないのだろう。

 落雷を逸らすなどということをした影響で、彼女には自分が奇跡に干渉出来るということが伝わってしまっただろう。

 しかし、みんなとの打ち合わせ通りに “それ以上のことは何も出来ない” という振りに徹したので第六の奇跡においてもそれほど強い対策を彼女が取ることは無いと思われる。

 今回は干渉が可能だということが分かればそれで良く、後は無能に徹するべきだ。

 勘が良いのはお互い様であることも承知している。おそらく彼女も自分が全力を出していないことは見抜いているはずだし、全力を出しても長くは干渉し続けられないこともお見通しだろう。

 自分の考えとしては、ここで無能に徹することで全力で干渉出来る時間というものを出来るだけ低く見積もってもらえるようにしなければならない。

 おそらくその一点に関しては欺くことができるはずだ。


 それよりも自分としては気になるのは奇跡のことよりも彼女本人のことについてだ。

 アヤメ…いや、アイリスは今何を考えているのだろう。彼女の本当の目的とは何なのだろう。どうにもそこが掴み切れない。こればかりは同郷の勘でわかるというものではない。

 本音としてはやはり彼女に殺人をこれ以上重ねて欲しくないという思いがある。

 彼女は既に第四の奇跡で薬物を密輸しようとした船の船員全員を殺害している。今回の奇跡でも先の落雷で誰かが還らぬ人になった可能性が高い。

 自分達はそれを止めることが間に合わなかった。今回で最後にしたいという思いがあった。願いがあった。しかし結果的に叶わなかった。

 願わくば、第六の奇跡においてはもう誰一人として犠牲者を出さないように。


 イベリスはじっとアヤメを見据えたまま彼女の願いの先にあるものが何なのかについて思いを馳せた。


                 * * *


 狙いが外れた。エニペインのとある建物を狙った雷撃がどういうわけか目標から逸れた瞬間をアヤメは見逃さなかった。

『アイリス、目標が僅かに逸れたわ。』

 イベリスの仕業に違いない。自身の中にいるアヤメの問い掛けに対する答えに確信を持っていた。

 およそ100メートル先から自身に視線を向け続けるイベリスに視線だけを向ける。


 イベリス…やっぱり貴女は私を止めに来るのね。

 それは貴女の意志なのかしら?それともレナトの意志?それとも…

 でもいずれにしても無駄なこと。貴女には、貴方達には結局何も出来はしない。あの時と同じように、千年前のあの日と同じように、何も出来ない貴女は私達の奇跡が完遂される様子を指をくわえて見ていなさい。

 人の持つ醜悪さに殺された “貴女の恨み” も幾分か晴らしてあげるから。貴女の代わりに。


 アイリスは心の中でそう思う。

『イベリスが何かしたのね。彼女の力、初めて感じたけれど凄まじい能力。外洋に仕掛けていた “目” も全て破壊されてしまったわ。』

 喋ったことが全ての人々に伝わってしまう現状ではアヤメの言葉に対してアイリスは反応することが出来ない為、無言で静かに頷いた。

『アイリス、きっとイベリスには奇跡の正体が正確に見破られているわ。そして彼女が今回の奇跡に対する干渉をしてきているのは明白。この様子だと彼女が全力で干渉しているとはとても思えないし、このままでは第六の奇跡で本格的な邪魔をされる可能性が高い。今夜にでも対策を練りましょう。』

 アヤメの言葉にアイリスは再び頷く。しかし、今夜の話で対策を話し合うつもりは無い。何も変える必要は無いだろう。

 当然イベリスが自分の邪魔をする為に未だ全力を出していないことなど承知の上だ。

 しかしながら、自分達の起こす奇跡に対して常に干渉し続けるという行為を長時間行うことが不可能であることも承知している。

 外洋に仕掛けた “目” を全て潰したのは確かに驚きだが、この感覚だと干渉出来る時間は長くてもせいぜい10分程度のものだ。多く見積もっても15分弱。それさえ凌げば問題ない。彼女の力による干渉など恐れるに足らない。

 リナリア島ならいざ知らず、 “この地においては” 生まれ故郷の島の加護を受けるアヤメがいる以上、自分達が圧倒的に有利なのだ。故に最初から何の対策をする必要もないだろう。


 アイリスは呼吸を整えてこの地に集った人々に向けて第五の奇跡における最後の言葉を告げた。

 歓声を上げていた人々は静まり彼女の一言一句を聞き漏らすまいと耳を傾ける。


「この地に災いを持ち込む愚かなる罪人の居場所は神の怒りによってそのいくつかが焼き払われました。これこそが大いなる天上の意志。全ては神の御心のままに。意思による警告を受け入れず彼らがこの地に留まるというのなら、その代償はいよいよ彼らの命をもって清算されることとなりましょう。翌月同日、天よりの最後の御言葉がこの場に届けられます。人々よ、祈りましょう。私達の汚れなき心の祈りを主に捧げることによってこの地は苦しみから救われ、自由がもたらされます。勝利の時は近く、我々の嘆願が成就した暁にはこの大空に数多の人々の願いを乗せた虹が架かるはずです。第六の奇跡〈虹の架け橋〉が完遂するその時に、数多の人々と幸福を分かち合えることを願っています。」


 アヤメはそう言うと目の前で十字を切る仕草をして祈りを捧げる姿勢をとった。

 その地に集った全ての人々も彼女と同じように祈りを捧げる。


 しばらくして、周囲を覆っていた漆黒の曇天と数多の流星群は消え去り、太陽が大地を照らすいつもの景色がいつの間にか戻っていた。

 静まる民衆の元へ、波の打ち返す音が遠くから響き渡る。頬を撫でる吹き抜ける風は潮の香りを運び、嵐が過ぎ去った後の凪を感じさせるようであった。


 これは『虹の架け橋』と呼ばれる最期の奇跡への前章。

 西暦2036年5月13日より続く奇跡の継続。

 其の第五の奇跡である。


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