第26節 -待ち侘びた日-
涼しい夜風がバルコニーに吹き抜ける。イベリスはいつものように広大な空を見上げ、黒いキャンバスに散りばめられた星々の姿を眺めていた。
現在時刻は午後11時を回ったところだ。デートから戻った後も玲那斗と2人で映画や夕食を楽しみ、今日という休日を心から満喫することが出来た。
今朝まで心の底に抱いていた憂鬱な気持ちはもはやどこにもない。不安や悲しみといった感情はいつも彼が取り除いてくれる。
今日のように、どんなときもずっと傍に寄り添い自分のことを見守ってくれている玲那斗には心から感謝をしている。
そんな彼は今、部屋のベッドですやすやと寝息を立てて眠っている。
「良い夢を見なさい、玲那斗。」
僅かに後ろを振り返りながら小声で呟く。当然彼には聞こえていない。
イベリスは星空に視線を戻す。上空に光る幾億もの輝きを眺めているととても幸せな気持ちになる。こうして夜空を眺めている時が千年前から変わることのない自分にとっての至福の瞬間だ。
嫌なことも辛いことも全て忘れさせてくれた。そして、そうした時にいつも隣に寄り添ってくれたのも彼だった。今は玲那斗の中で眠る彼。
過去を振り返りながら静かに流れる刻に身を預けて空を見つめ続ける。
「本当に変わらないわね。この星の煌めきも、貴方も。変わらないでいてね。」誰に言うわけでもなくイベリスはふと呟く。
そう言い終えると一度深呼吸をする。そして部屋へ戻る為に愛しい彼が眠る方向へ振り返ろうとした。が、その時。
視界の端に珍しい人物が見えた気がした。
彼女もまた自身の遠い記憶の中にある人物の1人だ。
「ロザリー?」
私服姿で海岸沿いの広場に立っている。いつもの修道服を身にまとっていなくとも、風になびく美しい金色の髪や特徴的な佇まいで一目で彼女だと分かる。
こうして遠くから眺めているとまるで天使か女神のようにも見えるほどに。
夜景を楽しむ為に外に出たのだろうか。
彼女の姿を見てイベリスは一考した。
出来れば彼女ともっと直接言葉を交わしてみたい。
それが素直な気持ちだ。今、会って話しに行けば数日前とは違った本音からの語らいが出来るに違いない。
そう考えつつ部屋の中に視線を向ける。
玲那斗の傍から自分が離れるわけにもいかない。
これも素直な気持ちである。彼が万一目を覚ましたときに自分の姿が見当たらないとなれば、心配性の彼はきっと大慌てで自分を探し始めるに違いないからだ。それでは彼の健やかなる休息の時間を自分が奪ってしまうことになる。
しかし、こうして考えている間に彼女が引き返してしまえば千載一遇と言えるかもしれない貴重な機会が失われてしまう。
二つの思いの狭間で揺れていたイベリスであったが、 “ある策” を講じることで彼女と話をしに行くことに決めた。
目を一度静かに閉じ、それから再びゆっくりと開く。その視線をロザリアが佇む付近へ真っすぐに向ける。
イベリスの美しいミスティグレーの左目は徐々に色を変えていく。紫、藍、青、緑、黄緑、黄色、橙…そして赤色に変化した瞳で彼女をじっと見据えた。
* * *
夜空と海を臨む海岸沿いの広場でロザリアは自然の解放感を満喫していた。
いつもであれば眠りに就こうとするアシスタシアを巻き込み、この場所まで無理やり連れ出しているところだが今日は違う。
彼女には一足先に眠ってもらい、自分だけでこの場所までやってきた。
そう、今日は特別な想いを持ってこの場所を訪ねたのだ。
気ままな風の赴くまま柔らかな金色の髪をなびかせ、両手を広げて深く息を吸い込む。
双肩で支える普段の責務を忘れ、一つの魂として自然の中に身を委ねる時間は何者にも代えがたい安心感を自らに与える。
かつてあの島の誰もいない海岸沿いの岩肌で、1人遠くを見つめながら物思いに耽っていたことを思い出す。
この世界を創造した神の箱庭の中にある、ちっぽけな自らの魂を余すことなく包み込む自然の雄大さ。慈悲深い恵みに感謝を忘れたことは千年を通じてただの一度も無い。
思い返せば自身が生まれたあの島にはその全てがあった。
広大な森も、風の凪ぐ草原も、大海原を見渡す海岸も白砂の浜辺も。
見上げれば吸い込まれそうになる空、夜になればそこに瞬く眩い星々。それらを見上げ続けていると広大なその空間に落ちていきそうだと錯覚するほどのものであった。
懐かしい光景が脳裏に蘇る。神へ尽くす為の学びを続ける日々の中で、島の他の子どもたちと遊んだことも話したこともほとんどなかったが、彼らと同じ自然を自分も愛していたということはよく理解できる。
そして間もなく、同じ島で生まれ育ち、同じ島の自然を愛した人物が自分に会いに来るだろう。希望的観測。そんなものに自分が縋るなどらしくないことは分かっている。
しかし…
数日前に千年ぶりの再会を経て以来、彼女に言われた言葉を胸にずっと考えていたことがある。それを伝えたいという想いを持ってこの場所へ訪れた。
わざと目立つ位置に立ってそれとなく誘ってみたのだが気付いてくれただろうか。
いいや、必ず気付くはずだ。自分達はそういう “星の巡り合わせ” の中に存在しているのだから。
ロザリアが考え事に耽っていた時、横から自身の名を呼ぶ少女の声が聞こえた。
「ロザリー。」
あぁ、そうだ。この瞬間を待っていた。待ち続けていた。
ロザリアは嬉しさに高鳴る心を押さえながら静かに振り向き彼女の名を呼び返す。
「ごきげんよう、イベリス。」
目の前には白銀の髪を揺らめかせ白いドレス風の服を着た絶世の美女が佇む。
少女は穏やかな表情を浮かべつつ、何から話をするか迷っている様子で言葉を探しているようだった。
そんな彼女を見たロザリアは自ら話し掛けることに決めた。
「来てくれてありがとう。感謝いたしますわ。」
その言葉を聞いたイベリスは一瞬だけ驚きの表情を浮かべた後に微笑みながら言った。
「まるで私がここに来ることを分かっていたような口ぶりね。」
「そのように振舞いましたもの。貴女ならきっと気付いてくださると思っていましたわ。」
彼女が星を眺めに毎夜バルコニーに出るのを知った上で、彼女の目を引くような位置でわざとらしく待っていた甲斐があったとロザリアは思った。
「貴女らしいわ。何もかも、私の心もお見通しということね。」冗談を言うようにイベリスは言う。
「まさか。貴女の心の有り方を読むなどということは決して。今回わたくしはわたくしの心に従ったまで。神の御心ではなくわたくしの心の赴くままに。そう、貴女とお話したいという一心でこのように。」
ロザリアはイベリスへ返事をしつつ支部のバルコニーへ目を向ける。そこには目の前にいる彼女と全く同じ姿の少女が佇んでいた。
どうやら能力で作成した分身体の投射で会いに来てくれたらしい。彼女の左目が赤く輝いているのが証拠だ。
イベリスはその能力によって本体と見分けがつかないほぼ同一の分身体を一定距離まで投影することが出来、その際は分身体を投射する距離によって瞳の色が変わるという特徴が現れる。
光の波長における色調変化と同様に、分身体が自身に近ければ近いほど青色を基調とした色に、遠ければ遠いほど赤色を基調とした色になる。
通常こういった場合はどちらが本体でどちらが投影体であるかの見極めを付けることはまず不可能ではあるが、今回の場合に関してははっきりと分かる。
今目の前に立つ彼女は投影された分身体で間違いないだろう。
なぜなら彼女が佇むバルコニーがある部屋には彼女の最愛の人が眠っているはずだからだ。その傍から彼女自身が離れるはずがない。
それでも…本体ではなかったとしても、自分と話をする為だけにここまで来てくれたことは嬉しかった。
ロザリアの言葉にイベリスが返事をする。
「なら丁度よかったわ。私も貴女と話がしたかったから。」心からの本音だ。
返事を聞いたロザリアは微かに微笑み、この場で話したいと思っていたことを切り出す。
「数日前に貴女に言われた言葉をずっと考えていましたの。わたくし達は “本当はもっと語り合うべきだったのか” と。」いつものように相手を試す物言いはしない。
ロザリアのすぐ傍まで歩み寄ったイベリスは、彼女の隣に立って肩を並べて言う。
「それで?答えは出たの?」
「はい、語り合っておくべきだったと。今のわたくしはそう思いますわ。」視線を海の向こう側へ送りながらロザリアは答えた。
「またまた奇遇ね。私もよ。」ロザリアの答えを聞いたイベリスはそっと微笑む。
2人の間に穏やかな沈黙が流れる。波の打ち返しだけが大気に響き渡る。
「結局、貴女とまともにお話したのは礼拝の時に教会へいらっしゃった時くらいだったかしら?イベリス。」ロザリアが言う。
「そうね。確かにそれくらいしか私達の接点らしい接点は無かった。でも貴女がヴァチカンへと渡った時は寂しかったわ。貴女を尊敬していたという数日前の言葉は嘘ではないの。私はね、あの頃の貴女に憧れていたのよ。ロザリー。幼い頃から人の心を惹きつける魅力を兼ね備えて、非凡な才能を見せていた貴女はとても眩しくて輝かしかった。」
「少し買いかぶり過ぎですわね。神に仕える為に生まれてきた子。そんな言葉で周囲がどれだけ持て囃そうとも事実は異なる。わたくしとて突き詰めてしまえばただの人間 “だった” もの。当時はあまり心に余裕もありませんでしたわ。」イベリスの言葉を聞いたロザリアはそんなことはないと笑いながら言う。
「わたくしにとっては貴女こそが輝かしかった。イベリス。高潔なる魂と清廉さを持った美しい人。何者にも縛られることなく真っすぐに自由に生きる貴女がとても輝かしかった。羨ましかった。そして…」
『嫉妬していた。』2人が口を揃えて同時に言う。
互いの顔を見合わせてひとしきり笑う。千年前は決して口に出すことの無かった本音を言い合い、互いが心に抱いてきたものと同じ感想をぶつけ合う。
歴史や時代が許さなかったひと時。何の他愛のないこのような会話ですら今という時代であるからこそ交わすことの出来るものだった。
「ずっと昔にこうして話しておくべきだったのね。私達は。」イベリスが小声で言う。
「えぇ、きっと。 “心に秘めたまま語られることのなかった想いはやがて後悔へと変わる”。リナリアが滅びたと知った時、そして貴女のことを知った時は悲しくて心苦しくて、どうしてそのような運命を彼の国へ与えたもうたのか神へ問う毎日を過ごしたものですわ。」ロザリアが答えた。
千年前、リナリア公国の滅びをヴァチカンで聞いた時のことをロザリアは思い出していた。日々の務めを果たした後、夜は眠ることが出来ずに教会の主祭壇に向かって泣きながら1人で祈りを捧げる日々を過ごした。
周囲にいた大人達や司教が聖書の言葉を用いて慰めてくれたが、ほとんど頭には入っていなかった。
ただ現実の残酷さと、自身の無力さに打ちひしがれるしか無かった。
祈る者は救われる。しかしそれは大人達の詭弁だ。
人が絶望の境地に立った時、最後に残される手段が “祈りを捧げること” しかないだけなのである。
「私も祈ったわ。永遠の眠りに就く前の刹那…頭に浮かんだ、たった一つの願いを。」
「そして神はその傲慢さをお許しになった。」イベリスの言葉に間髪入れずにロザリアが言う。そして二人は再び顔を見合わせて笑い合った。
かつてのリナリアでこのような日常があればどれほど良かったのだろう。
貴族のしがらみや決まりといったものもなく、教義や務めに縛られることも無く互いが接することが出来たのであればどれほど良かったのだろう。
互いが心に抱いたまま、ついに死するまで言うことがなかった想いが今になってとめどなく溢れ出してくる。
最初こそぎこちなさが目立ったが、懐かしさと嬉しさの奔流に包まれた2人は今こそ至福の時を共に過ごしていた。
ロザリアとイベリスが互いの心の内を語らっているそんな最中、唐突に幼い少女の声が聞こえた。
「あら、2人揃って仲の良い。私もお話に混ぜてくださらない?」
気取った言い回しでそう言った少女の声を2人は確かに知っている。
イベリスは後ろから聞こえた声の主が誰なのかすぐに理解した。この地に来て何度も視た映像で聞き慣れた声。つい先日に至っては直接会話もした人物だ。
「アヤメちゃん?」
とっさに振り返ったイベリスは目を丸くしながら言う。
振り返った先にいたのはアヤメだ。見紛うことはない、奇跡の少女と呼ばれる彼女がそこに立っている。
裏通りで警察官2人が襲われた事件のことを考えても、こんな深夜に彼女が1人で出歩くなど危険すぎる。自宅周辺警備の目を盗んでここまで来たというのだろうか。
心配になったイベリスはとっさに彼女の傍に駆け寄ろうとする。
しかし、ロザリアが即座に腕を伸ばし、イベリスを制止して言った。
「えぇ、 “思い出話” に花を咲かせるには人数が多い方が楽しいですものね?このような暗い暗い夜道は危険ですし、守ってくれる “大人” が1人は傍にいませんと。さぁ、わたくしの隣へおいでなさい。 “ア・ヤ・メちゃん” ?」
「誰が…貴女の隣は遠慮しておくわ。」挑発的な言動にアヤメは吐き捨てるように言う。
「いやですわね。随分とわたくしのことを敬遠されているご様子。久しぶりの “再会” の一言目がそんな言葉では、さすがにわたくしとて傷付くというもの。」
「勝手に傷付いてなさいよ。貴女の場合、傷付けようと思った側のナイフが刃こぼれするくらいには頑丈でしょう?それに、神にだけ愛されていればそれで十分なのでしょうから。」
穏やか…と言える雰囲気ではない。イベリスはピリピリした空気を感じていた。
まず両者とも顔は笑っているが目が笑っていない。この状況、とても言の葉を交わす雰囲気ではないように見える。
唐突に現れたアヤメとロザリアが互いに牽制し合い、瞬間的に殺伐とした空気へと変化した理由がいまいち呑み込めないイベリスは一人だけ会話から取り残された気分になっていた。
「愛しい “お姉様” にだけ愛されていれば、それで満足な貴女に言われたくはありませんわ。お互い様でしょう?」
お姉様?彼女は一人っ子のはずだし、そのような人物の話は事前情報ではついぞ聞いたことが無い。
ロザリアは彼女について何を知っているというのだろうか。
イベリスの疑念は深まっていくばかりだ。
「相変わらずね、ロザリア。それよりこの数か月ずっと不思議に思っていたことがあるのだけれど聞いて良いかしら?」アヤメが言う。
「はい、何なりと。」口元を押さえながらロザリアは答えた。
「貴女、 “何でその姿のままで生きているの?” 」
質問に対して一瞬呆気にとられたような表情を浮かべたロザリアだが、次の瞬間には満面の笑みを浮かべてこう返事をし一笑に付した。
「うふふふふ。それを “今の貴女” が問いますの?そのようなこと、今この場に集ったわたくし達にとってはもはや気にするような事柄でも無いと思うのですけれど。」
殺気だった空気が流れる中、完全にその場の空気から取り残されてしまったイベリスは居ても立っても居られなくなって2人に問い掛けた。
「ロザリー、アヤメちゃん?貴女達は知り合いなの?」
その質問に対してアヤメは残念そうな表情を浮かべながら言う。
「知り合いも何も、 “同郷” ですもの。もちろん貴女と私も “知り合い” よ、イベリス。やっぱり気付いていないのね?」
質問をしたはずが逆に問い掛けられてしまった。しかしその言葉の意味をいまいち呑み込むことが出来ない。
自分の知り合い?アヤメと出会う前から?いつ、どこで?
彼女の姿はこの地に来て初めて知ったはずだ。初めて言葉を交わしたのもつい先日の出来事である。
それにリナリア島から連れ出されて1年はセントラルで暮らしてきたので、機構に関わりのない人物に知り合いがいるはずがない。
するとアヤメは寂しそうに溜息をつきながら答えた。
「気付いてもらえないことほど悲しいものはないわよね。」
そうして小声で自身の “本当の名前” をイベリスに伝えるのだった。
「…アイリス。アイリス・デ・ロス・アンヘルス・シエロ。覚えているかしら?」
その名乗りにイベリスは言葉を失った。
アイリス?本当にあのアイリスなのだろうか。リナリア公国七貴族の一家の娘である彼女の見た目はまったく違うものだったはずだ。
「貴女…本当にアイリスなの?木陰からよく私達を眺めていた。」
「あら、そんなところには貴女も気付いていたのね?そうよ。自分から話し掛けることも出来ずにただ物陰から眺めるしか能の無かったあのアイリスよ。久しぶりね。」
イベリスはこの時になってようやく先程のロザリアの行動を理解した。
まさかこの地に同郷の人間がまだいようとは。ロザリアの存在だけでも心底驚いたものだが、アイリスの存在はその遥か上をいく驚きを自身に与えた。
世界中の中で、これだけリナリアに縁をもつ人物が一か所に集まってくるとなると、自分がこの地に導かれたのも偶然ではなく必然だったのかもしれないとすら感じられる。
しかし今のアイリスとはどのような存在なのだろう。
玲那斗のような転生?それともアヤメという少女の中にアイリスの魂があるとでも言うのだろうか。
どちらかは分からないが、とにかくロザリアの反応や当事者しか知り得ない思い出を知っている限り、目の前に立つ少女はリナリア公国に生きた彼女で間違いなさそうだ。
「その身体…今の貴女はどういった存在なの?肉体も含めた転生とでもいうのかしら?」イベリスが問う。
「この体自体は紛れもなくアヤメ・テンドウという少女のものよ。今の私にとってとびきり大事なパートナーよ。私は数年前に彼女の中で魂だけの存在として目覚めた。理由は分からないけどね。故あって今は彼女の体を常に借りている状態なの。彼女という器に私という魂が宿っていると言えるわね。」
明らかに人智外の存在である自分が言うのも何だが、 “信じられない” という思いが湧いてくる。
だが、先日の自身への挑発的な対応や今の状況なども鑑みて、彼女の言葉は全て真実なのだろうという直感はある。
「そう…そう言うことね。先日貴女と私達でお話した時にどうして私に対してだけあのような挑発的な態度を取ったのか気になっていたのだけれど、ようやく合点がいったわ。」複雑な思いを胸に抱きながらイベリスは言う。
「正直に言えば、私は遠い遠い昔に貴女の高潔さと清廉さに憧れていたものだけれど…まさか彼に少し身を寄せただけであんなに簡単に嫉妬して語気を荒げるだなんて思わなかったからびっくりしちゃったわ。レナトのことが絡むと周りが見えなくなるのね。」アイリスは笑いながら言った。
「私を試したのね?」やや厳しい表情でイベリスは言う。
「えぇ、そうよ?お姉様といつも共に在った高潔で清廉なる貴女とは、本当はどんな人物だったのかを知りたかっただけ。それに、私は生前に貴女と会話らしい会話をしたことが無かったから気になって。なんだか拍子抜けしてしまったわ。」悪びれる様子もなくアイリスは言った。
「肉体が滅びても私の魂は人間のものよ。それは今も千年前も変わらない。愛する人に “意味も無く” ベタベタされれば嫉妬のひとつやふたつするに決まっているでしょう。」
「あら、意味はあったと思うのだけれど?それにしても、あの日は随分とそのことを悩んでいるように見えたけれど…自分の心にあった迷いはもう晴れたのかしら?」
「彼が今の私のままで良いと言ってくれたのよ。だからもう迷わないわ。それで、貴女はどうなの?アイリス。貴女はどうして奇跡の完遂を願うのかしら。」
アイリスは首を横に振りながら答える。
「それを貴女に話す道理は無いわ、イベリス。私には私の願いがあって、この子にはこの子の願いがある。それを “二人で” 叶えたいと思っているだけよ。貴女には関係ない。」
2人の会話に途中から静観していたロザリアが割って入る。
「その奇跡とやらの行く末について、わたくし達は重大な懸念を感じていますわ。本当に最後まで完遂するおつもりですのね? “虹の架け橋” と呼ばれる第六の奇跡まで。」
「よく知ってるじゃない。私の心でも読みとったのかしら?でも、ただ知っているだけではどうしようもないことも分かっているのでしょう?貴女に奇跡をどうにかできる力はない。だからこそ、この世界で唯一私達の奇跡に対する干渉が出来そうな力をこの地に招いた。つまりイベリス、貴女よ。最後の切り札としてこの地へ招いたのでしょうけれど、何をしたところで結果は覆らないわ。」アイリスはロザリアから視線を外し、イベリスを見つめて言う。
「イベリス、私にとって今でも少なからず憧憬の対象である貴女だからこそ忠告するけれど、気を付けなさい。この女は自らが信仰する神の為ならどんな手段も厭わずに平気で仲間を利用する薄情な輩よ。」
イベリスは何も言わない。目を逸らしがちに悲しい表情を浮かべる。
「そのような場面を貴女に見せたことはないはずなのですけれど。それに手段と目的が入れ替わった行いを平然とやってのける貴女にそこまで言われると、わたくしの心も少々乱れてくるというもの。あぁ、震える心の抑えが効かなくなってしまいそう。」
「怖い怖い総大司教様ね。でも、そんな場面を “私に見せたことがないだけ” でしょう?否定をしないということは図星だってことかしら。それと、仲間という言い方が悪かったのなら訂正しましょう。 “あれ” は厳密にいえば最終的に貴女達にとっても敵になるのかしら?」
そのままロザリアとアイリスはしばらく互いの目を見つめ合ったまま無言となった。
互いに何を心の中で思っているのだろうか。傍にいるイベリスにも感じ取ることは出来ない。
少しの間を置いてアイリスは満足したようなそぶりを見せて後ろへ振り向きつつ、歩き出そうとした直後にイベリスの方へ顔を向けて言った。
「そろそろ帰るわ。久しぶりの再会が殺伐とした会話になってごめんなさい、イベリス。でも貴女には気付いて欲しかった。私という存在がこの地にあることを。最後に一つだけ忠告しておくわ。この国では “目に見えるものだけが全てだと思わない方が良い” わ。情熱的に愛を語るものが本当は何を愛しているのかなど分からない。正しく見えるものが正しいとも限らない。貴女も国を背負う王妃の立場に立つ者であったのならよく考えてみることね。」
その言葉だけを言い残すとアイリスは足早に通りの向こう側へと歩き去っていった。
イベリスは彼女の残した言葉の意味をしばらく頭の中で吟味してみるが答えは浮かんできそうにない。
暗闇の中にアイリスが消えた後、ふとロザリアに問い掛けた。
「ロザリー。貴女は最初から気付いていたの?」
「わたくしの持つ力は昔からよくご存じですわよね?そうしたものを持っていると、その気が無くても分かってしまうこともありますわ。…なんとなくですけれど。ただし、それはあの子も同じこと。似たような力を持つ者同士だからこそでしょうか。こうして直接顔を合わせていがみ合ってしまうのは。本当は互いに能力の干渉も出来ないというのに。」片手で口を覆いながらロザリアは楽しそうに笑っている。
つい先程まで周りがハラハラするような辛辣な言葉の応酬をしていたはずであるが、2人にとってのそれは単なる挨拶代わりのやり取りに過ぎなかったのかもしれない。
実際に心の奥に秘めた想いはお互いが分かりあっているということだろうか。今日この時に至ってようやくロザリアと心の内から分かり合えたと思ったイベリスには羨ましいことだった。
だが気になるのは別の部分だ。
“似たような力を持つ者同士”
“互いに干渉など出来ない”
ロザリアの言葉を真に受ければ、アイリスも何らかの特別な力を持っていることになる。
規模を問わずに雷を狙った場所に落とすことが出来る力は数日前に確認済みだが、それ以外にも彼女には別の何かがあるらしい。
それも、 “自身と似たような力” というからには他人の心の有り方に対して真価を発揮するものなのだろう。
そうなると、アイリスに対しても隠し事の類は通用しそうもない。
イベリスが彼女のことについて思いを馳せていると隣で満面の笑みを浮かべたロザリアが言った。
「今宵は貴女とたくさんの言の葉を重ねることが出来て満足しましたわ。改めてお礼を申し上げましょう。」
そしてしんみりと、彼女は未だかつてイベリスが耳にしたことがないような感情に満ちた声で囁く。
「会いに来てくれてありがとう、イベリス。」
「こちらこそ。神の御心によるものではなく、貴女の本当の心…その本音を聞くことが出来て良かったわ。ロザリー。」イベリスが応える。
その後、2人は僅かな時間視線を交わすとどちらからともなく二手に分かれて帰途に就く。
ロザリアは教会に向けて、イベリスは能力を解除して元のバルコニーへ。
こうしてリナリアの国で生まれ育った者達による夜の再会は幕を閉じたのだった。
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