第4節 -聖母の御言葉-
ポーンペイ大聖堂跡地、ドイツ鐘楼のすぐ傍に建つカトリック教会の中、キリスト像が佇む主祭壇の前に1人の聖職者と1人の信徒の姿があった。
美しいプラチナゴールドのストレートロングヘアとオーシャンブルーの透き通るような青い瞳を持つ少女。万物を包み込むように優しい、穏やかな微笑みを浮かべて佇むのはヴァチカン教皇庁のパトリアルクス。
西方教会 ローマカトリックの長きに渡る歴史上、初めて女性として司祭以上の位に就いた人物。教皇不可謬説を覆した例外中の例外。総大司教を務める彼女の名はロザリア・コンセプシオン・ベアトリスである。
もう一人はローズゴールドの髪色で毛先に向かうにつれて緩やかなウェーブのかかるロングヘアとレッドパープルの瞳が特徴的な少女。ロザリアの補佐役を務める彼女の名はアシスタシア・イントゥルーザという。
2人は数か月前、ミクロネシア連邦大統領からヴァチカンへもたらされた奇跡の再来の情報を受けこの地へと派遣された。到着してから既に2か月ほどこの地に滞在をしている。
外で激しく地面を打つ雨と雷鳴の音のみが教会内に響き渡る。
そんな中、まるで陽だまりに咲く一凛の花を連想させるような柔らかく穏やかな笑みを浮かべてロザリアは言う。
「ねぇ?アシスタシア。先刻上空を通過したヘリにイベリスは同乗していたと思いまして?」
「はい。間違いなく。」アシスタシアは落ち着き払った簡潔な返事をした。
「うふふ。同じ地に “同郷の人間” が3人も集まるだなんて不思議なものですわね。何の因果か。運命の巡り合わせというものなのか。それも、千年もの歳月を越えて。いえ、1人は厳密には本人ではなく、もう1人は既に人間ですら無いのですけれど。あぁ、それと…そういえばもう1人いたような気がしますわね。」そう話す彼女はいつになくとても楽しそうだ。
「彼女が新たにこの地に訪れたことは私達にとっても重要な意味を持ちます。彼女の力が無ければ、おそらくあの子を止めることは出来ません。」
「そうですわね。この地における事件を収めるにあたって、イベリスの力が必要なことは間違いないでしょう。デタラメな力には相応にデタラメな力をぶつけるのが最善。目には目を、ですわ。ふふふ。今この地にはいらっしゃいませんが、国際連盟を陰から統率する同郷の彼女であれば、未来を視通す目をもって同じことを述べるのでしょうね?」ロザリアは一瞬頭によぎった別の少女のことを思わず口に出した。
「国際連盟における事実上の頂点。予言の花。マリア・オルティス・クリスティー。彼女はこの地には訪れないのでしょうか?」
「えぇ、残念ながら “今は”。ただ、そのことを一番残念に思っているのは、わたくしではなくこの地で奇跡の少女と呼ばれるあの子でしょうけれど。」
一通り話し終えると、ロザリアはその美しい瞳をアシスタシアの方へ向けて本題に移る。
「さて、戯れのような余談はともかくとして…機構の皆様方とは早急に協力関係を築かなければなりません。第四の奇跡とやらを拝見した限り、此度の奇跡とは我らの主によるお導きと言うには及ばず、何かしら別の意図をもつ作為的なものと見受けられます。あの子の意思によるものなのか、別の意志であるのかまではわかりませんけれど。しかし、どのような理由や絡繰りであれ、我らの神の名を騙る、あのような戯言と蛮行を看過するわけには参りませんわ。」
「既に彼らの代表に対して会合の時間を持ちたいという旨は打診済みです。応じて下さるとは思いますが、その…」
「心配せずとも大丈夫ですよ?アシスタシア。彼らとて、今回の件については協力者が多ければ多い方が良いとお考えになるはず。それにわたくし達の意思を知る為に遅かれ早かれ対話の場を持つことになるのは自明の理。時が先になるか後になるかというだけのこと。そう不安がらずとも、今日中に思った通りの答えが返ってくるでしょう。」
「はい。」
彼女の言葉に短く返事をしたアシスタシアは心情を吐露するように言った。
「ロザリア様、今回の一連の奇跡と呼ばれる現象…あれらは個人の力だけで為し得るものなのでしょうか?私の目にはとても…そのようには見えません。」
「あの子が元々持つ力に加えて、あの子の器となる少女が持つ特別な何かがそれを可能にしているのではないかしら?この国では西方教会の信仰の他に土着の精霊信仰があると聞き及んでいます。この地ならではの固有の力を持つ者が現れても不思議ではない。例えば、先刻この島へ到着した彼女と同じような力を持つ者がこの地に存在したとしても不思議だとは思いませんわ。」
不安そうな表情を浮かべるアシスタシアの横で、微笑みを絶やすこと無く楽しそうな表情でロザリアは答える。
「アシスタシア。貴女はこれより奇跡のような光景を数多く目の当たりにすることになるでしょう。しかし忘れてはなりません。我らにとっての奇跡とは “人の救いの為に必要な行いが聖霊により示されること” 。そして教会法による真偽判定を経て語られるものであること。さらに如何な罪人であろうとも、あの少女に虐げられる者にとっては “その奇跡が決して救いとはならない” ことを。」
彼女が話し終えると同時に、外で大地を打ち付けていたスコールは止み、代わりに空に出来た雲の隙間から日差しの帯が降り注ぎ始める。
その光は教会のステンドグラスを煌かせ、主祭壇に立つ二人の姿を照らし始めた。
「全ては我らの神の御心のままに。」
ロザリアはキリスト像へ体を向け直すと短く呟き、主祭壇に向かって十字を切り祈りを捧げた。
* * *
機構の支部内の機密会議室ではたった今リアムによる薬物密売組織の説明が終わり、これからいよいよ本題である “この島で起きている事象について” の話へと入るところであった。
「では皆さん。いよいよここからが本題です。」
そう切り出したリアムは深く息を吸って吐き出した。一度手元の資料に目を落とし、再び顔を上げ5人へ視線を向けると話を始める。
「マルティムが流通させる既存薬物やグレイによる被害が増え、組織の摘発も思うように進まず、薬物による症状の治療に関しても解決の糸口が見えない中、今年の6月にこの地である出来事がありました。一人の少女が禁断症状を発症した患者を完全に治癒してみせたのです。」
その言葉を聞いた瞬間、マークתのメンバーは全員が同じ思いを共有したはずだ。話を聞いていた全員の表情が険しくなる。そう、それが事実であれば話が矛盾してくる。
今までの説明において、リアムは自身の口から【正体が分からない新型の薬物であり、それは機構のプロヴィデンスによっても精査出来なかった】と発言したはずだ。
正体が分からないはずの新型薬物によって引き起こされる症状を “完全に治癒” 出来るはずがない。
ただの風邪のように、日常的に誰もが罹患する可能性のあるものとは根本が違う。ただ休息をとり、安静にしていれば治るということは有り得ないはずだ。
細胞や神経レベルで破壊を行う正体不明の薬物による劇症を完璧に治癒するなど誰が聞いても悪い冗談としか思えない。
例えば全世界を震撼させるような新型感染症の特効薬やワクチンの開発ですら、症状を引き起こす原因となる物質の正体が判明してから完成の日の目を見るまでに長い月日がかかる。
しかもそれは世界中の国々が持つ最高の叡智を結集させて研究したとしてもの話だ。近年で言えば2020年に世界中で猛威を振るった新型コロナウィルスが記憶に新しい。
アメリカ、スイス、ドイツ、イギリス、日本といった国々が叡智を結集しても治療薬の開発には相応の月日がかかっていたのだ。
仮に先の発言が冗談で無ければ “奇跡” という言葉に言い換えられる事象だろう。
しかも、根治不可能と思われる症状に対して完全なる治癒を行うという偉業を “少女がたった一人で” 成し遂げたという。
「先の私の言葉を聞けば皆さんは悪い冗談だとお思いになるでしょう。誰が聞いてもそう思うはずです。重々承知の上でそう発言しました。しかしこれは紛れもない現実です。一人の少女が禁断症状を発症し、いずれは劇症化して死を待つしかなかったはずの人々を治癒したのです。それも一人二人ではありません。幾人も。それ以来、グレイによるものと思われる薬物被害は劇的に少なくなりました。…少し話が逸れますが、皆さんは1917年、ポルトガルの小さな町で起きた奇跡の話をご存知でしょうか?」
「聖母の出現のことでしょうか?ローマカトリック教会が公認したポルトガルで起きた奇跡。歴史文献で見たことがあります。奇跡が起きた町の名前を取り “ファティマの奇跡” として記録されていました。」リアムの問いに初めて玲那斗が答えた。
「さすがです、姫埜中尉。その通り。実の所、今この地ではそれと同じようなことも併せて起きています。」
「その奇跡には、聖母の出現と合わせて太陽が異常な動きをしたという話も含まれていましたね。それを指して “太陽の奇跡” と呼ばれたはずです。この地で起きているという異常気象もそれに関連するのでしょうか。」ルーカスが確認の意味も込めて言った。
「はい。ファティマの奇跡、又は太陽の奇跡とは1917年5月13日に3人の少年少女が聖母マリアから毎月13日に同じ場所に会いに来るように伝えられたことから始まる一連の奇跡のお話です。まず彼らには聖母マリアより三つの預言が伝えられます。地獄の実在、戦争終結と大戦争勃発の預言、そして未だに謎の多い第三の秘密。あらゆる病を治癒する奇跡の水の現出、太陽の異常活動などが次々確認され、カトリック教会によって1930年に聖母出現の奇跡と公認されました。」
リアムは簡単に過去に起きた奇跡の概要を説明し、続けて今この地で起きている事象についての説明を話し始めた。
「そして今年5月13日。その一連の奇跡をなぞるような出来事が起こりました。この地に住むある一人の少女が付近の住民を集め、カトリック系キリスト教教会跡地で聖母マリアの出現を唱えたのです。内容は要約すると次のようなものでした。」
聖母マリアからの御言葉である。
この島に悪意を持ち込むものがいる。それらの人々が持ち込んだ邪悪を払う為にこれより毎月13日に聖母マリアによるお告げを行う。
人々の祈りによってのみ奇跡は達成される。その尊い願いによって今島を包み込む邪悪は払われ、蔓延する奇病は終息に向かうだろう。
祈りを継続することによってそれらの奇跡が達成されることを聖母マリアは約束する。
翌月の13日に同じ場所で奇跡が起きる。
「当然、最初は誰もが耳を傾けませんでした。子供の思い付きによる悪ふざけだろうと。しかし、翌月13日に起きた出来事によってほとんどの人が考えを改めました。6月13日に少女は同じ場所に立ち、次のように述べました。」
聖母マリアからの御言葉である。
ひと月前に伝えたことを嘘だと嘲る者もいるでしょう。天上のお告げを信じられない者の為に今日この日に約束通り奇跡をもたらしましょう。
枯れた泉を覗きなさい。
これより湧き出でるのは万物を癒す命の恵み。ルルドの地にもたらされた奇跡を貴方がたに再び授けます。
「少女がその言葉を言い切った直後、付近の枯れたはずの泉に水が湧き始め、あっという間に溢れるほどになりました。最初は濁っていた水ですが、やがて飲用しても問題ないと見受けられるほどの清水となったのです。さらにこの時、まだ陽が高く昇っている時間帯であったにも関わらず、少女の背後の空は一面赤黒く変色していました。併せて太陽がジグザグを描くように奇妙な挙動で動く様子を多くの人々が目撃しています。驚嘆に包まれる人々に対して少女は続けてこう言いました。」
“病めるものに水を与えなさい。身体を蝕む悪魔のような苦痛から解放されます。”
「言い換えればあらゆる病が治癒するという意味でしょう。丁度その時、新型薬物グレイの影響だと思われる禁断症状に苦しむ一人の男性が付近に居ました。症状がある程度進行していてもう1日ももたないかもしれない状況だったそうです。この時点では誰もが半信半疑の思いを抱いていたと思います。しかし、男性の家族が藁にもすがる思いで急いで水を汲み取り男性に飲ませるとすぐに症状が治まったのです。そして五分も経たない内に完全に治癒したと言えるほどの回復を見せました。その間、少女は両手を胸の前に合わせて祈りを捧げるような姿勢を取っていましたが、男性が治癒されたという事実を誰もが目撃したことを確認した直後に人々にこう伝えます。」
私が求めるのは全ての人々による善聖なる祈り。
もし、多くの人々が私の望みに耳を傾けるならば、この奇跡はさらに大きな力をもって貴方がたに与えられます。
我らを地獄の灰より救い給え。この地にもたらされた災厄を払う力とならんことを。
繰り返しましょう。祈りを集めるのです。
それが達成された時、この島に巣食う邪悪は取り除かれ、誰にも冒せない本当の平和が導かれます。
来月の13日、この場所に再び集まりなさい。
「そこまで彼女が言い終えた時、赤黒く変色していた空は元の青空へと戻り、太陽が輝くいつもの様子へと戻っていました。溢れていた泉の水も徐々に失われて行き、10分ほど経過した時点で枯渇しました。この時点で彼女の言葉を疑う者はほとんどいなくなりました。猜疑心の強い一部の者だけが彼女を疑いましたが、翌月に続く奇跡によってその疑いも取り払われることになります。」
リアムはここまで話をすると再び一呼吸間をおいて補足を加えた。
「以後、現在まで続く奇跡は『聖母の奇跡』と呼ばれ、5月13日の出来事を【第一の奇跡】、6月13日の出来事を【第二の奇跡】と人々は呼んでいます。そして第二の奇跡にて観測された異常とも呼べる空の怪奇現象と奇跡の水の現出について、政府から直々に我々に調査依頼が届けられることになりました。 “現実問題として自然界で有り得る現象なのかどうかを調査してほしい” という内容です。当該の現象については同日に我々も観測していた為、手元に分析可能なデータがあったことからすぐに事象の精査に取り掛かりました。1917年に起きた奇跡の際に、太陽の挙動などについて否定的な立場から科学的分析がなされたことから考えて、この依頼についての本当の目的は “本当に奇跡の再来かどうか” をまずは計る為のものだと私は認識しました。」
そこまで言い終えたリアムはモニターに調査当時の資料を表示しながら説明を続けた。
「端的に言って、数か月前に行った我々の調査では当然のことながら当該の事象は自然現象では有り得ないと結論付けられました。集団幻想の可能性などについては憶測の域を脱せず、証明の方法が無い為検証に含めていません。しかし、目の前で起きた出来事に対してこれだけで調査を終えるということも出来ません。彼女が翌月に同様の奇跡を起こすことを示唆していることから、我々はより厳密な調査を行う為にセントラル2へと応援を要請し、ハワード少佐が率いる艦体の援助を受けることが出来ました。」
次にモニターにはセントラル2の艦隊と6月の事象について合同で再検証を行った際の資料が表示された。
「少佐の調査艦隊と合流し、これまでの出来事についてあらゆる角度から観測された事象の分析を含めて再検証を行いました。しかし、これも結論から言えば自然界では有り得ない現象であり、 “奇跡と認めざるを得ない”。異常な空模様や太陽の異常活動の観測だけではありません。どんなものかも解析されていないはずの薬物、グレイが身体に与える影響と思われる症状に対して治療行為を伴わずに完治させるということも含めてそう認めざるを得ませんでした。禁断症状の完治に至っては集団幻想などではなく厳然たる “事実” です。現在までの所、これらの事象に対する解明については分析権限を引き上げたプロヴィデンスの演算を以てしても有効な結論を導くことは出来ていません。」
「なるほど。新型薬物と異常気象の話がどう繋がるのかについては合点がいった。異常気象調査とは建前で、実際のところはリナリアと同じ怪異調査…もとい、奇跡調査といったところだな。ところでモーガン中尉。ひとつ尋ねたい。調査の依頼は政府からのものだというが、その依頼主は誰だ?」ジョシュアが問う。
「ミクロネシア連邦 大統領 ジョージ・キリオン氏です。」リアムは即答した。
ジョージ・キリオン。ミクロネシア連邦 第13代大統領。
西暦2031年に大統領に就任し、1期目の任期満了となる2035年に再選。現在2期目の任期を迎えている。
一院制を取る連邦議会は4年任期の議員を各州から1人ずつと、各州の人口比によって選ばれる2年任期の議員が10名、合計14名の議員で構成される。
ジョージ・キリオンはその中のポーンペイ州出身の州議員であり、派手さや華やかさこそ無いが真面目で真摯に物事に取り組む堅実な姿勢を持ち国民からの支持も厚い人物だ。
漁業や農業、観光による経済基盤の強化や海外への文化の発信、社会保障制度の充実、急速な近代化に伴う環境汚染・破壊の防止、諸外国や太平洋他諸島との緊密な関係作りなど、同国の運営基盤の強化も彼の主導によって着実に進められている。
彼の政策における観光経済の強化については、外国資本に頼り過ぎたことによって自国民の雇用が促進されず、経済が停滞してしまった近隣諸島の観光開発の一件を教訓として、自国民中心による成長と発展を理念として掲げている。
当然、この理念に基づけば成長速度としては急激な発展を望むことは出来ないが、確実な規模拡大と盤石な運営基盤の構築を見込むことが出来る。
そして何よりもキリオン大統領の手腕が優れていたのはそうした観光経済の安定化と国内開発を外国資本にほとんど頼らないという方針を打ち出したにも関わらず、素晴らしい速度で高度経済成長を成し遂げたことであった。
前大統領時代から引き継いだ事業も含めてミクロネシア連邦は急激な近代化を遂げ、コロニア市内や首都パリキールでは観光事業を中心として先進諸国に見劣りしないような建物や施設の充実が成されつつある。
厳密にいえばミクロネシア連邦にとって、現在もアメリカや日本といった経済先進国による援助がまだ多少は必要な段階ではある。しかし、過去には遠い目標と思われていた経済的自立ももはや成し遂げたも同然であり、その先にある完全なる経済的自立も十分視野に捉えられるまでになっている。
関連諸国の評価としても真の意味で主権国家としての独立という悲願を果たす日も間近だと目されている。
その優れた政策を打ち出す中心にいる人物こそがジョージ・キリオン大統領である。
「キリオン大統領は薬物密売の横行と今回の奇跡の再来と呼ばれる異常現象について深く憂慮されています。上空に観測された異常現象についての調査を我々に依頼すると同時に、今回の一件が過去の奇跡と類似性があることをすぐに見抜き、秘密裏にヴァチカン教皇庁へも報告をしていたようです。報告を受けたヴァチカンからは二人の人物がこの地に派遣され、件の事象がもたらす結末の行方を見極める為に滞在しています。派遣された方の内1人はヴァチカン教皇庁の総大司教を務める人物。名前は確か…ロザリア・コンセプシオン・ベアトリスだったかと思います。」
「その名前、噂は聞いたことがある。女性司祭については教皇不可謬説として永遠不変の絶対の決まりだと過去に明言されたはずだった…にも関わらず女性として歴史上初めて司教となった人物。厳格な教義の中における例外中の例外。公の場に姿を見せることは無く、教会もその存在について今でも明言を避けている。詳細は不明だが彼女がもつとされる奇跡の力の話も含め、一部の狂信者達が喧伝した噂に過ぎないのではないかとすら言われ、事実として名前以外の多くが謎に満ちている人物だと聞いていたが。」リアムの説明を聞き、内容に心当たりがあるジョシュアが言った。
「私もまだ直接お会いしたことはありませんが、現実にヴァチカンから派遣された以上、噂ではなく実在するということは間違いありません。」
リアムとジョシュアが話をする傍ら、玲那斗の隣では彼女の名前を耳にしたイベリスが驚いたような反応を見せていた。
会議が始まって以降、彼女の様子を常に気にかけていた玲那斗だけはその反応を見落とすこと無くイベリスへ声を掛けた。
「何か気になることでもあるのかい?」
全員の視線がイベリスに集まる。
「いいえ、何でもありません。お話を続けてください。」
玲那斗の問い掛けに否定の言葉を返し、話を続けるように促すも、明らかな困惑の表情を浮かべているのが見て取れる。
二人のやり取りを見たリアムもイベリスの様子を気にするそぶりを見せつつ、話の続きを再開した。
「話を続けましょう。次の奇跡は予告通り7月13日に起きました。再び少女は大聖堂跡で聖母マリアの御言葉を告げたのです。内容は次のようなものでした。」
聖母マリアからの御言葉を告げる。
人々の祈りでこの島が満たされつつあります。しかし、まだ足りません。
回心、癒し、家族や友の幸福に加えて主への愛を祈ってください。そうすれば間もなく貴方がたの願いは叶います。
この島を支配する邪悪は去り、平穏な日々が訪れるでしょう。
さぁ、泉を覗きなさい。祈りによって主から貴方がたへの愛が与えられます。苦しむ人へこの水を与えてください。祈りと愛によって癒しが導かれます。
「彼女がそう言った直後に、枯渇したはずの泉から再び水が湧きだしたのです。グレイ以外の薬物の後遺症で苦しむ人々も含めて前回より多くの人々がこの水を汲み、そして飲みました。その中には病気や怪我で苦しむ人々の姿もありましたが、やはり水を飲んだ全ての人の症状が完治と言えるほどまで回復したのです。彼女は前月と同じようにその光景を見届けると話を続けました。」
これは貴方がたに授けられる奇跡のほんの一部に過ぎません。
想いを唱えることによって、より大きな恩恵がもたらされるでしょう。
我らの主だけではありません。貴方がたを救う為に、この国を守護する雷神ナーンシャペも蘇り我々に力を貸し与えようとしています。
翌月、8月13日の日にテムウェンのナン・マドール遺跡へ行きなさい。その日、貴方がたを救う “光” をお見せします。
「第三の奇跡と呼ばれるこの事象が起きた当時、私や少佐も現地で状況を観測していました。上空は曇りで前回のような赤黒い変色や太陽の異常な活動は見られませんでしたが、時が止まったかのような静寂さに加え、世界から色が消えたかのようにやけに灰色がかった景色が広がっていたように思います。何より、気温30度以上を観測していたにも関わらず、山の方から非常に冷たい風が吹き込んでいたことが印象的でした。後の分析結果では、 “その日のその時刻にそのような風がコロニア市内に吹き込んだという事実は無い” という結論が導かれています。しかし、私も含めてその場にいた誰もが実際にその風を体感していたのです。あれは雷雨が訪れる前に吹くような単純に涼しいと感じる風などではなく、例えば他国の冬の季節に吹く風のような冷たさでした。」
「モーガン中尉、ひとつ質問をさせて下さい。」ルーカスが言う。
「構いません。」
「その場で観測したということは、おそらくルルドの再来という奇跡の水についても調査していると思いますが、そちらの調査結果はあるのでしょうか。」
「もちろん。第三の奇跡によって得られた奇跡の水は支部へ持ち帰り、プロヴィデンスによって解析を行いました。おそらく皆さん答えの見当が付いているかと思いますが、 “ただの水” でした。ほぼ純水です。それ以外に含まれていたのは泉そのものを構成する材質から混ざったであろうと結論付けられる極少量の不純物ばかりで、湧き出た物質は間違いなくただの純水という結果が出ています。」
「なるほど。これは確かに科学を用いて論理的に説明できる事象では無さそうだ。」
答えを聞いたルーカスはお手上げだという表情を浮かべ椅子の背もたれに寄りかかった。
「この地で起きている事象の特異性は分かってもらえただろうか。」リアムの隣でハワードが口を開く。
「あぁ、十二分に。」ジョシュアが同意を示し、他のメンバーは静かに首を縦に振った。
「そうか。だが、これだけではない。むしろここからが本題だ。」
「どういうことだ?」ハワードの言葉の意味をジョシュアが問う。
問われた質問に答えることなくハワードはリアムに対し状況説明の役を変わるように言った。
「モーガン中尉、説明ご苦労。この先は私が説明を引き継ごう。」
「承知しました。」
「では、マークתの諸君。そしてイベリス。我々が諸君らをこの地に呼ぶに至った直接的な “原因” となった理由についてこれから説明しよう。」
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