第45話 エピローグ代わりの後日談1

 ロームの中心部にあるドルム広場にほど近い一角に可愛らしい看板を掲げた菓子店がある。ありがとうございました、という店員の声を背中に受けながらエルセは店を出た。


 隣には筋肉がしっかりとついた、背の高い男がいる。褐色の髪の毛に健康的な肌の色をした青年である。


「お目当てのものが買えてよかったな。きっとフューレアも喜ぶぜ」


 にこりと笑うと愛嬌があるが、所見ではこの人とは仲良くなれないかもと思ったのは、おそらく墓場までの秘密になるかもしれない。何しろ、その男こそがエルセの婚約者になったのだから。人生とは分からないものである。最近その言葉をひしひしと感じている。


「そうね。最近人気のお店みたいだし、フューレア様も喜ぶと思うわ」


 ロームの若い女の子の間で評判の菓子店は、元は裕福な商人の夫人や子女向けの店だったが、貴族の間にも足繁く通う人がいるらしい。


 結婚式の最中に大変なことが起こったが、フューレアとギルフォードは無事に結婚をして夫婦になった。


「そうだ。この先にうまいって評判のカフェがあるんだと。ちょっと寄っていかないか?」

「そうねえ」


 アマッドはエルセと二人きりになると途端に口調が砕ける。本人曰く、こちらの方が楽だし素なのだということ。


 エルセとしてもざっくばらんな方が変に緊張しなくて済むのでありがたい。アマッドは祖国カルーニャでは大きな商会の跡取りというだけあって、きちんと躾けられている。


 砕けた喋り方はそれはそれで作っているのかな、とも思う。何にしろアマッドの雰囲気には合っているからいいのだけれど。


 ロームの夏は短い。

 九月に入ると途端に肌寒い日が増えた。今日は幸いにも太陽が力強く光を照らしてくれているので、運河を見ながらコーヒーを飲むのもありだろう。


「少しなら。このあとフューレア様のところに行くんだから」

「おうよ」


 アマッドはにかっと笑った。返事が水夫のようでもある。

 ほんの少し寄り道をすることになって、二人で並んで歩いているとすれ違った男がエルセの顔を覗きに後ろ歩きをした。


「もしかして、クライフ嬢ですかね?」

「……あなたは?」


 くたびれた上着と履き古した革靴。それからやっぱりくたびれた帽子の中年男。何か、既視感がある。


「私ですよ。『日刊ローム』のマーシュ・ストレイクです」


 エルセは少しの間考えた。

 そして思い至る。そういえば、数か月前にナフテハール男爵家の前でフューレアを一緒に新聞記者たちに絡まれたことがあった。


「わたしにそのような知り合いはいませんが」


 エルセは氷のような声を出した。あのときのことは、今思い出しても非常に腹が立つ。


「またまたぁ。酷いじゃないですか。フューレア・ナフテハール、いや、フィウアレア・モルテゲルニー姫君の数奇なる運命! そんなものすごいネタを隠し持っていたとは! あのとき独占取材をさせてくれれば。うちの日刊ロームの売り上げは十倍、いや二十倍にはなっていたのに」


「あなたの新聞で記事にしても、どうせまた日刊ロームが笑い話を書いたくらいにか思われないので、売り上げは通常と変わらないかと」


 だいぶ真面目に切り返すとマーシュは「いやぁ。ははは。辛辣だな」と乾いた笑い後を出した。いや、この感想はロームっ子なら誰しもが思うことだ、とエルセは心の中で突っ込みを入れた。


 エルセはマーシュには取り合わずにすたすたと歩く。隣のアマッドが眉を跳ね上げ、胡乱気に中肉中背の中年男をねめつけるが、彼は取材対象のエルセにしか頓着していない。


「いや、それにしてもですよ。まさかナフテハール氏の養女になった娘が、今は無きゲルニー公国の最後の姫君だったとは! ものすごい話じゃないですか!」


「……」


「クライフ嬢は、フューレア嬢、いや夫人ですね、と二年も旅に出られていたんでしょう? そのときのお話を是非に我が日刊ロームに独占でお話頂きたいんですよ」


「……」


「ほら、なにかあるでしょう。二年も旅行に行っていたんだから、こう、秘密の恋とかいろいろ―」


「これ以上俺の妻に話しかけるな。ハレ湖に沈められたいのか」

「な、なんだい、きみは」


 エルセの不快度指数が急上昇し、こめかみに青筋が立ち始めたちょうどそのとき、アマッドがすごみのある声を出して新聞記者、マーシュを脅した。


 ハレ湖に沈める云々はロームっ子お決まりの冗談だが、上背もありがっしりとした体つきのアマッドが言うとなかなかに迫力がある。現にエルセに絡むマーシュが明らかにビビった声を出した。


「エルセの婚約者だ」


 アマッドは駄目押しとばかりに指をポキポキと鳴らし始めた。その効果は絶大で、マーシュは引きつった顔をさせつつ逃げ去った。


「ありがと」

「ほんとにハレ湖に沈めてやろうかと思った」


 ちっ、とアマッドは舌打ちをした。


 結局カフェはやめてレーヴェン公爵家へ向かうことにする。本来ならエルセの立場でレーヴェン公爵家の若奥様の元へ遊びに行くなどありえないことなのだが、フューレア自ら手紙で、いつでも遊びに来てね、と書いてきたのだし、彼女は現在引きこもりなのだし。今回は大目に見てもらおう。


 それというのも。


「でもまさか、フューレアが元公女様っていうの、未だに信じられないな」


 公爵家へ向かう馬車の中でアマッドがしみじみと呟いた。

 聞いた当初はエルセもびっくりした。


 なにしろ、東に広がるリューベルン連邦を形成する今は無きゲルニー公国の大公家の血を引くお姫様だったというのだから度肝を抜かれた。


 ゲルニー公国の終焉に伴う政情不安により、非公式にロルテームへと亡命した彼女は大人になり改めて連邦の皇帝とやり取りをした。己に付随する一切の権利放棄を条件に身の安全の確保を約束させたのだ。そして、ロルテームへ正式に亡命を果たし長らく行方不明だったフィウアレア・モルテゲルニーはその消息を世間に公表した。


 麗しのギルフォード・レーヴェンの結婚相手が実はやんごとなきお姫様だったという事実は大変な騒ぎとなってロルテーム社交界を駆け巡った。


「たしかにお姫様だったのは驚きだったけど。フューレア様、立ち居振る舞いが洗練されすぎてて、色々と腑に落ちたわ」

「……明るいお元気娘って印象しかなかった」

 アマッドが適当すぎるだけだ。


「そうか。物怖じしないところは経験のなせる業か」

「どうかしら。あれは天性な気がしないでもないけれど」


 何しろ、十三歳で公国を秘密裏に脱出し、ナフテハール男爵家の養女となった半生を手記にして新聞で連載を始めてしまったのだ。


 本人曰く、これくらい堂々としていたほうが逆に政治利用されなと思って、とのこと。振り切り過ぎだと思ったが連載中の手記は面白くエルセも愛読している。


 ちなみに現在、連載している新聞は部数を伸ばしまくっている。先ほどの日刊ロームや他の新聞社はよほど悔しいのか、少しでもフューレアの関係者から話を聞こうと攻勢をかけまくっているのだが、関係者が社会的地位のある人間ばかりで今のところうまくいっていない。


 現在一躍時の人となったフューレアは煩わしい外部との接触を断つために屋敷に引き籠って原稿の続きを書いたり本を読んだりしている。


 エルセの旅立ちの日も近い。

 できればロルテームを離れる前にたくさん会って話しておきたい。


 違う国に住むことになっても大切な友人であることには変わりはない。それでもやはり寂しいのだ。


 その日、エルセとフューレアはたくさん話をした。

 一足先に人妻になったフューレアはエルセにとあるアドバイスをした。


 曰く、今からでも遅くないから体力をつけておきなさい、とのこと。やはり侯爵家の嫁というのはやることがたくさんあって大変らしい。エルセが「大変ね」としみじみと言うと、フューレアが「絶対にエルセだって大変な目にあうから!」と強く言われた。

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