第41話 家族のかたち

「とてもきれいね、フューレア」

「ほんとうに。きれいよ、フュー」


 ナフテハール男爵夫人とフランカが口々に褒めてくれた。

 今日の本番を前に、さすがのフューレアも昨日は寝つきがよくなかった。


 結婚式はローム郊外の小さな教会で行われる。ハレ湖へと流れるハーデル河の支流沿いにあり、辺りは牧草が広がりのどかな風景が広がっている。青い空と緑色の大地が目に鮮やかだ。


 結果的には結婚式を急いでよかった。式が終わり正式にフューレア・レーヴェンとなったあと、フューレアは世間に己の出自を明かすことになっている。フューレアの子孫にモルテゲルニー家に付随する諸々の権利が一切発生しないことを了承する誓約書に署名をした。


 これで邪な考えを持つ人間がフューレアに近づくこともないだろうし、所在を明らかにするのだからフィウレオ・モルテゲルニーの前に偽物が現れることもなくなる。


「ありがとう。お母様、お姉様」

「顔が白いわよ。今のうちに何か食べておきなさい」


「そんなこと言って。あなたみたいに神経が太くないのよ、フューレアは」

「お母様。何気に失礼ね」


「そんなこと言っても。フランカは結婚式の前日だって夕食をモリモリ食べて、良く寝た~って翌朝も起きてきたじゃない」

「そんな昔のこと忘れたわよ」


 母親の鋭い突っ込みに、フランカの方が話を逸らした。


 ロルテーム一番の仕立て屋に特別料金を払い、超特急で仕上げてもらった花嫁衣装はそうとは思えないほど見事な出来栄えだった。ドレス全体に精緻な刺繍が施され、スカートの裾には沢山の水晶が縫い付けられていて歩くたびにきらきらと輝いている。


 とても暖かい家庭に迎え入れられた。それはとても幸運で、一緒に暮らす男爵夫人のことを、フューレアは大好きになった。


 初めてナフテハール男爵家に来てから、沢山のことがあった。

 最初は緊張で食欲もなかった。生まれて初めて食べたニシンの酢漬けが非常にまずく感じたこと。けれどもどうにか頑張って出された分は全て食べきって。その日はずっと口の中が生臭く感じてどうにも気分が悪かった。


 新しく父となった男爵はフューレアを色々な場所へと連れて行ってくれた。

 ボートに乗っての運河巡りには目を輝かせた。水の上からロームの街を見た時の新鮮な気持ちと感動は今でもよく覚えている。


 メーペ湾に連れて行ってもらって、魚釣りをした。うねうね動くミミズのような餌を見て叫んだのも今ではいい思い出。


 本当にたくさんのことを思い出す。

 全部、フューレアにとってかけがえのない宝物。


 生まれ育った公国と己を愛しんでくれた両親と離れ、一人で新しい土地に来て不安しかなかった。

 その地で、フューレアはたくさんの人と縁を結ぶことが出来た。


「お姉様、わたしはずっとお姉様の妹よね?」

 今回のことは何も知らないフランカは妹の問いかけに首を小さく傾げる。


「どんなフューだって、わたしの妹よ」


 フランカはフューレアの言葉が、侯爵家に嫁いでも妹と思ってね、と受け取り大きく頷いた。


「お姉様が言ってくれた言葉、わたしとても励まされたのよ」

「なにを言ったかしら?」


 はて、とフランカは小首をかしげる。


「幸せになることに貪欲になれって。あれを聞いて、わたし、自分の幸せについて手を伸ばしてもいいんだって思えたの。ギルフォードとの結婚を前向きに考えることが出来たのもお姉様の言葉のおかげ」


「そう」

 フランカは柔らかく目を細めた。


「お姉様の力強い言葉のお陰で、勇気を出そうって思えた。わたし、ずっと逃げていたのね。十三歳でこの国に来て。これからはずっと隠れて暮らさないといけないんだって思い込んでいた。けれども、それは十三歳のわたしだから隠れないといけなかっただけで、大人になったわたしには色々な選択肢があった」


 そしてフューレアは大人になった自分の頭でたくさん悩み考え、今回の結論に達した。


 両親は娘の進む道を、可能性を少しでも多く残しておこうと、娘を逃がした。娘を取引の材料に使わせないと、連邦から隠すことを決めた。


 フューレアはずっと自分は逃げ隠れていなければならないと思い込んでいたけれど、そうではなかった。未来は自分で選んでも良いのだと、色々な人に教えてもらった。


 豪胆で前向きで明るいフランカの生きる姿勢はフューレアにもたくさんの影響を与えた。その姉がフューレアを妹だと即答してくれたことが嬉しかった。姉のように強い自分でありたいと、そう思ったのだ。


「お母様、今までありがとう。十三歳のわたしを受け入れてくれて。優しいお母様が大好きだった。わたしのしたいようにさせてくれて、お屋敷に閉じこもってばかりだったのに、何も言わずにいてくれてありがとう。今思えば、もうちょっと、友だちを作っておけばって思うけれど、それは今後頑張るわ」


「な、なによ、もう。フューってば」

 フランカの瞳が潤みだす。


「わたし、お母様の娘になれてよかった。お姉様の妹になれて幸せだった。たくさんたくさん愛してくれてありがとう」


「そんなこと言われちゃったら、ほら。涙が出てしまうわ。ああもう、式はこれからなのよ」


 フランカが目を赤くすると、男爵夫人はぽろぽろと大粒の涙を瞳から流し始めた。


 釣られてフューレアが瞳に涙を盛り上げると、フランカから「花嫁が泣くな」と怒られてしまった。


 フランカはすぐに手巾を取り出してフューレアの目じりにあてがい、化粧が崩れていないか念入りにチェックをする。


「あなたが我が家にやってきたときは、まだこんなにも小さかったのに。時がたつのは早いものねえ。本当、こんなにもきれいになって」

「お母様。フューをこれ以上泣かせるなら部屋から出て行って」


 フランカは存外に冷たい声を出す。


「ほら、フューも泣かない。花嫁は世界で一番きれいでないといけないんだから」

「はい、お、お姉様」

「ああ~もう」


 フランカが頭を抱えてしまうくらいにはフューレアの声が鼻声になってしまった。

 この家族の一員になれてよかった。みんな、みんなフューレアによくしてくれた。


 わたしは、みんなに何かを返せたのだろうか。

 たくさん受け取るだけだった気がする。


「フューレア、泣いては駄目よ。なにも、今生の別れではないのだから。ナフテハール家はあなたの実家も同じよ。いつでも好きに遊びに帰ってらっしゃい」


「はい。お母様」

「お母様、フューを泣かせたら駄目でしょぉぉ」


 フランカのほうがずびずびと鼻をすすった。


 しかし泣くなと言われても高まった気持ちが静まりそうもなくて自分でも止まらない。どうしようと三人が式の前に化粧を崩していると、控えめに扉を叩く音が聞こえた。


「はい、いま取り込み中!」


 フランカが叫んだ。

 その言葉を無視した形で扉が開いた。


「フュー、入るよ」


(ギルフォード!)


 本日の主役の片割れの声に、フューレアは慌てて涙を止めた。お化粧、大丈夫かなと途端に己の顔が気になり始める。


「フューレア。とてもきれいだ。いいや、きれいという言葉では言い表せない。私の可愛い妖精。いや、女神。……いや女神よりももっと上の至高の存在だ」


 最愛の女性の花嫁姿にギルフォードが壊れた。

 臆面なく褒めちぎる彼を前にフランカが若干引いているが、普段のフューレアならギルフォードに、それは言い過ぎとか突っ込みを入れるのだが、彼女も愛する婚約者の正装を前に時が止まったかのように微動だにしなかった。


「……」


(ギルフォードったら、とっても素敵)


 涙は完全に止まってしまっていた。

 光沢のある薄いグレイの正装がギルフォードに恐ろしく似合っている。淡い金色の髪を後ろへ撫でつけ、胸元のポケットにはフューレアとおそろいの白百合が飾られている。普段から素敵なのに、今日はいつも以上に格好良くてどこか色気がある。

 声も出せずに目の前の愛する人に見惚れてしまう。


「フュー、どうしたの?」

「あなた、恰好良すぎるわ」


「ありがとう。フューもとても美しいよ。今日から私のものになるんだね」

「……ええ。あなたのお嫁さんになるのよ」


 そっと近づいてきたギルフォードに、最後の一歩をフューレアの方から詰めた。

 上を向くと、大好きな青い瞳と視線が絡まった。

 二人は吸い寄せられるように、顔を近づける。


「はいはーい。駄目よ。それはあとに取っておきなさい」


 もう少しで唇が触れるかというその時に、非情な声に邪魔をされてしまった。

 横を向くと、あきれ顔のフランカ。


(あ。しまった……)


 そういえば、母と姉がいたのだ。

 途端にフューレアの顔がりんご並みに赤く染まった。


「あなたね。さっきまであれほど泣いていたのに、恋人が登場した途端そっちに目を奪われるだなんて。まったくもう」


 フランカは言葉こそフューレアに強く当たるが、口調には呆れと優しさが混じっていた。


「お姉様、ごめんなさい」

「恋人に目を奪われるのは当然のことだからフューが謝る必要はないよ」


「新郎はさっさと退散してくださいな。いまからフューのお化粧を直さないと。ほら、フュー、こっち来て。最高にきれいにしてあげるから」


 調子を取り戻したフランカにその場を仕切られ、ギルフォードは渋々出て行った。

 式の開始時間が目前に迫っていた。

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