第40話 エデュアルトの思惑

 ハレ湖沿いの公園は密会にはおあつらえ向きだ。市民の憩いの場でもあるそこは敷地が広く、大きな木も多く植わっている。上流階級のみに解放されている公園とは違い、誰でも入ることが出来るため、敬遠する金持ちも一定数存在する。


 エデュアルトは毎日同じ時間にこの公園を訪れている。

 午後の時間に、散歩と称してとある令嬢がここへやってくるからだ。


 どこか現実感のない、ふわりとした足取りで歩いてくるのはヴィヴィアン・ローステッド侯爵令嬢だ。


「やあ。よく来たね、ヴィヴィアン」

「エデュアルト様」


 大きな木に隠れるように佇んでいたエデュアルトは愛想の良い声を出した。

 この娘にはまだ利用価値がある。頻繁に会うのも、彼女を思いのままに動かすため。そのためにはもう少し薬を与えなければならない。


 二回目に会ったとき、彼女の飲み物に薬を混ぜた。痛み止めや疲労薬して広く流通している薬だが、幻覚作用と常習性があるため服用しすぎると廃人になる恐れがある。純度の高いそれをエデュアルトはヴィヴィアンに与え続けていた。


「さあ、今回もこれをあげるよ。よく眠れるようになっただろう?」


 エデュアルトはヴィヴィアンに小瓶を渡した。少し前までは彼女の飲み物にこっそり混ぜていたのだが、最近はこうして直接渡している。


 ヴィヴィアンはエデュアルトの手中にある小さな容器に目を輝かせた。中には丸薬がいくつか入っている。液体だろうが丸薬だろうが効能は同じだ。


「嬉しい。これを飲むと楽になるのよ」

「嫌なことを忘れさせてくれる薬だからね」


 優しくヴィヴィアンの背中をさすると、彼女はうっとりと目を細めた。初対面の頃では考えられない変化だった。今のヴィヴィアンはエデュアルトにすっかり心を許している。彼が、ヴィヴィアンの望む言葉を与えているからだ。ヴィヴィアンにとってエデュアルトと過ごす時間は心地の良いものなのだ。


 まったく、この娘は本当に都合がよかった。神が己の目的のために遣わしたかと思うほど、簡単に篭絡することが出来た。


 エデュアルトは長い間フィウアレアの行方を追っていた。己の目的を叶えるための駒にするにはうってつけの娘だからだ。


 ゲルニー公国の継承権が現在のリューベルン連邦の皇帝へ移ると決まったとき、多くの人間が継承権をどうにか奪えないものかと考えた。結果ゲルニー公国の大公家の直系筋に近しいフィウアレアに目をつけた。人間考えることは同じなようで、中には縁組を強要する家もあったのだろう。


 当時十三歳だったフィウアレアは忽然と姿を消した。さまざまな憶測が巷に流れ、エデュアルトは諦めきれずに本物の行方を追った。小さな手掛かりを一つ一つ丹念に紐解き、当時モルテゲルニー家に仕えていた人間を一人ずつ当たっていった。


 その中の一人が西端海を渡ったアルメート共和国へと移住をしていた。家族も一緒に、というところで何かが引っかかった。もちろん、情勢不安なリューベルン連邦から他国へ移住をする国民が少なからずいることは把握をしていた。


 しかし、当時の洗濯番でもあったその女はフィウアレア失踪のひと月前に屋敷から遠のき、そのまま帰っては来なかった。

 直感のままにその女の行方を突き止め、少々強引な方法で情報提供を求めた。結果、その女はフィウアレアを連邦内のある修道院まで連れて行ったことを吐いた。


 その先の足取りをたどるのは難航した。おかげで洗濯番の証言を得てからフィウアレアにたどり着くまでさらに数年を要した。

 最終的にエデュアルトはロルテームで本物のフィウアレアと巡り合うことが出来た。


 一目で確信をした。己と同じくリューベルン連邦内の王家・大公家の血を濃く引く顔立ちをしているからだ。


「早く飲みたいわ」


 傍らのヴィヴィアンが急いた声を出す。

 強い薬は、彼女から徐々に理性を取り払っていく。何度も飲むうちにヴィヴィアンはゆっくりと薬への依存度を高めていっている。


「そうだね。飲むといいよ」


 エデュアルトは水筒を取り出した。ヴィヴィアンは水筒を受け取ると目を輝かせ待ちきれないとばかりに瓶を空け薬を飲みこんだ。


「そういえば、ギルフォード・レーヴェンが結婚式を挙げる」

「結婚式。まあ、素敵。わたくし、いよいよ花嫁になれるのね」


「もちろんだ。美しい花嫁になるだろう」

「でも、ドレスがないわ。お父様ったら、ドレスを用意してくださらないの」


「心配いらないよ。私が準備をしてあげよう」

「本当? どんなドレスがいいかしら。フラデニアの人気店がいいわ。だってギルフォードの隣に立つんだもの。とびきり美しくならないと」


 ヴィヴィアンがくるくると回り出す。軽やかにステップを踏む様に、ここがハレ湖ではなくどこかのお屋敷の大広間だというように。華やかな笑みを浮かべてふわふわと回り、歩く。


 エデュアルトは笑みを深めた。

 女は恋をすると盲目になる。自分の都合のいい言葉しか耳に入れなくなる。


 ヴィヴィアンの中で、ギルフォードが結婚する相手は彼女自身だと信じて疑わない。エデュアルトがそう囁いたからだ。

 ロルテーム人のギルフォードには同じくロルテーム人のヴィヴィアンの方がお似合いだ。


 フィウアレアは駄目だ。彼女はモルテゲルニー家の血を引く高貴なる姫で、その血筋は守られなければならない。正当なる血の継承者の夫には、同じく正当なる血筋の人間こそが相応しい。


 アウスバーグ王家の血を引くエデュアルトを結婚をすることがフィウアレアにとっての幸せでもあるのだ。


 女は少し外国生活が長すぎた。すっかりこの国に染まってしまっている。母国語であるリューベルン語を忘れてしまったなど言語道断だ。国へ連れ帰ったらしっかりと母国語を矯正し直さなければならない。


 舞踏会でちらりと見た彼女の立ち居振る舞いは完ぺきだった。

 さすがはよく教育を施されたモルテゲルニー家の姫だと、そこは感心をした。


 エデュアルトの最大の目的はフィウアレアとの間に男児をもうけること。

 息子が生まれれば正当なるゲルニー公国の血を引く後継者になりえる。そのためにも現在の皇帝を出し抜き、フィウアレアを国へ連れ帰らねばならない。


 エデュアルトはとろりとした瞳で幸せな結婚式を夢想するヴィヴィアンに語りかける。


「いいかい、ヴィヴィアン。秘密の結婚式だ。きみも知っての通り、ナフテハール男爵家はお金に物を言わせてレーヴェン公爵家を言いなりにしようとしている」

「ええ」


「伝統ある公爵家に相応しい花嫁は伝統的な貴族の家の娘だ」

「その通りだわ」

「だから、男爵を出し抜くためにもその時まで、秘密にしているんだよ」


 幼子に言い聞かせるように、ゆっくりと目を見て話すとヴィヴィアンは真面目な顔をして大きく頷いた。


 人は己の信じたいものしか信じない。

 本当にこの娘は扱いやすい。


「さあ、もう行くんだ。また連絡をするよ」

「エデュアルト様。ご協力感謝しますわ。わたくしとギルフォードの結婚式、楽しみにしていらしてね」


 愛らしく膝を曲げて挨拶をしたヴィヴィアンは、確かに貴族の娘としては合格点だろうが、エデュアルトにしてみればリューベニア民族でない時点でどうでもいい存在だ。その上あの女はフィウアレアを侮辱した。


 表向きリューベルン連邦内の修道院から養女としてもらわれてきたというフィウアレアがギルフォードと婚約をしたというニュースは一部の女性たちから反感を買った。


 社交界の人気者であったギルフォードの相手が貰われ子と知り、その出自を貶める人間が現れた。それがヴィヴィアンだった。エデュアルトがローム入りをしたときすでに二人は婚約を発表した後だった。出遅れてしまったエデュアルトはどうにか付け込む隙を探っていて、そんなときにヴィヴィアンが騒ぎを起こした。


 己と同じ血が流れるフィウアレアを侮辱したこの女に対しては思うところが多くある。本来なら即刻処刑してやるところだが、侯爵家の娘を一人処理するには時間と手間と金がかかる。今目立つわけにはいかないため、役に立ってもらうことにした。


「さて、ギルフォード。私の妻を返してもらうよ」


 エデュアルトはくつくつと笑った。

 あの男にフィウアレアはもったいない。あれの価値を分かるものが手にするのが本来あるべき姿なのだ。

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