第39話 水面下での交渉

 フューレアの正体を知る者がロームに現れたため、彼女の身の安全を危惧したギルフォードの勧めもあり、一時的にフューレアはレーヴェン公爵家へと身を寄せることになった。


「結婚式まで待てない。すぐに結婚契約書を出してしまおう」


 それは舞踏会翌日に言われた台詞だった。


 フューレアだって今更リューベルン連邦の、会ったばかりの遠縁と結婚などしたくない。しかも彼は皇帝の座を狙っているのだ。そんなお家騒動にフューレアを巻き込まないでほしい。


 何のために両親がフューレアを逃がしたと思っているのか。

 こういうことから娘を守るためである。


 フューレアはレーヴェン公爵に連れられてロルテームの王宮の一角へ訪れていた。秘密裏の会談の相手はリューベルン連邦の選定皇帝が遣わした使者だ。公爵とギルフォードに挟まれたフューレアは背筋をぴんと伸ばした。フューレアが海外に出かけていた二年の間にレーヴェン公爵は方々手を尽くしてくれていた。


 まずはフューレアの秘密裏の亡命をロルテーム国王に明かす算段を整えた。

 ロルテーム内に残る書類上、フューレアはリューベルン連邦出身の養女で、ナフテハールに変わる前の姓も記録上はモルテゲルニーではない。この辺りの準備はすべて本当の父であるフィウレオ・モルテゲルニーが行ったことだった。


 まずレーヴェン公爵はフィウレオ・モルテゲルニーの親書をロルテーム国王へ届けた。娘がロルテーム国内にいること、それから彼女をフィウアレア・モルテゲルニーとしてロルテーム国内へ亡命させてほしい旨を手紙にしたためていた。


 フューレアはレーヴェン公爵の後ろ盾の元、先日ついにロルテーム国王と謁見を果たした。己の口から亡命を望むこと、リューベルン連邦へ戻るつもりは無いこと、改めてゲルニー公国の継承権に関わるすべてのことから離れたいことを説明した。


 レーヴェン公爵から口添えをされていたのか、ロルテーム国王は特に無茶な交換条件をつけることもなく、フューレアを自国で保護することを了承した。


 つくづく、フューレアは色々な人に守られて生きているのだと実感した。

 レーヴェン公爵の尽力が無ければこうもスムーズにことは進まなかった。


「はじめまして。リューベルン連邦選定皇帝から遣われたカール・キールシュと言います」


 部屋の中に入ってきた数人の使者の内の一人が口を開いた。

 レーヴェン公爵よりも少し若いくらいの、壮年の男性だ。いぶし銀の髪に薄紫色の瞳をした、リューベニア民族らしい外見を持っている。


 使者たちはフューレアの前の席に座った。

 彼らはフューレアの顔を見て、納得したように小さく頷いた。きっとフューレアの顔立ちが彼らが服従をする王族と似通っているのだろう。エデュアルトの話は誇張ではなかったのだ。


「たしかに、あなたがリューベルン連邦の社交界に姿を現したらその場は騒然とするでしょうね」


 カールが代表して話を切り出した。

 フューレアの身を証明する証拠はすでに提出してあった。それらを審議し、またフィウレオ自身が動いたこともあって選定皇帝は己の懐刀ともいえるカールを遣わした。彼とて真偽についてはほぼ分かっていたはずだが、それでもフューレアと対面をして改めて大公家の血を引く姫だと強く認識をしたのだろう。


「わたしの顔は、そんなにも各国の王族と近しいのでしょうか」

「私に敬語は結構ですよ」


 そう前置きをしつつカールはフューレアと血が近しい大公家や王家の名前をいくつか挙げた。雰囲気が誰それに似ている、目元は誰と近しいなど、だ。そう聞かされてもどこか他人事のように聞こえた。リューベルン連邦の王族はフューレアにとって、とっくに遠い存在になっていた。


「それで、わたしの願いは聞き届けてくれますか?」


 フューレアはあらかじめ自分の望みを文面にしたためて送っていた。今日はその返事を持ってきているはずだった。


「ええ。皇帝陛下としても、これ以上余計な面倒の種を抱えたくはない。あなたが正式に名乗りを上げればこれ以上フィウアレア・モルテゲルニーの偽物が増えることはないでしょうしね。正直、六年前に相談をしてくれればよかったのに、と愚痴っておられましたよ」


 そこは冗談として笑うところだろうか。

 カールは特に表情も変えずに淡々と話すものだから、対応に困ってしまう。


「さすがにそれは無理でしょう。当時、モルテゲルニー公爵閣下は様々な思惑を持った人々に取り囲まれていた」


 レーヴェン公爵が口をはさむと、カールは「それはそうでした」と小さく頷いた。


 結局あのときの最善はフューレアを秘密裏に逃がすことだったのだ。

 選定皇帝に接触を図って、フューレアが彼の手駒にされてしまうことをも、フィウレオは危惧していた。


 彼は娘をリューベルン連邦から解放することを望んでいた。それが、彼の妻の願いでもあったという。フューレアは今回初めて聞かされたのだが、母ギゼルフィフィは異国に憧れていたのだという。


 それを聞いたとき、フューレアは何か腑に落ちた気がした。

 外国で過ごした二年間。

 あの宝物の日々は、母の願いでもあったのだ。


「皇帝陛下としても、名前を取り戻したフィウアレア元姫君がレーヴェン公爵家に嫁入りされることを賛成しております。これで独身となると、面倒な事案も発生しましょうが、異国人と結婚をすれば純血主義者たちもおいそれとあなた様の子供を担ぎ上げるようなことはしませんでしょうから」


 会談は始終平和裏に進んだ。

 フューレアの前には選定皇帝側が作成をした文書が置かれている。


 今後のフューレアの処遇に関する誓約書で、双方合意の元署名をすることになっている。レーヴェン公爵がこのあと書かれた文書がフューレアにとって不利になる内容を含んでいないかどうか精査をして、後日改めて署名をする予定だ。


「もう一つ、懸念事項がある」


 レーヴェン公爵が皇帝の使者に日フューレアの前に現れたエデュアルトについて語り始めた。調べたところ、確かにリューベルン連邦からの旅行者で似たような背格好の人物がロームに滞在をしていた。協力者がいるのか尻尾を掴ませないとフューレアは聞き及んでいた。


 フューレアの前に現れたのはヴィヴィアン・ローステッドを巻き込んでのことで、現在ロルテーム社交界から干されているヴィヴィアンにエデュアルトが上手いこと取入ったようなのだ。一体ヴィヴィアンに何をしたのだ、とギルフォードを問い詰めると、特にこれといったことはしていない。抗議をしただけだと返された。その抗議の内容が気になるのだが、ギルフォードは話してくれなかった。


「フィウアレア元姫君がエデュアルト・ヘームスト公爵に取り込まれなくて安堵しました」

「わたしは、連邦には一切立ち入ることはしないわ」


 フューレアは新しい土地で生きていくと決めたから。

 きっと、連邦とは距離を置いたほうがお互いのためなのだ。


 正直に言うと、一度は母の墓前に華を添えたい。大きくなったこの目で、生まれた屋敷や故郷の宮殿を見て回りたかった。


 けれどもフューレアが彼の地を訪れるといらぬ騒動を巻き起こす可能性がある。それなら訪れないほうがいいのだ。


 一度目の会談はほどなくして終了をして、フューレアは己の肩がずいぶんと凝っていることを自覚した。自分で思う以上に気を張っていたのだ。


 リューベルン連邦の選定皇帝は随分と話の分かる人物らしい。それがフューレアの第一の感想だった。彼は不毛な血族婚に嫌気を刺しているのだという。己の息子に他国の王族を娶らせたのもその一環で、けれどもそのことが連邦内の保守派の反発を招いている。


 フューレアも今回ロルテーム人と結婚をすると告げたから、そのことも皇帝にとっては安心材料になったとのことだった。


 保守派とそして純血主義者らはなによりも異民族間の結婚を厭うからだ。

 きっとこの先の未来は、もっともっと人の流れが活発になるだろう。

 実際、列車の登場で人と物の流れが大きく変わりつつある。


 まだロルテームでは導入をされていないが、隣国でフューレアは列車に乗車をした。造船技術も日々発達しており、技術者たちは他社には負けまいと知恵と技術を出し合っている。時代は大きく変わりつつある。


 帰りの馬車の中で、フューレアはある考えを思いついた。


「ねえ、ギルフォード。わたし、考えたのだけれど」

「なにを考えたの?」

「もしかしたら、あなたに迷惑をかけてしまうかも」


 フューレアは前置きをして、ギルフォードの耳元へ顔を近づけた。

 内緒の話を聞かされたギルフォードはゆっくりとフューレアに顔を近づけた。

 目じりに唇を寄せられて、その甘さにきゅんと胸が疼いた。


「私はいつでもきみの味方だよ」

「ありがとう、ギルフォード」


 理解のある婚約者に、フューレアはふわりと微笑みを向けた。

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