第38話 舞踏会での遭遇2

「あなたの立場は非常に危うい。皇帝は今でもあなたを密かに探しております。自分の地位を揺るがすかもしれない人間を、彼は蛇蝎のように忌み嫌っている」

「わたしは……フィウアレアではないわ」


 エデュアルトの一連の話から、彼が皇帝の正式な使者ではないことが分かった。

 フューレアは現在リューベルン連邦の選定皇帝と話し合いの真っ最中なのだ。実際に会談をするのは彼の遣わした使者なのだが。


 目の前のエデュアルトは皇帝の命を受けた人間ではない。

 彼に、フィウアレアだと認めてはいけない。そう警鐘が鳴っている。


「まさか。あなた様のお顔を見て確信をしました。あなた様はリューベルン連邦の各王家の方々とよく似ておられる。狭い範囲で婚姻を繰り返していますからね。あなた様は王家に近しい血を引く顔立ちをされているのですよ」

 それに、と彼は付け加える。


「あなたを今から押し倒して、右足を見せてもらいましょうか」

「……!」


「モルテゲルニー家の足の指の話は王族間ではそれなりに知れ渡っています。もちろんあなたの右足の小指も曲がっている。白銀の髪に紫色の瞳。まさに純血のリューベニア民族の証だ。そして王家の血を濃く受け継ぐその容姿。正直、それだけあれば本人の証言などいりません。あとはフィウレオ元殿下の前に出せばいいだけだ。彼も今回こそは認めざるを得ないでしょう。昔逃がした娘が目の前にいるのだから」


 フューレアは今度こそはっきりと顔色を変えた。

 その様子をじっと見ていたエデュアルトは形の良い唇をゆるりと持ち上げた。


「心配はいりません。私と一緒に来ればきちんとお守ります。妻となる女性なのですから、当然ですがね」

「わたしはあなたの妻にはならない」


「あなたの血には価値がある。ゲルニー公国を継ぐことが出来るのは男性のみ。当時、主だった大公家の血を引く者たちは継承権放棄の書類に署名をした。しかし、あなたが私との間に男児を生めば、私の息子はゲルニー公国の継承権を主張することが出来る。そしてそれはリューベルン連邦の選定皇帝への足掛かりになる。選定皇帝に条件は、まずリューベルン連邦を形成する王国・公国の統治者であることだからだ」


 どうやらフューレアは一番見つかってはいけない人間に見つけ出されてしまったようだ。


「わたしの婚約者はギルフォード・レーヴェンよ。結婚式だって近いうちに挙げるわ」


「あなた様が多民族と結婚をするなどありえません。国のためを考え、私の妻になりなさい。今の皇帝は息子に異民族の妻をあてがった。伝統あるアウスバーグ王家に下賤な血を入れるとは、なんという冒涜か。おぞましすぎて吐き気がする」

「あなた……」


 純血主義なの、とは聞けなかった。突然早口になってまくしたてるエデュアルトは、どこか危なげだ。リューベニア民族の一部の者たちが傾倒する民族主義、純血主義。リューベニア民族こそが至上だという考え方だ。目の前の彼がこの考えに固執をしていることは聞くまでもない。


「ですから、あなた様は私の妻になる必要がある」


 エデュアルトの目がフューレアを捉える。それは肉食獣が獲物を見定める視線のようでもあったし、有無を言わせぬ迫力があった。


 フューレアは一歩足を引いた。

 彼は本気だ。フューレアの意思など関係なく力づくも辞さないだろう。


 フューレアがエデュアルトから距離をとると、彼の方からひたりと近づいてきた。この男の妻になるなど、考えるまでもない。絶対にお断りだ。フューレアを王冠への鍵くらいにか思っていない。


「わたしは―」


「フューレア!」


 もう一度固辞しようとしたとき、大きな声が被さった。少し急いたような声はギルフォードのもので、フューレアが横を向くとバルコニーへと続く階段をまさに降りてくるところだった。


「ギルフォード!」

 フューレアは安堵のあまりギルフォードの方へ駆け出した。


「!」


 するとがくんと体が止まった。

 エデュアルトがフューレアの腕を掴んだのだ。


「フューレアから離れろ。決闘を申し込まれたいのか」


 ギルフォードが怒気を孕んだ低い声で威嚇をする。

 一方のエデュアルトは挑発をするようにギルフォードに向かって笑みを投げかける。


「きみこそ分をわきまえろ。ゲルニー公国の姫君の相手に、きみのような人間が釣り合うとでも?」

「フューレアはただの男爵令嬢だ」


「そういえば、レーヴェン公爵家もフィウレオ元殿下の画策には一枚噛んでいるのだったな。姫君をかどわかした罪で訴えようか」


「ここで騒ぎを起こしたら、不利になるのは貴様の方だ」

 ギルフォードは目を眇めたままこちらへと近づいてくる。


「一体どんな手を使って潜り込んだ? 伯爵家の招待客ではないだろう」

「ギルフォード・レーヴェンに恋する令嬢にお願いをしてね。ヴィヴィアン・ローステッドは愛らしい娘ではないか。きみには彼女の方が似合いだよ。ロルテーム人同士仲良くしたまえ」


 エデュアルトの返事にギルフォードは「なるほど」と短く吐き捨てた。


「さあ、姫君。私と一緒に参りましょうか」

「嫌よ! わたしはあなたとは結婚しない。あなたが手を離してくれないのなら、今すぐに叫ぶわよ」

「ほう……?」


 ギルフォードが側にいてくれる。その事実がフューレアに勇気を与えてくれる。

 フューレアは顔を後ろに向けてエデュアルトを睨みつけた。


「わたしとギルフォードが婚約をしていることはロルテーム中が知っているもの。ここで私が叫べば悪い人はあなたってことになるわ」

「可愛らしいですね。ますます私のものにしたい」


 エデュアルトはぱっとフューレアの腕を離した。

 フューレアは急いでエデュアルトから距離をとる。


 俊敏に移動をしたギルフォードがエデュアルトからフューレアを隠すように立ちはだかった。


「姫君を守る騎士のつもりか」

「なんとでも言うといい。フューは、誰にも渡すつもりはない」


「さすがにこの場では分が悪いから今日のところはこれで引き下がるよ」


 そうは言うけれどエデュアルトの瞳はギルフォードの背後に佇むフューレアを捉えたままだった。ギルフォードは腹立ちまぎれにエデュアルトを睨みつけた。


 互いにそれ以上何も言うことはなかった。

 宣言通りエデュアルトが立ち去って、フューレアはようやくほっと息を吐いた。

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