第36話 大好きな友人
フューレアは自室の書き物机に向かって原稿を書いていた。
旅行記という体ではなく、もう少し違ったアプローチをしてみたらどうだろう、とギルフォードから助言をもらったのだ。
女性の旅行記がウケないというのなら、それこそ子供が親戚に宛てて書いた手紙の体をとってもいいし、どこかの気障な紳士風の口調にしてみればいい。物語としてならそういう切り口もありだ。
しかし紳士がただ旅をするだけの物語というのもつまらない。やはり物語には事件がつきものだ。事件といえば探偵だろうか。
「うーん……探偵小説は……難しいわね」
頭で考えるのと実際に物語を作ってみるのとではまったく違うのだということをフューレアはこの数日で学んだ。あれを書いている人はものすごく博識なのだ、と小説家を見る目が変わった。
「フューレア様、また迷走中ですか」
エルセがお茶を運んできてくれた。本来は侍女の仕事なのだが、彼女の分もお盆に乗っているということは、一緒におしゃべりしましょうという意味だ。
フューレアは両手を上げて伸びをして立ち上がった。
やはり切り口を変えた旅行記風の小説にしよう。探偵小説は無理だ。そう結論付けていそいそとエルセの方へ近寄った。
「やっぱり、旅行記はあきらめきれないのよね」
「小さなことから積み重ねていけばいつか大成しますよ」
「カルーニャでも翻訳出版されるくらいの旅行小説を書きたいわ」
「楽しみにしています」
二人は笑い合った。
エルセは現在フューレアの話し相手兼付添人ではなく、ただの行儀見習いとしてナフテハール男爵家に滞在をしている。
アマッドの猛攻撃に、エルセが陥落をしたのだ。
箔付のためにナフテハール男爵家で夏の間過ごして、冬が訪れる前にカルーニャへと向かうことになっていた。
「カルーニャかあ……ちょっと遠いなあ」
「船で十日ほどですよ」
「うん。でも、なかなか会えないじゃない」
エルセとアマッドの仲を応援していたのに、いざ彼女が嫁ぐとなると寂しくなる。
「フューレア様、ロームにわたし以外に友達を作らないからそうなるんですよ」
「エルセったら辛辣……」
「そりゃ、最近フューレア様に放っておかれていますから。ギルフォード様にべったりじゃないですか」
「そんなことないわよ……」
フューレアはばつが悪くなってお茶のカップに口をつける。
レーヴェン公爵家にお泊りをして、ギルフォードと将来を誓ってから、たしかに彼と過ごすことが多くなった。それは別にギルフォードと逢瀬を楽しんでいるわけではない。やらなければならないことが色々とあるわけで、と言い訳をしたいが機密事項のためエルセに話すことが出来なくてもどかしい。
「まあ、フューレア様が幸せそうで、わたしも一安心ですけれどね」
「保護者みたいな言い方ね」
「だって保護者ですもん」
「わたしより年下じゃない」
「心は、ってことです。フューレア様世間知らずだし、純粋だし。あの公爵令息にぱくっと食べられるんだろうなって思っていたら案の定早かったですね」
「食べ……まだ食べられていないわよ!」
結婚が決まったからなのか、最近エルセも容赦が無くなってきた。
「でも確実に近日中に食べられますよね。結婚式、なんであんなにも早くなったんですか」
「それは、まあ……なんていうか。気持ちが爆発をして」
フューレアは手をかざしてぱたぱたと顔をあおいだ。
恋の話は楽しいけれども、自分だけに向けられると困ってしまう。
レーヴェン公爵家に一泊した後、ギルフォードは本気で結婚契約書に署名をしてその日のうちに役所に持っていこうとした。フューレアもそれはそれでありかもしれないと思ったのだけれど、やはりというか両家の親が反対をした。結婚を早めるのはいいが、それなりに形式には乗っ取れ、と。
たしかに結婚が決まればフューレアだって花嫁衣装くらい着たい。何しろ一生に一度のことなのだ。ついこの間まで独身主義者だったはずなのだが、花嫁に憧れる心理というのはそれとはまた別次元のもの。自分が花嫁になるのだと思うと、つい頬がにやけてしまう。
「いいですけどね。そのおかげでわたしもフューレア様の花嫁姿を見ることが出来るわけですし」
「結婚かあ……。なんだか実感がわかないわ」
「それを言うならわたしのほうこそです。それもまさかカルーニャ」
「あら、だったらアマッドを振ってしまえばよかったのよ」
「それは……」
今度はエルセが顔を赤くする番だった。
なんだかんだで、アマッドに気を許しほだされてしまったエルセなのだ。こうなった以上、彼女だってアマッド以外には考えられないのだろう。
「不思議ね。この前まで結婚なんて夢にも思わなかったのに」
二年ぶりにロルテームに帰国をしたときは、まさかギルフォードと結婚をするだなんて思ってもみなかった。彼がまさか自分のことを異性として意識しているだなんて、それこそびっくりしたのに。気が付けばフューレアはギルフォードに恋をしていた。
箱庭で育ったフューレアはこの国に来て、たくさんの経験をした。
そのひとつひとつが積み重なって今の自分がいる。
「わたし、本当の両親に旅行記を読んでほしかったのよね……」
フューレアはぽつりとつぶやいた。
きっと、そういうことなのだ。
わたしはたくさんの世界を見た。こんなにも遠くまで行って、素晴らしい景色に出会った。
両親の願いの通り、世界中どこだって行くことが出来る。広い世界を見ることが出来た。
それを両親に伝えたかったのだ。
「届きますよ」
「ありがとう」
あとどれくらいこうしてエルセと一緒にお茶を飲めるだろう。
互いに結婚をしてしまえば、二人の住む場所はうんと遠くに離れてしまう。
一緒に濃い二年間を過ごしたエルセはフューレアにとって特別な友達だ。
エルセには変わらずに接してもらいたい。
「エルセ、ずっとわたしの友達でいてね」
「どうしたんですか、急に。結婚式はまだもう少し先ですよね」
「そうだけど。これから忙しくなるから、言えるときに言っておかないと」
レーヴェン公爵家に嫁ぐのだから社交の予定もそれなりに入ってきている。レーヴェン公爵夫人と一緒に貴族婦人のお茶会に参加をしたり、ギルフォードと一緒に夜会に出向いたり。
他にも非公式なロルテーム国王との謁見も控えている。考えると口から心臓が飛び出しそうになるのだが、腹をくくった以上避けては通れない。それと並行して結婚式の準備だ。実は、だいぶ予定を詰め込み過ぎているのでは、と思うが片すなら全部まとめての方が都合がいいのでフューレアも頑張ることにしている。
「というか公爵夫人になられるのに、一介の商人の妻が友人でいいのですか?」
「もちろんじゃない!」
エデルは大きな声を出した。
エルセがいいのだ。住む国は離れてしまうけれど、そんなことなど関係ない。
旅行を通して、フューレアは知った。世界は広いけれど、一歩踏み出せば行けない土地など無いのだということを。道は、繋がっているのだから。
「ありがとうございます」
なぜだかエルセが泣きそうな顔を作った。
そしてすぐに笑顔になる。
フューレアも釣られて胸が熱くなった。
「手紙書いてくださいね。わたしも書きます」
「当たり前じゃない」
二人はどちらからともなく、くすくすと笑い出す。
「あら、二人とものんびりしていて。フューレア、荷物が届いたから降りていらっしゃい」
「はあい」
ナフテハール男爵夫人がフューレアを呼びに来た。
きっと取り寄せていた花嫁道具が届いたのだろう。短いお茶会が終わりを告げ、二人は男爵夫人に続いて部屋から出て行った。
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