第34話 ローステッド侯爵令嬢の言い訳2

 それなのに、彼女はあろうことか侯爵家の娘であるヴィヴィアンに向かって大きな声で非難をした。たかだか孤児が、あたかも人を傅かせるかの如く、凛として堂々とした声だった。強い眼差しに一瞬だけ怯んでしまったのは事実で、そのことも余計にヴィヴィアンの気持ちをぐちゃぐちゃにした。


 フューレアが運河に飛び込んでしまったため、周囲は騒然となった。駆けつけたギルフォードは運河に身を投げたのがフューレアだと知ると、従者の制止も聞かずに運河へ飛び込みフューレアの元へ急いだ。


 頭までずぶ濡れのフューレアを先に帰し、ヴィヴィアンのいたずらが知れるとギルフォードはヴィヴィアンに対して氷のような視線を寄越した。「汚らわしい」との一言だけ言い捨てて、彼はメダイユを捜索すべく人を集め、運河の中へ再び入った。


 思い出しても腹立たしい。どうして、ヴィヴィアンがそこまで悪者にされなくてはいけない。


 それに、先ほどの父の言い方。あれも酷いではないか。昔からローステッド侯爵はヴィヴィアンのすることに対しては何も言わなかった。ヴィヴィアンは侯爵家の娘なのだ。養女だろうが、元は孤児のような身分の低い女の方が本来であればこちらに傅かなくはならないというのに。


 ローステッド侯爵だって普段から言っているではないか。この国は商人の力が強すぎる。もっと貴族階級への敬意を払うべきだと。金に物を言わせて威張り散らしている商人たちの力を削ぐことに注力をしなければ、周辺国からも笑われてしまうと。


 だからヴィヴィアンはその通り、こちらのほうが上なのだと教えてあげたのだというのに。


 夕刻になって今度は母であるローステッド侯爵夫人に呼びだされた。

 先ほどと同じく居間へ行くと、母は座りもせずに部屋の中を歩き回っていた。


「ショーディス夫人に言われたわ。しばらくわたくしを茶会に招くことはできなくなったって」

 語るその目には娘であるヴィヴィアンに対する非難の色が乗っている。

「わたくしが出席をするとレーヴェン公爵夫人が茶会を欠席するのだそうよ」

「なっ……」


 貴族のお茶会は女たちの社交の場でもある。婦人たちは自分の開く茶会にどのような人物が出席するかで主催者の力量と社会的地位を判断する。当然のことながらレーヴェン公爵夫人は社交界でも力を持っている。ローステッド侯爵夫人と娘の出席する集まりには参加をしない、その言葉が持つ意味をヴィヴィアンだとて理解できないわけではない。


「どうして……どうして、たかが孤児にそこまで……」


 怒りで頭の中がどうにかなりそうだった。実際血管のいくつかが切れているのかもしれない。


「まさか、レーヴェン公爵夫妻までも素性も知れない元孤児をあそこまで庇うだなんてねぇ……。そうねえ……もしかしたら彼女、元はリューベルン連邦のどこかの家の娘だったのかもしれないわね。あそこは名のある家の一家離散も他人事ではありませんからね」


「聞いていないわよ、そんな話」

「もしかしたらの話よ。それよりも今はあなたのことよ」

 ローステッド夫人は頬に手を当て、指でせわしなく己の頬を叩く。


「このままだとあなたの将来にも差しさわりが出てしまうわ」


 ああもう困ったわね、と夫人は何度もため息を吐いた。

 ローステッド侯爵家はそれなりに歴史のある家柄だ。現に今年デビューをしたヴィヴィアンの元には沢山の招待状が舞い込んでいた。舞踏会に顔を出せばちやほやされるし、そのうちの何人かからは個人的な招待の手紙だって届いた。


「わたくしは侯爵家の娘よ。どうしてわたくしの将来に差しさわりが生じるのよ」

「だって、ねえ。ヴィヴィアン」


 ローステッド夫人がその次の言葉を発しようとしたとき、居間の扉が開いて、父である侯爵が入ってきた。


「ああ、帰っていたのか。……こちらからの謝罪は断られたよ。ギルフォード・レーヴェンが手紙を寄越してきた。形だけの謝罪を受けたら、許さなくてはならない。己が望むのは今後婚約者であるナフテハール嬢に貴殿の娘が二度と近づないこと、だそうだ」


 ローステッド侯爵の話を聞いた夫人が額に手を当てて数歩よろけた。

 よろよろと椅子に座り、いよいよ顔を蒼白にさせる。


「あなた、どうするの。ナフテハール男爵家からも音沙汰がないのでしょう?」

「ああ。引き続き謝罪をするしかないだろうな」


「どうしてそこまでするのよ! どうせあの女が同情を引いているだけだわ!」

「ヴィヴィアン。嫌いな相手なのは分かるけれども、今回はやり方がまずかったわ。しかも大勢の人々に見られてしまって」


「あの女が飛び込むからいけないのよ」


 むしろ大事にしたのはフューレアの方だ。

 どうしてヴィヴィアンがここまでされなくてはならないのか、納得がいかずに不貞腐れてしまう。


「ヴィヴィアン」


 基本的には娘に甘い侯爵夫人は頑ななヴィヴィアンに柳眉を下げた。彼女も本音ではなにもここまで、と考えているのだ。娘同士のちょっとした諍いに、どうしてここまで怒りを爆発させるのか。大人げないではないか、と。しかしレーヴェン公爵家の動向は社交界を動かす力がある。ギルフォードが今後一切フューレアにヴィヴィアンを近づける意思がないということになれば、最悪ヴィヴィアンはロルテーム社交界からはじき出されてしまう。


 今はまだ静観している家だって、レーヴェン公爵家の意思が固いことを知れば彼らのご機嫌取りに走ることだって考えられるのだ。

 力のある家の夫人に嫌われたら社交界では惨めな思いをするだけだ。


「こうなった以上、おまえは外国へ嫁いだ方がいいかもしれん。ナフテハール嬢がレーヴェン公爵家に嫁げば、彼女のほうが立場は上になるだろうしな。ギルフォードの怒りが解けなければ、おまえも肩身の狭い思いをするだろう」

「そうねえ。隣国のフラデニアならばそう遠くもないし、アルンレイヒか、ネイデンか……あなた、外国人の集まる夜会でよさそうなものを選んでおいて頂戴」


「ど、どうしてわたくしが……」

「ヴィヴィアン、あなたのためなのよ」


 その日の晩、ヴィヴィアンは腹の中に溜まった憤りを発散するために寝台の上のクッションを何度も何度もたたいた。

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