第33話 ローステッド侯爵令嬢の言い訳1

 ローステッド侯爵は屋敷に帰るなり、娘を呼びつけた。

 娘であるヴィヴィアンは侍女から話を聞き、しぶしぶ立ち上がり部屋を出た。


 先日起こった出来事のせいで無視の居所の悪いヴィヴィアンは、機嫌の悪さを隠しもせずに父の待つ、家族用の居間の扉を叩いたあとにガチャリと開けた。


「おかえりなさい、お父様」

「ああ、ただいま。……まったく、おまえはとんでもないことをしてくれたな」


 娘の挨拶をおざなりに返したローステッド侯爵はその口でヴィヴィアンを叱責した。

 いったい何のことだろう、とヴィヴィアンは眉を顰めた。


 ローステッド侯爵は基本的に娘であるヴィヴィアンに甘い。開口一番に責められる所以が分からなくて憤然とした。


「わたくし、何もしていなくてよ。お父様」

「今度我が家で開かれる夜会を欠席するとレーヴェン公爵家から連絡があった。公爵家の親戚筋からも同様の報せが届いた」


「なっ……」


「レーヴェン公爵はギルフォード・レーヴェンとフューレア・ナフテハール嬢の婚約を正式に認めた。異議は認めないと親戚筋にもお達しを触れ回ったそうだ」

「あの恥知らずの孤児がギルフォード様の正式な婚約者ですって⁉」


 数日前から溜まりに溜まった怒りがふつふつと浮かび上がる。

 あんな、どこの馬の骨とも知れぬ、薄汚い元孤児がこの国の公爵家の一員として迎え入れられる? そんな馬鹿な話があっていいわけがない。


「レーヴェン公爵家が我が家に正式に抗議文を送ってきた。息子の婚約者であるナフテハール嬢への非礼について、だ。おまえ、ナフテハール男爵令嬢の持ち物を無断で取り上げて、挙句に運河に捨て去ったらしいな」

「あんなの、ちょっといたずらが過ぎただけでしてよ」


 ヴィヴィアンはぷいと横を向いた。


 ちょっとからかっただけなのに、フューレアが大げさにしただけのことだ。大して価値もなさそうなメダイユ一つにムキになって、みんなの気を引くためにわざわざ運河にまで飛び込んで。信じられない。さすがは元孤児といったところだ。ああいう風に各所で気を引いて男爵家に養女にしてもらったのだろう。


「ナフテハール男爵家からも同様の抗議文が届いている。実際こちらのほうが厄介だな。ナフテハール男爵家はロルテーム経済界の重鎮だ。国の事業にも多く出資をしているし、銀行の株券も多数保有している」


「だからなんですの?」


「女のおまえには分からないかもしれないが、男爵家だといって侮ってはいけない家だということだ。ナフテハール男爵家の一言で金の流れが変わるんだ。男爵が一言、我が家と取引をしないと言えば、顔色を窺って他の家も追随する恐れがある」


 ローステッド侯爵は長く息を吐きだした。

 ナフテハール男爵家はロルテームでも有数の資産家だ。海運業で財を成し、ハレ湖の倉庫権も持っている一大商会だ。ハレ湖には国が管理をする貿易港がある。港直結の倉庫を持つ権利を倉庫権といい、これを持てる商会の数は決まっている。


 海運・貿易だけでなく、稼いだ資金を投資に回し日々資産を増やしているナフテハール家はロルテームでも有数の資産家でもある。商売人の横のつながりというのは時に貴族のそれよりも厄介だ。当主が一言ローステッド家と取引をするなと言えばどうなることか。


 父からナフテハール男爵家を怒らせる意味がどういうことなのかを聞かされたヴィヴィアンは怒りで顔を真っ赤に染めた。


「元孤児にそこまでの価値があるものですか!」

「実際そうだとしても今はナフテハール男爵家の正式な娘だ。養女に迎え入れられたのだから、表向きはそのように接しろ。……おまえはもう少し賢い娘だと思っていたのだがな」


「元はといえばお父様がわたくしをギルフォード様の妻にしてくださらなかったのがいけないんですわ。だから、あのような小汚い小娘にギルフォード様を取られてしまうのよっ!」


 今思い出しても腹立たしい。

 美貌の次期公爵は年頃の娘たちの憧れの的だった。冷静沈着で近寄りがたい雰囲気の公爵令息に懸想する少女たちは多かったが、彼はいつだって特別を作らなかった。


 ヴィヴィアンもギルフォードに憧れる多くの少女たちのうちの一人だった。


 生れ落ちたのはローステッド侯爵家。家柄のつり合いも取れている。父は政治活動はしていないが、ローステッド侯爵家は歴史もあるし社交界でも一目置かれている。レーヴェン公爵家との釣り合いも取れているし、今年十七になったばかりのヴィヴィアンならギルフォードとの年齢もばっちりだ。


 だからヴィヴィアンは父に頼み込んだ。結婚をするならギルフォード・レーヴェン以外考えられないと。実際に父である侯爵も目じりを下げて賛成したではないか。娘をやるのならレーヴェン公爵家のようなしっかりした家柄でないと駄目だと。


「私だっておまえの願いをかなえるためにあれこれ手を尽くしたよ。実際、レーヴェン公爵の感触は悪くなかったんだ。一、二度おまえと会えば正式な婚約にたどり着けるはずだった」


 だが、ヴィヴィアンにギルフォードを紹介してもらう機会は回ってこなかった。社交デビューの今年、春のボートレースは恰好の機会だったはずなのに。


 ギルフォードが選んだのはナフテハール男爵家の娘だった。彼女の経歴を聞いて愕然とした。異国から貰われてきた孤児だったのだ。ヴィヴィアンは孤児風情に負けたのだ。


「お父様の役立たずっ!」


 ヴィヴィアンはそう吐き捨てて居間から出て行った。

 怒りが収まらない。

 どうして、あんな女に己は負けたのか。納得がいかない。


 あの時だってそうだった。ヴィヴィアンはただ、フューレアが困ればいいと思っただけだ。人のものを横からかすめ取った女狐の泣き顔でも見られたらいいと思って彼女が持っていたメダイユを投げ捨てた。だいたい、卑しい身分の娘が金のメダイユなんて分不相応だ。

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