第29話 初めての悪意2
「あなたの血筋が小汚いんでしょう。そんなどこの馬の骨とも知れない女がギルフォード様の妻になるですって? どうせその顔と体でギルフォード様を誘惑したんでしょう。ああいやだ。最近リューベルン連邦から逃れてきた女たちがそのへんの辻に立つからロームの治安が悪くなる一方だってお父様も嘆いていらっしゃったわ」
「なっ……」
馬鹿にされたフューレアは口をぱくぱくと動かした。
酷い言われようなのに、ここまでの悪意をぶつけられたことが無いため何を言い返していいのか分からない。そもそも生粋のお姫様として育てられたフューレアは悪口の語彙が圧倒的に足りない。
「あなた、目障りなのよ。わたくしがギルフォード様の婚約者に内定していたのに。それを横からかっさらっておいて、図々しいったら! 行き遅れの年増のくせに腹立たしのよ!」
「ギルフォード様には由緒正しいヴィヴィアンがお似合いなのよ」
「養女のくせに生意気よ」
ヴィヴィアンの応援のように取り巻き二人が声を出す。
「そ、そんなこと……」
ヴィヴィアンがギルフォードの婚約者に内定? 今聞かされた台詞に打ちのめされかけたが、そんな噂聞いたこともない。いや、フューレアは社交界から遠ざかっていた。だからもしかしたらそんな話が持ち上がっていたのかもしれない。
(けど、新聞の記事には何も書いていなかったわよ)
ギルフォードからの公開求婚は大々的に新聞にも取り上げられた。正直顔から火を噴くほど恥ずかしかったのだが、新聞の記事には一応目を通したのだ。自分がどんな風に書かれているのか気にもなったからだ。読んだ後はちょっと放心してしまったけれど。
どの新聞にもギルフォードが特定の誰かと噂になっていたとは書いていなかった。
「そんなの嘘よ。ギルフォードがそんな不誠実なことをするはずがないし、レーヴェン公爵だってそんなことひとこともおっしゃっていなかったわ」
仮に誰か婚約内定している令嬢がいたのであれば、あの記事が出てすぐにレーヴェン公爵家として謝罪が来ただろう。息子には決まった相手がいるのだ、と。
だからフューレアはきっぱりとヴィヴィアンの言葉を否定した。
「なによ……」
ヴィヴィアンは歯噛みをした。
ギルフォードに憧れる年頃の令嬢の中で、彼の結婚相手の有力候補の一人として話題に上ることが多かっただけの彼女は、こう言われると黙り込むしかない。実際レーヴェン公爵家とは何の約束も交わしていないからだ。
ヴィヴィアンはフューレアが思いのほか打たれ強いことに憤った。侯爵家の娘であることを誇りに思う彼女にとってフューレアは出自も分からぬ汚らわしい娘。しおらしくしていれば、慈悲の心を持って優しく憐れんでやろうというものなのに、フューレアはヴィヴィアンに逆らった。
醜く顔をゆがめたヴィヴィアンはフューレアが手に持つ光ものに目をつけた。
即座に思考を切り替え、痛めつける方法を変更する。
「まあ、あなた何を持っているのかしら」
ヴィヴィアンは令嬢とは思えぬ速さでフューレアの手元から彼女の持つ金色のメダイユをかすめ取った。
「ちょっと! 返して」
フューレアは血相を変えた。
あれは亡くなった母とフューレアを繋ぐ大事なものだ。
分かりやすく狼狽するフューレアにヴィヴィアンは満足をする。愉快になり、唇で弧を描き、もっとフューレアが打ちひしがれるように考えを巡らす。
「あなたにはこんなもの似つかわしくないわ。どうせどこかから盗んできたのでしょう。いやね、孤児って。手癖が悪くって」
「それはわたしの本当のお母様が持たせてくれた唯一のものなのよ! お願いだから返して」
「孤児に母親なんているわけないじゃない」
「そうよ、そうよ」
後ろに控えた取り巻き娘らもヴィヴィアンの嘲笑に追従する。
「こんなもの、こうしてあげるわ」
ヴィヴィアンは奪い取ったメダイユを目の前の運河に投げ捨てた。
弧をかいてメダイユは水の中へ落ちてしまった。
「お母様!」
悲鳴を上げるフューレアを前に少女三人は高笑いを上げた。
フューレアはキッと少女三人を睨みつけた。信じられない。こんなひどいことを笑いながらすることができるだなんて。
ヴィヴィアンがギルフォードに惹かれているのはわかった。失恋をして悲しいのも分かるけれど、こんな方法許されない。
「あなたたち、それでも貴族の娘なの? こんな意地悪、神様だって絶対に許さないわ!」
啖呵を切ったフューレアはそのまま運河に身を投げた。
大きな水音に、周囲の人の注目を浴びたが、フューレアは無我夢中で気が付かない。早く探さないとどこかへ流されてしまう。
「おい! 人が運河に落ちたぞ!」
誰かの声が聞こえた。
幸いにも公園内の運河は水深が浅かった。それでも大人の胸の丈ほどまであった。ドレスが水を吸い体が重たくなる。運河の水は透明ではないため底を探すのも一苦労だ。フューレアはメダイユが落ちた場所にあたりをつけて水の中へもぐった。
(早く見つけないと。流されちゃう)
焦りばかりが募っていく。
運河の周りには人が集まり出した。誰かが叫ぶ声が聞こえたがフューレアはそれどころではない。気だけが急いて、頭の奥ががんがんと鳴り響く。
あれが無くなってしまったら、フューレアはフューレアでは無くなってしまう。
別れ際に母が持たせてくれた大切なもの。
特別に信心深くはないけれど、あのメダイユだけは特別だった。常に持ち歩くことで、母が一緒にいてくれる気がした。それはいつしかフューレアの習慣になっていて、旅行の最中だってずっと一緒だったのに。
(神様、お願い。お願い。お母様を見つけて!)
フューレアはもう一度診ずの中に潜った。
背後に水しぶきが上がったのはその直後だった。
「フューレア!」
誰かに強く抱きしめられて、フューレアはじたばたと暴れた。
「離して! お母様がいなくなっちゃう! 早く見つけないと」
「フュー! 大丈夫だから。私が絶対に見つける。だからきみは水から上がるんだ」
「嫌っ!」
「フュー! きみが風邪をひいたら母上が悲しまれる。お願いだ、フュー言うことを聞いて」
「ギルフォード……?」
どうして彼がここにいるのだろう。
フューレアは呆然とギルフォードを見つめた。無我夢中で彼に抱きしめられていることに今気が付いた。
「フュー、ここは私に任せてきみは先に屋敷へ戻るんだ」
「でも!」
「フュー、お願いだ。いうことを聞いて。私が絶対にきみの大切なものを見つける。約束する」
ギルフォードは力強く頷いた。
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