第26話 甘い言葉にご用心!?

 劇場にほど近いレストランは、それなりに賑わっていた。


 運河に面したレストランの、水辺に設えられたテーブル席にフューレアはギルフォードと並んで座っている。正面には同じようにアマッドとエルセが並んで着席していて、それぞれの席の前に料理が運ばれている。


 さすがは貿易大国だけあって、この国では異国の野菜や果物も多く流通している。


「トマトを器にするとは。洒落しゃれてますね」


 カルーニャでは広く流通している野菜であるトマトは、まだ珍しい野菜だがこのレストランでは小エビのサラダの器として使われていた。


「本場のトマトは完熟するまで収穫しないので、これとは比べ物にならないくらい味が濃厚なんですよ。元は異国由来の野菜だったのですが、今やすっかりカルーニャ料理には欠かせないものになりましたね」


 アマッドは自国でも馴染みのあるトマトにご満悦だった。白ぶどう酒でほどよく饒舌になった彼はそのままカルーニャにおけるトマト料理のうんちくを披露していく。


 トマトを使った冷たいスープはフューレアもお気に入りの一品だ。冬の間逗留していた彼の国でよく食したことを覚えている。


「さすがにロルテームへ輸出するトマトはまだ熟れる前に収穫をしてしまいますからね。いつか、本当に本物のトマトを食べにカルーニャまで来てください」

 トマトに対する愛をとくと語ったアマッドはそんな風に締めくくる。


「ええ、もちろん。フューレアもトマトは好きなんだろう?」

「ええ。美味しくいただいたわ。冷たいスープがよく出たの」

 その味を思い出してフューレアはにこりと笑みを深めた。


「それから子豚の丸焼きも美味しかったわね。向こうではお祝い料理なのですって」


 最初はその見た目のそのままな料理にエルセと共に頬を引きつらせたが、あれも美味しかった。カルーニャの伝統料理ということで、今でもお祝いの席や友人たちが集まったときによく食べられているのだという。


「俺たちの結婚式でももちろん晩餐会で提供するので楽しみにしていて」


 アマッドがフューレアに語り掛けると、彼の隣ではエルセが顔を真っ赤に染めた。


 アマッドの猛攻と卒のなさはすさまじく、かなりのスピード感を持ってエルセの外堀を埋めてしまった。まず、エルセの父であるクライフ氏がアマッドのことを気に入った。クライフ氏は、やや行き遅れてしまった感のある娘のために伝手を使って縁談を探していた。いくつか見合い話をエルセに持ってきていたが、突然に現れた求婚者がカルーニャの大きな商会の跡取りというということもあって、もろ手を挙げて賛成した。


 格でいえば役員とはいえ商会に雇われの身であるクライフ家の方がセラージャ家よりやや劣るかもしれないが、アマッドはエルセの身支度のために金子を渡すことも約束した。


(肝心のエルセがまだ戸惑っているけれど……これも時間の問題なのかしら?)


 いままで恋に興味のなかったエルセはアマッドが繰り出す直球な愛の言葉に盛大に戸惑っている。戸惑いすぎて顔を赤くすることしかできないでいる。相手が父の勤める商会の取引先でもあるため辛辣な言葉を返せないというのもあるらしいが、それでも嫌悪を抱く相手ではないことはエルセの態度を見ていれば明らかで。


「エルセの花嫁衣装と共に楽しみにしているわね」

「……フューレア様まで」


 本心からの言葉を告げるとエルセが小さな声を出す。色々と素直になり切れていないのだろう。フューレアは己を棚に上げて微笑ましいとさらに温かな視線を彼女に投げかけた。


「フュー、私たちも新婚旅行を兼ねてのんびり滞在しようか」

 と、ギルフォードがのんびりとした口調で話しかけてきた。


「えっ!」

「カルーニャでは三月ごろに結婚式をあげるのが一般的ですから、避寒も兼ねてぜひ長逗留してください」

「だって。いまから楽しみだね、フュー」


 少し考えればわかり切ったことだが、この話題はすぐに己の身に返ってくるのだ。

 ギルフォードは抜かりなくて、すでにフューレアの元には花嫁衣装を受注した仕立て屋が採寸にやってきたし、最高級の布地見本もいくつか見せられた。


「え、ええ。そうね」


 色々なことに心が追い付かない。

 それなのにギルフォードはちっとも緩めてくれない。


「そうだわ。エルセたちはどんな家に住むの? やっぱりお庭にはオレンジの樹が植わっているのかしら」

「街の郊外に屋敷を買おうと思っているんだ。中庭の噴水を囲む形で部屋がある、典型的な作りの屋敷だな。もちろんオレンジも植わっているよ」

「素敵ね」


 さらりと話題を変えるとアマッドがデレっと答えた。


 カルーニャの家は風通しの良い造りになっている。冬でもロルテームほど気温が下がらないからだ。どこの屋敷も中庭に噴水があり、熱い夏に涼をとれるようになっている。


「フューはどんな家に住みたい? 新居はどうしようか。夫婦の寝室の内装はきみの好みに合わせるよ。寝台は大きなものにしようね」


 矢継ぎ早に言われてフューレアはどこから返事をしたらよいのか窮してしまう。

 まさかこれも己に返ってくるとは思わなかった。

 結局フューレアは目の前の牡蛎に逃げることにする。


「ああ、牡蛎が美味しいわね! さすがはロームだわ。新鮮な牡蛎がハーデル河を伝ってすぐに運ばれてくるのだもの」


 どこかの店の宣伝文句のような説明文を口にしつつ、フューレアはその日の朝、メーペ湾で水揚げされた新鮮な牡蛎を褒めちぎった。生牡蛎に添えられたレモンもまたカルーニャ産である。


「そうですね。この牡蛎美味しいですよね」

「そうなのよ。ルーペ湾はすごいわね。こんなにも美味しい牡蛎が取れるんだもの」

「まったくです」


 あからさまな話題の切り合えに男二人はしばし黙り、けれどギルフォードはすぐに相好を崩した。


「そんなにルーペ湾産の牡蛎を褒めると、妬けてしまうよ」

「ええっ⁉」


「俺もだよ、エルセ。牡蛎よりも俺の方がいい男だと思わないか?」

「……」


「だからそのきれいな紫水晶の瞳で熱心に牡蛎を見つめては駄目だよ」


 なんだかとんでもない事態になった気がする。

 フューレアはただ牡蛎が美味しいと言っただけなのに。


「ギルフォードったら、意味が分からないのよ」

「簡単なことだよ。フューを愛しているだけのことだ」


「俺だって。エルセが忘れられなくてロームまでやってきたんだ」


 男二人はここぞとばかりに愛の表現合戦に突入した。どちらも現在求婚真っ最中。意中の女性への愛の言葉の表現で負けるわけにはいかないと、意味不明な闘志に火をつけてしまったようだ。


「エルセ。きみは俺の太陽だ。輝いている女神そのものだ。どうか、俺の元に留まってほしい。きみの愛を俺に与えてくれ。でないと、俺は息を吸うことすら苦しくてかなわない」


 さすがは情熱の国というべきか。よどみのない愛を乞う台詞に、エルセの頬がひくりと引きつった。


「フューレア。私にとってきみはどんな宝石も霞むくらいの大切な宝物だよ。いますぐに屋敷の奥に閉じ込めて永遠に私だけのものにしてしまいたい。フューレアが私の全てなんだ。きみがいなければ、この世界なんて滅んでしまってもいい。それくらいきみを愛している」


(重たい……ギルフォードの言葉がものすごく重たい……)


「ええと……あなたの気持ちは分かったわ」

「本当? まだまだ言い足りないけれど」


「だめよ。これから観劇なのよ」

「本当は観劇よりも、きみを愛でていたいんだけどね」


「いえ、しっかりと舞台の方を観ていて頂戴。せっかくの人気舞台なのよ」

「今日のフューはとても可愛いから。観劇の最中はきみを膝の上に乗せて撫でまわしたい」


 ギルフォードの言葉がだいぶおかしな方向へと向かってしまっている。

 アマッドも正面に座る男の言葉に同意する。


「それはいいな。エルセ、きみも俺の膝の上に乗る?」

「乗りませんっ!」


「正直、観劇よりもエルセとずっとこうして話していたい」

「わ、わたし……の話なんて大して面白くも無いですし」


「そんなことはない。きみは博識だし、忌憚のない意見をはきはきと言うところも好ましい。商会の妻となるにはぴったりだ」


「そうなの。エルセはとっても頭がいいのよ」


 フューレアは友人のことを持ち上げる。博識で数か国語を話すエルセはカルーニャ語もそれなりに操ることができる。結婚をしてかの地で暮らすことになればすぐに現地人と同じくらいの語彙力になるだろう。


 アマッドも商会主の息子としての教育を施されているため、母国語の他に通用度の高い言葉を二つ話せる。


「ありがとうございます。フューレア様だっていくつもの国の言葉を話されて、わたし初めてお会いした時さすがはナフテハール男爵家だと思いましたわ」

「ありがとう、エルセ」


 どうにか会話を軌道修正できてフューレアはホッと一息ついた。

 このまま際どすぎる会話が再開することなく劇場へと向かいたい。


 日暮れ前のレストランで軽い食事をとった四人はそのまま劇場へと向かった。麗しの公爵令息でもあるギルフォードは有名人でもあり、こちらに向けられる視線の数の多さにひるみそうになるが、四人で談笑しているところに不躾に割って入るような人物はおらず、先日と同じように開演前に軽くお酒を飲んだあとにボックス席へと向かった。


 ちなみに男二人は舞台よりも、彼らの花を愛でることに熱心で、舞台の幕が下りたあと、それぞれのパートナーから「舞台を観て」と言われたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る