第25話 公爵の提案

 エルセたちカップルとのダブルデート二回目を迎えた日の午後、ナフテハール男爵家に客人が訪れた。


 ギルフォードの父親でもあるレーヴェン公爵だった。


 ロルテームに移住をしたフューレアのことを何かと気に掛けてくれる公爵は、フューレアにとっては親しみのある人物だ。彼は今でも本当の父であるフィウレオと連絡を取っている。十四歳のフューレアに母からの手紙を届けてくれたのも彼だった。


 大好きな公爵なのだがいまは少々気まずい。

 ギルフォートとそのような仲になったあと、挨拶の一つもしに来ないフューレアを、彼はどう思っているのか。そのことを考えると今すぐに逃げだしたくなる。


 覚悟を決めて扉を叩いてから恐る恐る開けた。

 応接間に入り、時候の挨拶を形式通りに済ませて、公爵の前に座った。


「今日はこれからお出かけなのでしたな」

「はい。ギルフォードをお借りします」

「いいえ。あなた様さえよければ気のすむまでこき使ってやってください」

「いえ。そんな滅相も」


 不思議な会話に内心首をかしげる。

 てっきり、うちの息子をたぶらかしやがって、という苦情を言うための訪問かと思ったのだが。


(公爵と二人きりって珍しいわ……。一体なんの用件かしら)


 フューレアは出された冷たいココアに口をつけた。

 カルーニャの特産品でもあるココアはアマッドからの土産だ。カルーニャも海に面しており、その立地を生かしてより南方の国々と交易がある。ココアは南方から輸入をした豆から加工した飲み物で、最近では女性に人気なのだ。


「二年間の旅はいかがでしたかな」

「とても充実した毎日でしたわ。世界は広いと実感をした日々でもありました」


 フューレアは一つ一つの言葉を噛みしめた。

 きっと、人生の中でも特別な二年間だった。年をとってもあの日々のことを忘れることはないだろうと。そう思わせるくらいときめきと冒険に溢れた月日。


「そうですか。よい経験をたくさんしたのですね」


 レーヴェン公爵が目を細めた。

 その瞳の中にここではない、どこか遠くへ思いを馳せる想いが秘められているような気がした。彼は応接間に座るフューレアではなくて、どこを見つめていたのだろう。


「はい」

 頷くと、レーヴェン公爵も同様に首肯した。


「二年前、ナフテハール男爵にそれとなく旅を持ちかけたのは私です」

「え……?」

「あなたはご自分の将来に迷っておられた。そして、ちょうどその頃あなた様を探している者たちがいるとの情報が入りましてな」


 心臓が強く収縮をした。


 次男をダガスランドに送り届けて、現地を視察しがてら旅をしようと思う。そんな風にナフテハール男爵が言い出したのはいつのことだったか。夫人が乗り気になり、フューレアにも意見を尋ねてきた。ちょうど十七歳の頃で、世間では社交デビューを果たす年。とはいえ、フューレアは訳ありの自分が上流階級の社交界に顔を出すことにためらいも覚えていて、消極的だった。


 旅の話は渡りに船だった。

 話はとんとん拍子に決まっていき、最終的には二年もの月日を外国で過ごした。ナフテハール男爵家は資産家で、その気になれば一生海外をのんびり周遊できるくらいの財産を持っている。期限なしの旅行ではあったが、夫人のそろそろ一度ロルテームに戻りましょうか、という一声で帰国が決まった。


「うまい具合に、あなた様は旅立たれた。こちらも彼のお方と連絡を取ったりして、相談をしました」


 彼のお方とは、要するにフューレアの本当の父親であるフィウレオのことだ。

 いったい、何を話し合ったというのか。


「最近になってリューベルン連邦の皇帝があなた様の行方を躍起になって探しておられる」

「どう……して」


 声がかすれた。

 フューレアは表舞台から姿を消したのに。


「偽物がたくさん出現するからでしょう。生死不明で行方が知れない。もしもフィウレオ・モルテゲルニーが亡くなったら、誰が本物か証明立てる人間がいなくなる。皇帝はおそらくそれを危惧しているのでしょう」


 フィウアレア・モルテゲルニーは十三歳のある日、家庭教師と公園を散策中に忽然と姿を消したことになっている。


 本当は、公園散策の際に協力者によって連れ出された。道中は馴染みの使用人が世話役としてついてくれていた。彼女はまだ年若い洗濯番で、フューレアが屋敷を出るひと月ほど前に理由をつけて屋敷から去っていた。


 その後は連邦内の修道院に身を寄せ、フィウアレアからフューレアへと名前を変えた。詳しい書類などは分からないが、今日から名前がフューレア・ナフテハールに変わると伝えられ、新しい父親という現在のナフテハール男爵らと一緒に連邦を脱出した。新しい身分証にはナフテハール男爵家の養女と書かれていた。リューベルン連邦の西側の国を二つ越えての陸路での旅路だった。


 そのようなフューレアの亡命劇も世間には一切伝わっていない。

 フィウアレアという名を棄てたのだ。


 失踪直後、さまざまな憶測が飛び交ったという。フューレアは己の世間での噂には興味は無かったのだが、レーヴェン公爵は情報を収集していた。


「モルテゲルニー元殿下、現公爵が亡くなられれば、その後自称フィウアレアを名乗る者が大勢出て権利を主張するのではないかと。そうなればゲルニー公国の継承権にまで話が巻き戻る可能性があります。皇帝はそれを厭い、本物のフィウアレア殿下の行方を追っておられます。実際、フィウレオ元殿下の元にも何度にもわたってそれとなく探りが入っているようです」


「わたしは……見つかれば殺されるの?」

「このまま身を顰めていれば、皇帝の気分次第ではそれも可能性としては否定できません」


 おそらくリューベルン連邦の現在の皇帝は、父であるフィウレオが娘を密かに国から脱出をさせたのだと疑っているのだ。そこに何か恣意があるのか無いのか。無くてもフューレアが生きていることによって生じる不都合さに目をつぶれないとなれば、皇帝はフューレアを躊躇ためらいもなく殺すだろう。


「提案があります。判断はあなた様に委ねます」


 レーヴェン公爵がまっすぐにこちらを見つめた。

 重い眼差しに震えてしまいそうになる。けれども、ずっと助けてくれたレーヴェン公爵の話なのだから、フューレアは聞かなければならない。


「聞かせて頂戴」


 膝の上に置いたこぶしをぎゅっと握りしめる。

 レーヴェン公爵は重々しく口を開いた。


 その内容は、フューレアにとっては少し意外だった。けれども、決断のいることだった。それに、一度動き出してしまえば止めることはできない。

 フューレアはレーヴェン公爵の話が終わってもその場から動けないでいた。


「少し時間が必要なのはわかりますが。彼の国の情勢はころころ変わります」


 何が最善なのかはレーヴェン公爵も本当の父であるフィウレオも分からない。それはフューレアも一緒で、今この時に判断をしながら生きていくしかないのだ。


「我が愚息も、少しくらいはあなた様の盾にはなりましょう」


 今日はじめて彼の目元が緩んだ。

 フューレアはようやく緊張を解くことが出来た。

 体から力が抜けたその時、大きな音がした。 ノックも無しに応接間の扉が開かれたのだ。


「父上。私に断りもなくフューに会うとは、どういうことですか」

 そこには怒りに顔を歪ませたギルフォードの姿があった。


「私がフューレア嬢と話をするのはそんなにもいけないことか?」


 ギルフォードの後ろには少々眉を引きつらせたナフテハール男爵家の執事の姿があった。


「ええ、もちろん。父上であっても私のフューと二人きりになることなんて許しませんよ」


 嫉妬心丸出しの息子の台詞を聞いてもレーヴェン公爵家は顔色一つ変えなかった。どちらかというとフューレアの方が肩を縮こませてしまった。なんとなく、申し訳ない気持ちになったのだ。


「さて、フューレア嬢。私はお暇します。今日のことは、折を見て私からそこの息子へ話をしますゆえ」


 フューレアは小さく頷いた。

 まずは自分だけで考えてほしいということなのだ。了承の意を受け取ったレーヴェン公爵はそのまま屋敷を去っていった。

 対するギルフォードはフューレアを己の腕で抱きしめた。


「フュー、一体何を話していたんだ?」

「内緒」

「フュー」


 ギルフォードの声が硬くなった。


 しかし、言えないものは言えない。別にギルフォードを信用していないわけではない。きっと、これはフューレア自身で決めなくてはいけないことだから。


「ギルフォード、わたしはもう十三歳の子供ではないわ」


 そう言うと、彼は口をつぐんだ。

 ギルフォードが迎えに来たということは、そろそろ出発の時間だ。


「少し手直しをしてくるわね。待っていてくれる?」


 からりと口調を変えるとギルフォードはそれ以上は何も言わずにただ「行っておいで」とフューレアを見送ってくれた。フューレアは急いで身支度を整えた。


 考えることはたくさんあるけれど、今はせっかくのダブルデートを楽しみたかった。

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