第23話 ギルフォードの暴走

 翌日、時間を作ってギルフォードはナフテハール男爵家を訪れた。


 応対した執事は、フューレアはエルセと一緒に絵画コレクションを見学しに行っているとのこと。中心部から少し離れた場所にある、とある金持ち所有の屋敷である。


 ギルフォードも知るそこは、個人が所有する絵画を一般公開しており、入館料を払えばだれでも見学ができる私立美術館でもあった。


 ギルフォードは入れ違いになるかもしれないと考えたが、己の心に従って馬車を走らせた。今は一刻も早くフューレアに会いたかった。


 屋敷の前には何台かの馬車が停車をしていた。

 ギルフォードが美術館の入口へ歩いていくと、中から男女が出てきた。

 年若い男女だ。ギルフォードの心にめらめらと嫉妬の炎が燃え広がった。


「フューレア」


 言葉の方が先に出た。硬い声にフューレアが気付き、目を丸くした。


「ギルフォード、どうしたの。こんなところで」


 彼女の傍らには黒髪の青年が佇んでいた。

 ギルフォードよりも体格の良い褐色の髪を持つ男だった。年の頃はギルフォードとあまり変わらないだろうか。それなりに若そうだ。しかし、若い男がフューレアの側にいるというだけで腸が煮えくり返る。


 ギルフォードの視界からは、フューレアと青年の隣にエルセがいることは消え去っている。付添人がいるとかそういうことは問題ではないのだ。楽しそうに談笑をしながら美術館から出てきたということが全てを表わしている。


「フューに会いたくなって」

「最近少し忙しいって手紙には書いてあったけれど、今日は空いているの?」


 フューレアがこちらへ近づいてきた。

 ギルフォードも彼女のほうへ歩み寄る。


「少し、二人きりで話をしたい」

「その前に、紹介するわね。彼はアマッド・セラージャ。カルーニャ人よ。旅の最中に出会ったの。彼ったらとっても情熱的なの。何と―」


 すべてまで言わせず、ギルフォードはフューレアの手を取り、少し強引に歩き出した。


 フューレアの言葉から、二人が親しいことが分かった。彼女曰く友人なのだろう。まったく、フューレアは純粋すぎる。こちらの気持ちを分かっているのに、無邪気に男性と出かけるなんて、酷いではないか。これでもまだフューレアへの愛情表現を押さえているというのに。


「ギルフォード? ちょっと、どうしたの? ねえ、アマッドに挨拶くらいしたほうがいいと思うのだけど」


 フューレアの言葉に返事をすることなくギルフォードは建物に沿って歩き出す。

 屋敷の周りの庭は見学者に解放されていて自由に散策が出来るようになっている。


 人が多くないのが幸いだった。

 ギルフォードは人気のない、木陰にフューレアを連れ込んだ。


「フュー、きみはとても残酷だね」

「え?」


 立ち止まり、向かい合う。

 ギルフォードはフューレアの頬にそっと指を躍らせた。

 フューレアの瞳に戸惑いが浮かび上がる。


「きみを愛している。きみは、そのことを知っているはずだろう? なのに、無邪気に男を紹介されて、私が喜ぶとでも?」

「え、だってアマッドは―」


「だめだよ、フュー。その愛らしい唇で他の男の名前を呼ばないで」


 ギルフォードはフューレアの唇に指を押し付けた。その仕草によって押し黙ることになったフューレアは困惑した瞳のままギルフォードを見上げる。紫色の瞳は水晶のように透き通っていて美しい。

 その瞳の中の己が映っている。そのことに心が歓喜する。


「きみには、そのアマッドという男の方が魅力的なのかな。たしかに、南の男は情熱的だと言われているね。わざわざきみに会いにはるばるロームまでやってきたのかな」


 フューレアが首を小さく横に振る。


「それで、きみは嬉しかった? 情熱なら私も負けるつもりなないのだけれど」


「違うの。アマッドはわたしに会いに来たのではないわ」

「ナフテハール男爵に会いに? まあ、普通はそうだよね。まずは男爵に話を通すのが筋というものだ」


 娘を下さいと言うのならまずは庇護者である父親の許可をもらわねばならない。

 だとしたら、男爵はすでにあの男のことを認めたのだろうか。


 カルーニャはリューベルン連邦から遠く離れている。さすがに彼の国まで行けば、早々も北方の、リューベルン人もいないだろうし、訪れることも滅多にないだろう。


 フューレアものんびりと暮らせるのかもしれない。

 ギルフォードはぎゅっと眉根を寄せた。

 だとしても、フューレアを諦めることが出来ない。


「ねえ、フュー。嫌なら拒絶をして。私に触れてほしくないのなら、きみから拒絶をして」


 本当は拒絶などしてほしくもないのに、ギルフォードはわざとそのようなことを言った。


 拒絶をされてもお構いなしに、彼女をギルフォードだけが知る秘密の場所に隠しておきたい。領地の奥深くに、どこか小さな館を建てて。そこにフューレアを閉じ込めておきたい。


 ギルフォードは身をかがめた。

 フューレアの瞳がびくりと揺れた。

 彼女がギルフォードの気持ちに戸惑っていることは知っている。


 けれども、彼女はギルフォードの顔が近づいているのに、避けようもしない。

 少しくらいこちらのことを異性として意識してくれているということなのだろうか。それとも怯えて動くことが出来ないだけなのか。


 あんな、ガタイだけが取り柄の男に負けたのか。筋肉が好きだというのならギルフォードだって頑張って鍛えるし、別に己の体だってひょろひょろというわけではないはずだ。


 彼女の気持ちを推し量るように、ギルフォードはそのまま彼女の唇を奪おうと距離を縮める。


 唇が触れあおうとしたその時。

 枝が折れる音がした。


「あ……あー、その。お取込み中……でしたよね?」


 少々間抜けな声が聞こえてきて、ギルフォードはぴたりと動きを止めた。


(だと思うなら声を掛けるな! 痴れ者!)


 フューレアを取り返しに来たのか。だとしたら負けるわけにはいかない。いますぐにでも決闘を申し込んでやる。物騒な考えに頭を巡らせていると、我に返ったフューレアが息を大きく吸い込んだ。


「ギルフォードのばかぁぁぁ!」


 久しぶりに爆発をしたフューレアに、ギルフォードはたじろぎ、しかも彼の旅の目的を聞かされて、さらにギルフォードは己の早合点に平身低頭謝ったのだった。

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