第22話 うさわ話

 その話題は少々の悪意を持って伝えられた。

 議会のための資料を作成するために、宮殿近くにある図書館に寄ったときのことだった。入口ですれ違ったとある紳士から面白半分に聞かされた。


「そういえば最近、ナフテハール男爵家の末の令嬢が外国人と連れ立っているそうではないですか」


 顔に好奇心を張り付けた紳士はギルフォードよりも少し年上。

 ギルフォードは感情を表に出すこともなく、その男を一瞥した。


「ナフテハール男爵はこの春まで海外を周遊していましたから、その頃のお知り合いでしょう」

「年若い男性だそうですよ」


 紳士は尚も話を振ってくる。

 そして、年若いというところにギルフォードのこめかみがぴくりと動いた。


「彼女はきちんと教育をされた淑女です。付添人も無しに(私以外の)男性と二人きりになるはずはありませんよ」


 内心の苛立ちを押し殺して平静に返せば男は面白くなさそうに、「たしかに、まあ。付添人の女も一緒に歩いていましたがね」と鼻を鳴らした。


 こちらのどんな反応を期待しているのか手に取るようにわかる。

 ギルフォードは男の素性を脳裏に浮かべた。確か、先日の議会でギルフォードらの意見と対立をした一派だったはず。なるほど、せこい意趣返しというわけか。みみっちい男である。


「ええ。男爵夫人はそのあたりしっかりとされていますからね」


 ギルフォードは最後に駄目押しをした。

 紳士は思った反応が得られずに、適当に話を切り上げてギルフォードの元を去っていった。


 とはいえ、聞き捨てならない話ではあった。

 ギルフォードの公開求婚劇のおかげで現在フューレアは時の人でもある。


 世間を賑わす話題の人ということもあり、フューレアに注目をする人間は多いらしい。

 その男の正体は分からないが、フューレアと出かけるくらいにはナフテハール男爵家と親しい付き合いをしているのだろう。


 外国人というところで嫌な予感しかしない。ギルフォードはフューレアを注意深く世間から隠してきた。己の出自を隠さなければならないという彼女の用心深さを全て肯定して、外に出たくないのならそのままでよいと言ってきた。


 そのためロルテーム内でのフューレアの交友関係は本人も認める通り非常に狭い。ロルテーム内でフューレアと親しい男性などギルフォード以外にいないのだが、二年間の空白期間があるため、そちらの方に関してギルフォードはむしろ何も知らない。


 こうなると資料作成どころではなくなった。最近少し予定が立て込み、フューレアの会う機会がなかった。彼女だけを優先したいのだが、義務もあるのだ。政治の仕事もあるし、領地経営も一部は父より任されている。それらの雑事が重なり、ここのところフューレアへは手紙を送る日々が続いていた。それもそろそろ片付いたため、一度デートに誘おうと思っていた矢先の、先ほどの不躾な言葉である。


 今日は気分が乗らないと、とりあえず必要な書籍の持ち出し手続きだけして出入り口へ向かうと、この建物には珍しい、若い女の姿があった。


「ギルフォード様!」


 ボンネットをかぶった少女の高い声が天井の高い出入り口ホールにこだまする。

 ギルフォードは内心、誰だ、と誰何すいかする。後方を影のように付き従っていた従者がぼそりと「ローステッド侯爵令嬢でございます」と呟いた。


「ギルフォード様。わたくし、ぜひにあなた様にお伝えしたいことがありますの」

「なんでしょう」


 ギルフォードは即座にロルテーム貴族の相関図を頭の中に思い浮かべる。ローステッド侯爵家は、それなりに歴史ある家だ。国政には参加をしていないが、古い家ということで発言にはそれなりに力がある。


「わたくし、この目で見ましたのよ。ナフテハール男爵家の末娘が公然と男性と逢引きしているのを」


 ローステッド侯爵令嬢は、まさに正義は我にありと言わんばかりに声を張り上げた。


 今日は引きが悪い日らしい。

 寄ってたかって、人のうわさをするしか能のない人間が集まってくる。

 ギルフォードは内心舌打ちをしたが、それを表にはおくびにも出さずに微笑を顔面に張り付けた。


「ナフテハール男爵家は広い人脈を持っていますよ。私の婚約者も男爵家の義務として社交をしているまでのこと」

「でも、とっても楽しそうに。それはもう、まるで恋人同士のように仲睦まじい様子でしたわ。わたくし、信じられませんわ。あのような下品な娘は、ギルフォード様の婚約者に相応しくありません!」


 ローステッド侯爵令嬢は、己の見たフューレアの様子を誇張してギルフォードに伝えた。少しでもギルフォードの彼女への心証が悪くなればいいと思って言っているのだ。


「私の婚約者への侮辱は、そのまま私への侮辱と受け取るが」


 ギルフォードは丁寧な言葉遣いを崩した。顔に張り付けていた余所行きの笑みを取り払い、酷薄な瞳で目の前のローステッド侯爵令嬢を見やる。


「な……。わたくしは、ただ……ギルフォード様に見たままをお伝えしただけですわ」

「気分が悪い。失礼する」


 ギルフォードは令嬢の相手をすることを放棄した。

 大して付き合いもない人間に人の婚約についてあれこれ言われたくはない。


「ギルフォード様ぁ」


 背後から令嬢の媚びを売るような声が聞こえてきてうんざりする。

 こういう声がギルフォードは大嫌いだ。


 ギルフォードは足早に馬車に乗り込んだ。

 余裕などあるはずもない。フューレアに自分以外の世界が広がることをギルフォードはとても恐れている。彼女の世界は狭いままでよかったのに。


 愛らしい小鳥を鳥かごの中に永遠に閉じ込めておきたい。

 ずいぶんと狭量な考えだという自覚はある。

 けれども美しく成長をしたフューレアを、世間が見つけてしまうのが怖かった。


 純粋なフューレアは男性慣れをまったくしていない。あの愛らしい眼差しが、声が、ギルフォード以外の男へ向けられると思うとぞっとするし、絶望しかない。いつだってギルフォードはフューレアを追いかける側なのだ。余裕などあるはずもない。


 ギルフォードはそのままナフテハール男爵家へ向かいそうになって、どうにか理性を振る動員させて押し留めた。彼女を正式な妻とするためにもここが踏ん張りどころだ。


 レーヴェン公爵は現状、フューレアの夫にギルフォードがつくことに手放しで賛成しているわけではない。


 フューレアの今後についてレーヴェン公爵はどうやら秘密裏にモルテゲルニー公爵と連絡を取り合っているようだった。ゲルニー公国が無くなった今はアウスバーグ王国の一部になっており、フィウレオ・モルテゲルニーはアウスバーグの公爵位を与えられていた。


 レーヴェン公爵がフィウレオとどのような話をしているのかは分からない。まだギルフォードの元まで降りてこないからだ。父からの信頼を得るには実績を積むしかない。


 フューレアと一緒に出かける外国人。

 いったいどこのどいつだろう。

 嫉妬で気がおかしくなってしまいそうだった。


 たった一人の女性の心が欲しくてギルフォードはもがいている。彼女がただ愛しくてたまらない。


 フューレアは絶対に誰にも渡さない。


 注意深く隠してきたギルフォードの宝物。彼女を手に入れるためなら何だってする。

 それがいまのギルフォードの生きる全てなのだ。

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