第21話 カルーニャからの客人2
アマッドの一世一代の目的とは、要するにそういうこと。
避寒のために訪れていたカルーニャのリゾート地で、彼はエルセに惚れたというのだ。
そういえば彼の地でやたらとナフテハール男爵家が滞在するホテルへとやってきていたな、と彼から旅の目的を聞かされたフューレアは思った。あのときは、ナフテハール男爵との貿易の話を進めているのだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。お目当てはエルセだったのだ。
アマッドの一途な恋にほだされたフューレアと男爵夫人は現在絶賛、アマッドの恋を応援し隊として活躍をしている。
「エルセ、硬いことを言ったらだめ。せっかくだものエスコートくらいしてもらいなさいよ」
「……」
フューレアはエルセの無言の抗議をしれっと受け流す。
この間、ギルフォードとフューレアをあっさりと二人きりにしたのだから、このくらいの意趣返しは許されてよいはずだ。あのときはとってもドキドキして大変だったのだから。
「エルセ。そろそろ俺に慣れてほしいんだが」
「……わたしは野生動物ではありません」
森で出会った小動物を手なずけるように手を差し出すアマッド。
エルセはフューレアと男爵夫人の期待の視線に耐え兼ね、仕方なくアマッドへと近づいた。
フューレアはその様子をうっとりと眺める。
(アマッド、よかったわねぇ。ついにエルセがあなたに懐いたわよ)
最初はアマッドの求愛をドン引きしていたエルセだったが、まずはみんなでお出かけ作戦を提案したのはナフテハール男爵夫人だ。四人でローム観光に出かけて、徐々にエルセの緊張を解いていこうという作戦。
ちなみにエルセに持ちあがっていたお見合い話は立ち消えてしまった。
クライフ氏に「娘さんを私に下さい」と直談判をしたアマッドによって、氏が
ぎこちないながらもエルセも徐々にアマッドに慣れていっている。
劇場で並ぶ男女二人。
「そういえばわたし、ギルフォードと観劇に来たことないわ」
「あなたも、いつでもああしてデートをしていいのよ」
独り言を聞かれたらしい。男爵夫人がほわりと目じりを下げた。
「わ、わたしは……」
フューレアは何て続けていいのか分からない。
「あら、ナフテハール男爵夫人ではないですか」
「まあまあ。お久しぶりですわ」
口ごもっていると、男爵夫人が知り合いのご婦人に捕まってしまった。
昼の社交場でもある劇場内はどちらかと男爵夫人と同じような年代のご婦人が多い。母が世間話という名の婦人会に参戦をしてしまったためフューレアは手持ち無沙汰になる。
アマッドは熱心にエルセを口説いている。
フューレアだけ余りものだ。
(わたしも、ギルフォードと一緒に来たかったな……)
頭の中に彼の顔が浮かび、フューレアはすぐにぶるぶると頭を振った。
彼だって忙しいのだ。フューレアが帰国した当初こそ足繁く己の元を訪れてくれたが、やはり彼にも彼の世界がある。フューレアにのみ構っているわけにも行かなくて、最近会うことが出来ていない。その分エルセとアマッドの恋の橋渡し役を頑張っているのだが、男女二人組を眺めていると、心に浮かぶのは憧憬。
二年前までは、ギルフォードとは互いの屋敷で会うことの方が多かった。たまに運が遊びをすることもあったけれど、デビュー前の少女の行動範囲というのは狭いのだ。それに輪をかけてフューレアの世界は狭かった。
「フューレアもこのあと、カフェに行くだろ?」
「え、わたし?」
急に話を振られてフューレアは慌てて意識を目の前に戻した。
「エルセがフューレアの付添人なのだから、きみと離れなれないって」
「もう。エルセったら」
人を逃げ道にしないでほしい。
視線を合わせると、一人夜道に放り出された子供のような顔をしたエルセがいた。まだ二人きりになるには決心がつかないらしい。
「いいわよ。せっかくだから運河沿いのカフェにしない? ロルテーム風のパンケーキが美味しいお店があるのですって」
「いいな。そこにしようか」
「決まりね」
フューレアは男爵夫人に、これから三人でカフェに寄っていく旨を伝えた。
男爵夫人は楽し気に見送ってくれた。
ギルフォードと二人きりで会うと、彼の変わり様にどぎまぎしてしまうのに、エルセとアマッドを眺めていると、一人きりが寂しくなる。つい、隣にいるはずの誰かを探してしまう。それがフューレアにとってはギルフォードが当たり前で。
(わたしだって、この前ホテルでギルフォードと一緒にケーキを食べたもの)
だから平気、とは何が平気なのかフューレア自身分かっていないのに、どうしてだか彼の顔ばかり浮かんでくる。
三人で連れ立って劇場を出て行く様子を、少なくない人々が注目をしていることにフューレアは気が付かない。
ナフテハール男爵夫人の末娘がギルフォード・レーヴェンと婚約をしたことは当然のことながら上流階級に知れ渡っている。
とある少女が一人、アマッドと親し気に話すフューレアを注視していた。
彼らをよく観察すれば、アマッドが誰に気があるかなど分かるものなのだが、フューレアは男爵家の娘らしく明るい色の外出着を着ていて、エルセは飾り気のない藍色のもの。どうしてもフューレアの方に目が行ってしまうのだ。
「なによ、あの娘……」
劇場のロビーで楽しそうに話をするフューレアを睨みつけていた少女はぎりりと奥歯を噛みしめた。
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