第20話 カルーニャからの客人1

 ハレ湖を中心に円を描くように作られた運河は湖から遠ざかるにつれて、その間隔が開いてくる。運河の外郭は公園や牧草地や林が広がり、長期滞在者のためのホテルや貴族の別宅が建てられている。


 毎年夏になると大陸南の国々から多くの人々が避暑に訪れる。ロームへはロームダール河経由で外海へ行き来できることもあり、移動は案外簡単だ。


 フューレアが冬の間逗留していたカルーニャはディルディーア大陸の西南端に位置する国でロルテームから見ると南の隣国フラデニアを間に挟んだ真南という位置だ。


 互いに海への便が良いため、古くから貿易に力を入れており昔から商売上の付き合いも多い。近年では海洋進出をかけて互いに牽制をしあっていたりもするが、商売人は利益重視の現実主義者でもある。政治と商売は別物というのが商売人の共通認識だ。


「ロームに入って、一番にあなたのおめでたい話題が飛び込んできたのよ。わたくし、とてもびっくりしたわ。けれど同時になるほどね、とも思ったものだわ。国に決まったお相手がいるのなら、ドナーナでものんびり構えているはずだわねって」


 男爵夫人と訪れたのはローム郊外のとあるお屋敷。


 持ち主はカルーニャ人のお金持ち。貿易で財を成した人物で、家督を息子に譲ってからは悠々自適に各国に持つ別荘を行き来する生活を送っている齢六十過ぎの老夫婦だ。


 カルーニャでも社交期に入っているため、今の時期から避暑にやってくるのはどちらかというと年配の夫婦が多い。または事業で各国を飛び回る実業家などだ。たまに年若い娘や息子が付いてくることもあるが、今日の集まりにはあまり参加をしていなかった。


「いえ、ギルフォードとは確かに昔馴染みでしたけど、決まった約束があったわけではないんです」


 さくらんぼ色のドレスを身にまとったフューレアはやんわりと老婦人の言葉を訂正する。


「まあま、恥ずかしがっちゃって」

「公爵家のご令息だと聞いたわよ。なによもう、フューレアったらやるじゃない」

「大勢が見守る前での公開求婚だなんて。そんなシチュエーション憧れるわぁ」


 一人が口を開けば、集まったご婦人方が口々に感想を言い始める。

 どうやら彼女たち、フューレアの求婚劇をすべてしっかりと調査済みのようだ。

各新聞の社交欄で大きく報じられてしまったため、情報収集も簡単だったに違いない。


「ていうか、みなさんはあれがどれくらい恥ずかしいかなんて絶対にわかっていないんですっ!」

「いいわねぇ。若いって」


 ふふふ、ほほほ、と笑い声によっていなされてしまう。


 彼女らにとってフューレアなどまだまだ赤子も同然だ。フューレアにとっては祖母ほどの年齢の女性たちであっても、色恋沙汰にはまだまだ興味津々トキメキ盛りのお年らしい。元気が良すぎる事で結構なことだ。


 それからもフューレアはギルフォードとの具体的ななれそめを根掘り葉掘り聞かれて、大変な目にあった。恋愛関係の質問攻めなどこれまでの人生で経験が無いから、質問にいちいち顔を赤らめたり言葉を詰まらせたり。


「もう、みなさん。わたしの娘をあまりいじめないでやってくださいな」


 ようやく、母である男爵夫人が助けに入ってくれた。

 正直に言えばもっと早くその言葉を発してほしかった。老婦人たちは男爵夫人に的を変更したようだ。フューレアはちゃっかりとその場から逃げ出した。


 冷たい飲み物で一服していると、「フューレア」と男性から呼びかけられた。

 ものすごく聞き覚えのある声に、フューレアは笑顔を作って振り返った。


「アマッド! 久しぶりね。あなたもロームへ来ていたのね」


 褐色の髪の毛に黒い瞳というカルーニャ人に多く見られる特徴を持ったアマッドはにかりと笑みを作った。するとえくぼができて話しやすくなる。がっしりした体格のアマッドだが、これで案外優しくてユーモアもあるのだ。


 彼と出会ったのは数か月前。避寒で滞在していたカルーニャのドナーナというリゾート地だ。カルーニャの大きな商会の息子でもあるアマッドも一時ドナーナに滞在をし、ナフテハール男爵の知人の紹介で知り合った。滞在中はなにかと世話を焼いてくれた親切な男性だった。


「まあね。一世一代の目的のために休暇を早めてこっちに来たってわけ」


「一世一代の目的?」

「そうだ。聞いてくれるか、フューレア」


 改まった声を出したアマッドはフューレアに旅の目的を切々と語り始めた。





 昼公演が終わった劇場の館内は雑多な空気に包まれていた。

 昼公演ということもあり、劇場内は男女のカップルよりも友人同士で訪れている観覧客のほうが多い。皆、それぞれに今しがた見終えた歌劇の感想を言い合っている。


「アマッドには少し退屈過ぎたかもしれないわねえ。普段あまり恋愛歌劇など観ないでしょう」


 おっとりと微笑むのはナフテハール男爵夫人だ。

 カルーニャからの客人でもあるアマッドは少しだけ引きつった笑みを浮かべる。図星であることが丸わかりだ。


「俺はエルセばかりを眺めていましたので、場所はどこでも楽しめます」


 実に正直な感想を言ってのけるアマッドはニカッと白い歯を見せてエルセに笑いかける。

 フューレアの背中に隠れる位置に立つエルセの息を呑む声が耳に届いた。


「エルセ、どうしてさっきからフューレアの後ろにばかりいるんだ? どうせなら俺の隣に来いよ」

「……いいえ。わたしはフューレア様の付添人ですので」


 エルセの声は頑なだ。

 フューレアはそっと後方を伺いつつ、内心唸った。これは手ごわい。前途多難だ。

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