第19話 エルセもセンチメンタル
せっかくの社交シーズンなのに今日も絶賛引きこもり中のフューレアは日当たりの良い地上階のサロンでエルセと一緒に盤遊戯で遊んでいた。
「実はわたしにも縁談が持ち上がったんですよね」
エルセの爆弾発言にフューレアの時が一瞬止まった。
「えっ? エルセ、お見合いするの? あ、ちょっと。だめ、そこは駄目よ」
「勝負なんですから、互いに手加減は無しですよ。……お見合いっていうか……まあ、実際に会うとなったらお見合いなんでしょうね」
手が疎かになったところを容赦なく襲われた。こうなると彼女の縁談話も作戦の一環ではないかと勘繰ってしまう。
この手の陣取り遊戯盤は近隣諸国でも広く親しまれていて、主に男性の高尚な趣味とされている。王様や女王様、将軍や騎士、一兵卒などの駒を駆使して相手を打ち負かすからだ。とはいえ女性の愛好者が全くいないというわけでもなく、暇つぶしの一環として嗜む人もそれなりにいる。フューレアも長い船旅の最中、色々な人と何度も勝負をしたものだ。
「エルセったら結婚はしばらくはいいみたいなことを言っていたじゃない」
「それを言ったらフューレア様だって同じでしょう? 帰国して速攻で婚約したじゃないですか」
「あれは不可抗力よ」
「レーヴェン卿に嵌められたんですよね。ご愁傷様です」
「その言い方だとギルフォードが悪人みたいだわ」
「案外に乗り気なんですね」
「別に、そういうわけでも……あああっ! ちょっと、だめ。だめよ、今のなし!」
「ナシは無しですよ」
またしても駒を取られた。
今回の勝負はエルセに譲った方がよさそうだ。あっさりと白旗を上げたフューレアは考えるのを放棄して駒を進めた。するとエルセが「手を抜くのは駄目ですよ」と抗議した。
「だってあなたのお見合いのほうが気になるじゃない。そういえば昨日留守にしていたわよね。クライフ氏に会っていたの?」
「ええ。まあ。父に呼び出されまして。おまえもそろそろ身を固めたらどうだって」
「お相手はどんな方なの?」
「ロームの役人ですって。外務省にお勤めで、仕事柄外国人から招かれることが多いから、語学に精通した妻のほうがいいとか」
「それならエルセはもってこいね。フランデール語もカルーニャ語も話せるじゃない。旅の思い出話だってできるわ」
「まあ、そうですね」
「あまりいいお相手じゃないの?」
エルセの顔からはこれといった感情が読み取れない。口調も普段と同じでどこか他人事のように話すから乗り気なのかそうじゃないのか掴めない。
「いえ。経歴は立派だと思いますよ。ロルテーム大学出身ですし。彼自身語学も堪能ですし。ただ……」
「ただ……?」
「すぐに家庭に入るっていうことに実感湧かないというか。もうあと一年くらい猶予はあるかなと思っていたので。存外に早かったなと」
ぽつりとこぼすエルセが次の手でミスをした。これはきっと、彼女も行き詰まっているのだ。
「……この二年間が夢のようだったんです。父の勤める商会の、社主のお嬢様について諸国を巡って。待遇もものすごくよかったので。当然に夢から現実に戻ってきたというか、現実を突きつけられたというか」
「それはなんていうか、分かる気がするわ。夢のような二年間だったもの」
外国をのんびり旅して、行く先々でフューレアたちは客人だった。街並みや由緒ある建物を見学して、現地の食事に舌鼓を打ち、そのときを楽しんだ。
「あらあら、うら若き娘が二人そろってどうしたの? 浮かない顔ね」
サロンに入ってきた男爵夫人に、二人はそろって顔を向ける。
「お母様。おかえりなさい」
「ただいま。ああそうそう。ギルフォードからのお手紙よ。さっき届いたのですって。ずいぶんとマメねえ」
フューレアはギルフォードの名前に分かりやすく反応した。
犬だったら耳がぴんと立っている状況だ。急にそわそわし始めるフューレアを見た夫人が苦笑を漏らしながら手紙を娘に手渡した。
フューレアはまるで宝物を手にしたときのようにそっと受け取った。
「あら、ギルフォードは昔からよく手紙をくれていたわよ」
「はいはい」
男爵夫人はおざなりに娘をあしらう。
「エルセ、クライフ氏から聞いたわ。縁談が持ち上がっているそうね」
「はい」
どうやらクライフ氏は相当に根回しを進めているようだ。
「あんまり乗り気じゃなさそうね」
男爵夫人はエルセの顔から彼女の本音を読み取った。
「あなたさえよければ家庭教師の仕事を紹介することもできるけれど。フランカのところの上の娘は来年十歳になるでしょう? そろそろ本格的に外国語を勉強させたいってあの子も言っていたし」
「ほんとうですか?」
「お母様、エルセはわたしの話し相手の仕事があるじゃない」
「話し相手はあまり需要のない仕事ですからね。それよりも家庭教師としてキャリアを積む方が彼女のためですよ。フランカのところで働いて成果を出せば次の紹介状も書いてやれますからね」
この時代紹介状が無ければよい仕事にはありつけない。勤務態度や実績に応じて紹介状の内容も変わってくる。この内容によって待遇の良い仕事にありつけるかどうかがかかってくるのだ。
「でも、一度会ってみるのも悪くはないわよ、エルセ」
男爵夫人はエルセに違う道を示しつつも、夫の部下であるクライフの顔も立てた。
「そうですね。向こうから断ってくる可能性もありますしね」
「そういう言い方はだめよ、エルセ。あなた、せっかく可愛いんだから」
「ありがとうございます」
「お世辞じゃないわよ。本当よ?」
ぺこりとお辞儀をしたエルセに対して男爵夫人がむきになった。
「お母様、用事はこれだけ?」
早くギルフォードからの手紙を開封したくてフューレアは口をはさんだ。
「いいえ。違うわよ。フューレアを誘いに来たの」
「わたしを?」
「せっかくの社交シーズンなのにお屋敷に籠ってばかりじゃ不健全だわ。ロームの社交界に出たくないのなら、まずは違うところに顔を出してみるっていうのはどうかしらと思って」
「違うところ?」
にこにこ顔の男爵夫人に、フューレアは首をゆっくりと横に傾けた。
「そろそろ避暑のためにロームにも外国人が多く訪れるでしょう? 実は何人かの知り合いからロームに到着したっていう報せを貰っているの。あなたもたまにはカルーニャ語を使わないとせっかく覚えたのに話せなくなっちゃうでしょう」
「そうね、引き籠ってばかりじゃつまらないわよね」
フューレアが社交の場にも顔を出さずに引き籠っているのはギルフォードとの婚約が大々的に報じられて、逃げの態勢になっているからだ。新聞記者から言われた言葉が尾を引いている。世間から己の出自がどう思われるか気づかされて現在絶賛かくれんぼの最中なのだ。
とはいえ、いつまでもこのままではよくないことは分かっている。ギルフォードの隣に立つということは社交は必須だし、いつまでも逃げてばかりではいられないだろう。
(あれ? わたし、ギルフォードとのこと前向きに考えている?)
ギルフォードのことを考えると胸の奥がざわついてしまう。
そういうとき、フューレアはじっとしていられなくなって無性に暴れたくなる。たとえば寝台の上でごろごろ転がってみたくなったり、庭を無性にぐるぐると周回してみたくなったり。
「そうよ。これからもっと避暑にやってくるだろうし。うちでも何か催しを開こうと思うのよ。あなたも準備を手伝ってね」
大人になればこういうことも増えるのだろう。旅行中は呑気に過ごしていたけれど、気が付けばフューレアだってもうすぐ二十歳だ。男爵夫人を手伝うことには否はない。ここまで面倒を見てくれ、良くしてくれた養父母の手伝いをしたい。
結局逃げの態勢でいるばかりではいけないのだ。隠匿生活をするのならそれでもよいけれど、男爵家の娘として過ごしていくのなら世間との関わり合いからは逃れられない。
「ええお母様」
フューレアはしっかりと頷いた。
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