第18話 お兄様はオオカミさん2
「お茶のお代わりを持ってきました」
扉の向こうから聞こえてきたのはエルセの声だった。
(やっぱり持つべきものは友達だったわ! ありがとうエルセ!)
あからさまにホッとしたフューレアを間近で見たギルフォードは残念そうに嘆息した。
「邪魔が入ったね」
「……あなたね」
ギルフォードの正直すぎる言葉にフューレアはつい突っ込みを入れて、それから少し大きな声で「どうぞ」と返事をした。
フューレアは慌ててギルフォードの膝の上から降りた。
部屋に入ってきたエルセは新しいお茶を持ってきてくれた。薔薇の花びらの入った香りのよいお茶に心がホッとする。
エルセはお茶の替えを持ってきただけのようで用事が済むとさっさと部屋から出て行ってしまった。
「あ、あの! せっかくだからお外に行かない? 庭でも運河でもどこでもいいわ!」
フューレアはお茶のお代わりなどそっちのけで立ち上がり叫んだ。
とにかく、この部屋に二人きりはまずい。
人の目がないと大変なことになる。フューレアは必死だった。
ギルフォードは少しだけ寂しそうに眉を下げた。
「フュー、さっきは少し急ぎ過ぎた。ごめん」
「……」
「今のフューを見て、性急にことを運び過ぎたと反省している」
「……べつに、あなたのことがきらいなわけではないの」
ギルフォードの殊勝な態度にフューレアは軟化した。
男性としてギルフォードを意識して、それからの展開が早すぎた。あのとき、エルセが扉を叩かなければフューレアはギルフォードに口づけをされていたのだろうか。
唇と唇の口付けはとても特別なものだと聞いている。
旅の最中に訪れた隣国で観た舞台では、愛し合う恋人同士が最後結ばれるときに口付けを交わしていた。愛を誓い合い、その証として舞台の上の姫は王子に唇をささげた。
あれと同じことをギルフォードとしたら、それはどのような心地のものなのだろう。
ほんの少しだけ、その先を知りたいような気がした。
それと同じくらい、ためらう心もあって。
どちらの気持ちもフューレアの中で拮抗している。
「フュー、私はきみのお兄様ではいられないんだ。きみを女性として愛しているから。きみを欲しいと思うし、きみにも私を男としてみてほしい」
「あの……だって、その急なんだもの。わたし……」
フューレアはしどろもどろに答えた。今の自分の気持ちをどう表現していいのか分からない。拒絶をすることは簡単なのだろうけれど、ギルフォードはフューレアにとって大事な人だ。彼を傷つけたくはない。
なかなか二の句を継げないフューレアに、ギルフォードのほうが口を開く。
「そうだ。このあいだつけペンを贈ると言ったよね。今から文房具店に見に行こうか」
「いいの?」
「もちろん。新しい封蝋印も見る?」
「ええ。見たいわ」
先ほどまでの切なげな声から一転、いつものギルフォードの口調になってフューレアはホッとした。お出かけ先が文具店となり心を浮き立てる。
ホッとしたのもつかの間。立ち上がったギルフォードはごく自然にフューレアの手を繋いだ。
どきりとしたが、「このくらいは許して?」と言われてしまい、どうにか平静を装い頷いた。
手を繋ぐことくらい今までもあったのに、今日に限ってギルフォードはお互いの指と指を絡ませる繋ぎ方をした。これまでとの関係とは違うと示されているようでもある。
(でも……)
馬車に乗り込むときに手を離して。
フューレアはそっと自分の手のひらを眺めた。先ほどまでの温もりが懐かしい。
お兄様ではいられない、というギルフォードの言葉が頭の中に蘇る。
それは、これからの二人の関係性を暗示するもの。手のつなぎ方ひとつをとっても、幼なじみと恋人では違うのだ。
初めてのことに戸惑うのに、彼との距離感の変化を受け止めている自分がいるのも確かで。
馬車の中で隣に座ったギルフォードをそっと伺う。
「どうしたの?」
「ううん。なんでも」
目が合い、フューレアは慌てて正面を向いた。馬車が動き出す。
少しして、ギルフォードが「きみに触れてもいい?」と尋ねてきた。
「変なことは駄目よ」
「変なことってどういうこと?」
「……」
余裕な顔と声に唇を尖らせる。なんなんだ、この余裕。悔しい。
ギルフォードはフューレアの髪の毛を優しく撫でた。
さらさらとした髪の毛を、ギルフォードの指がもてあそぶ。彼はそれ以上のことはせずに、ただフューレアの髪の毛を撫でるだけ。何度も同じことをされると、こそばゆくなってくる。まるで、胸の奥を羽でくすぐられているような、不思議な感覚。
昔から知っているような安心感に身を包まれる。
会話が無くても、不思議と気にならない。思えばギルフォードはいつもフューレアに寄り添ってくれていた。
それに、こうして彼がフューレアに触れてくることが嫌ではなかった。
お兄様との距離ではないと思うのに、目的地に到着しなくてもいいかもしれないと思うくらい、フューレアはギルフォードに心を許していた。
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