第16話 フランカは優しいお姉様
フューレアはフランカの自宅へとやってきた。ナフテハール男爵家の屋敷からもほど近い場所だ。ロームの高級住宅街は西側に広がっているため、お金持ちは皆ご近所さんということにもなる。
屋敷の応接間にはフューレアだけが通された。エルセは付添人専用の小部屋で待機となった。
「あなたとこうしてゆっくり話すのは久しぶりね」
「そうね。お姉様」
帰国をしてから何度か会ってはいるが、男爵夫妻も一緒だったし二人きりということはなかった。真正面に座ったフランカは現在二十九歳で二次の母でもある。
フューレアが養女になったときにはすでに結婚をしていた。一緒に住んでこそいないが、フランカも何かにつけてフューレアを気遣ってくれた。まだロームに来たばかりの頃、一緒に運河巡りに誘ってくれたし、可愛い雑貨を扱う店に連れて行ってくれたりもした。妹が出来て嬉しいと愛情のこもった笑顔を向けてくれたことに安堵したのを覚えている。
「ギルフォード様も酷い男ねえ。普通求婚は二人きりの時にするものでしょうに。見世物じゃないのよ。まったく」
彼女は相手がギルフォードだろうが容赦がなかった。
「おかげであなたにお鉢が回ってきたじゃない」
大丈夫だった? と改めて問われたフューレアは「すぐにお姉様が助けに入ってくれたから」と答えた。まさに絶妙なタイミングで助かった。
「そう? あなたの日ごろの行いがいいのね、きっと」
フランカがクリームがたっぷりと乗ったコーヒーに口をつける。フューレアはカップの上にたっぷりと盛られたクリームを細長いスプーンを使って混ぜていく。なんとなく、手を動かしたかった。
「おめでとう、フューレア。あなたギルフォード様と仲良かったじゃない。収まるところに収まったって感じかしら」
にこりと口角を持ち上げるフランカからは祝福以外の感情は見受けられない。
一方のフューレアはなんて答えていいのか分からなくて口を引き結んだまま。手だけは動かしていてクリームがコーヒーに溶け始める。
「求婚されて浮かれ切っている乙女っていう顔でもないわね。嬉しくなかったの?」
フランカが意外そうに首をかしげた。
「びっくりして……。わたし、ギルフォードがわたしをそういう風に想っているなんて、まったく気が付かなかったの」
「あなた、ギルフォード様に心を許しているようだったからてっきり彼のことが好きなのだと思っていたわ。それなのによく二年間もロームを留守にしたなぁって」
「わたしは……正直に言うと……結婚をするつもりなかったの」
フューレアは力なくつぶやいた。
「んー……。実は、女性運動に傾倒しているとか? 結婚よりも進学をしたいー、とか?」
「それは……違うけど……」
フューレアはフランカの質問を否定した。女性運動とは女性の権利向上を訴えた活動家らによる運動だ。女性にも大学進学を認めろというのが主な主張内容で、女性ももっと社会に進出すべきだという論調を繰り広げている。運動は近隣諸国一帯で繰り広げられていて、フューレアも聞き及んでいた。
フューレアは自分の感情をどう伝えていいか迷う。結婚をするつもりがないという理由を語るには、己の出自を明かさなければならない。独身主義者だと言うと余計に詮索をされるのだ。旅行中に何度かやりあって辟易してしまった。
「わたしの本当のお兄様は、わたしが小さなころに亡くなってしまったの。まだわたしが三歳くらいの時。だから、あんまり覚えていないのだけれど……、お兄様がいたらこんな感じなのかなって。ギルフォードのことを重ねていたこともあったわ」
結局フューレアの口から出たのは、ギルフォードについてのことだった。
フューレアには兄姉がいた。両親の初めての子供は、母の腹から流れてしまった。兄は母が二回目に身籠った子供で、無事に生まれついたが体が弱かった。必死の世話の甲斐なく六歳の年に天へ召された。フューレアはその時まだ年端もいかない子供で、兄のことはあまり覚えていない。もしも、フューレアの兄が生きていたら。きっとギルフォードのように優しかったのではないか。そういう空想をしたことが何度かあった。
「あなたが本当の家族のことを話すのは初めてのことね」
「……そうね」
フューレアはコーヒーを一口だけ飲んだ。口の中に入ったのはクリームの方が多かった。
「わたしは……公爵家の嫁には相応しくないわ。だから……折を見て婚約を断ろうと思っている」
先ほどの新聞記者の台詞が頭の中に蘇る。あれがおそらく世間の本音なのだろう。ギルフォードはフューレアの本当の身分を知っているけれど、他の人たちは違う。きっと面白おかしく噂をするし、ギルフォードのことまで記事になるかもしれない。それは嫌だと思った。
「わたしは詳しくは分からないけれど、あなたが訳ありだっていうことくらいはなんとなく察しているわよ。リューベルン連邦のどこかの家のお嬢様だったんだろうって」
「え……?」
突然に爆弾を投げられて、フューレアは瞳をぱちぱちと瞬いた。
言った側のフランカはあっけらかんとしている。
「あなたね。自分の立ち居振る舞いがどれだけ洗練されているか自覚あるのかしら。あんなもの、修道院から貰われてきたそのへんの庶民が一長一短で身に付くものじゃないわよ。大人とも臆さずに話をするし、妙に落ち着いているし。少なくとも街の孤児って風情ではなかったわ。お父様もあれで顔が広いわけだし。突然にリューベルン人の子供を連れて帰ってきて、慈善活動の一環で養女をもらった、なんて言い出したから、ああそうですか、なんて頷いたけど」
「そ、れは……ええと……」
フューレアはその場で固まった。正直まったく自覚がなかった。それもそのはずだ。フューレアは幼いころから厳しく躾けられてきた生粋のお姫様なのだ。周りにいるのも王族ばかりでその振る舞いが洗練されているのは当然のこと。叔父は大公で、その叔父に可愛がられて育ったためとっても偉い人と話すことにも慣れている。
「本人が言いたくないことを無理に暴くことはしないけれど。今のあなたはわたしの妹なわけだし」
「あ……はい。ありがとう」
「べつにね。外野が騒ごうと、あなたがギルフォード様と結婚をしたかったらしたらいいじゃない。そいつら全員あなたの人生に関わってはこないでしょ。そんなモブ野郎たちに遠慮をして、自分の幸せを逃したら駄目よ。もっと幸せになることにどん欲になりなさい」
「う、うん」
モブ野郎って何だろう。フランカも時々スラングを使うので微妙に会話が理解できないことがある。
それでも、フューレアはどこかすっきりとした。彼女の歯に衣着せぬ言い方は聞いていてとてもすっきりとするからだ。その彼女がフューレアを応援してくれているのが嬉しい。
「で、あなたはギルフォード様をお兄様としか見られないの? だったら結婚できないっていうのも致し方なしってところだけど」
「う……うーん……正直、わからないの」
ギルフォードはこの国に来てからずっと側にいてくれた人。フューレアのことをいつも気に掛けてくれていて、無条件で味方をしてくれて甘やかしてくれて。だから彼の側にいると安心をする。旅の途中、何度も彼と同じ風景を見たいと考えた。夜、寝台の中でギルフォードを思い出すと無性に寂しくなって、そういうときは手紙をたくさん書きたくなった。彼と感動を共有したいと、書いても書いても物足りなくて。だから、本当は港までギルフォードが迎えに来てくれた時、とても嬉しかった。
これは一体どんな感情なのだろう。
過去の様々な出来事を頭の中で思い浮かべては顔を赤くしたりほのかに微笑んだりする妹をフランカはじっと観察をした。
「なるほどね」
「どうしたの?」
「ううん。まあ、ギルフォード様の頑張り次第ってところかな、と」
「頑張り?」
「フューは純粋で可愛いわね。わたしがあなたと同じ年の頃ってどうだったかしら。もっと擦れていたような気がしなくもないけれど」
「お姉様はいまでもとても優しいし、わたし、お姉様のこと大好きよ」
「そう? ありがとう」
「わたし……ずっと一人っ子だったから。ナフテハール男爵家に貰われてきて、兄姉がたくさんできて嬉しかったの。ちょっと年は離れているけれど、みんな優しくしてくれたから」
「んもう。可愛いわね。わたしだって妹が出来て嬉しかったのよ。可愛いドレスを選んであげられるし。一緒にお出かけできるし。また遊びに来なさい。愚痴でもなんでも聞いてあげるから」
「ん、ありがとう」
えへへと笑うとフランカも同じように笑み崩れた。姉妹の絆を再確認するような会話に二人で照れて。一人で異国の地へとやってきたけれど、新しい土地でフューレアを家族と呼んでくれる優しい人に出会えた。気恥ずかしさを紛らわせるようにその後も二人で会話に華を咲かせた。
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