第14話 ギルフォードの大切な女の子
森の奥で少女が泣いていた。
レーヴェン公爵家の古い城の奥に広がる森の中だ。手入れのされた森の、ひときわ大きな木の前で少女が座り込んでいた。
人前では泣くことを許されない少女は誰にも見つからない場所で、ひっそりと母の死を悼んでいた。
ギルフォードはしばし逡巡した。
彼女は誰にも涙を見られたくはないのかもしれない。
けれども、ギルフォードの足は無意識に彼女の方へと近づいていた。彼女を慰めたいと心の奥が望んでいた。
「フュー、探したよ」
ギルフォードの声に気が付いたフューレアが顔を上げた。
その瞳は赤く充血をしている。
「フュー」
ギルフォードは歩みを止めなかった。そのまま彼女の方へ進み、傍らにしゃがんだ。
白い頬にはいくつもの涙の筋ができていた。彼女は何も発しない。
「泣きたいときは、泣いてもいいんだ。一人で泣かないで」
ギルフォードはしばしの間悩んで、それからさらに悩んで、フューレアのさらさらとした銀色の髪の毛を撫でた。絹糸のように細くてしっとりとした銀色の髪の毛はまるで月の光のように美しく輝いていた。
フューレアは一度びくりと肩を震わせて、それからしくしくと涙を流し始めた。
フューレアの本当の父であるフィウレオの妻が過激派の犠牲になったという報せが飛び込んできたのは一週間ほど前のことだった。
リューベルン連邦の騒乱に巻き込まれ帰らぬ人となったのだ。ギルフォードの父であるレーヴェン公爵はフューレアを公爵領へ招いた。万が一のことを考え、レーヴェン公爵がフューレアを自領へ避難をさせたのだ。
「……きみの母上については、お悔やみを申し上げる。……辛かったね」
「この、あいだ……手紙が来たばかりだったのに」
十四歳の誕生日を迎えた先月、フューレアの元に故郷の母から手紙が届いたことは聞いていた。とても嬉しそうに笑っていて、その笑顔がとても愛らしくてギルフォードはずっと眺めていたいと思ったからだ。
「お母様……元気だって。……こっちは、変わりないって」
フューレアの言葉は最後は嗚咽へと変わってしまった。
ギルフォードはそっとフューレアを己の方へ引き寄せた。彼女の細い肩を抱き、そのまま己の胸の中へ彼女の顔を押し当てる。
それくらいしかしてやれることがなかった。彼女は人前では泣けない。実の母が亡くなったと報せを受けても、新聞でリューベルン連邦の情勢を読んでも、人前では感情を出すことが出来ない。フューレア・ナフテハールとは関係がないからだ。
「私の前では我慢しなくてもいいんだ。泣きたいなら泣いてもいいんだよ、フュー。私はきみの味方だから」
初めて彼女を守りたいと思った。これは、同情なのだろうか。フューレアの出自と事情は父から聞かされていた。一人で異国の地へ貰われてきたフューレアの力になるように、と父に言われた。
六歳離れたフューレアは最初ギルフォードにも当然のことながら警戒をしていて、なかなか感情を表に出してはくれなかった。ギルフォードも女の子の話し相手などしたこともなくて最初はとても戸惑ったが、たくさんの本を持って行ったり、海の冒険譚を聞かせるうちに徐々に心を開いてくれた。
本来の明るさを取り戻したフューレアを好ましく感じていた。姫君を守る騎士はこのような気持ちを抱くのだろうかと考えたこともあったが、そういう類のものではないと彼女を抱きしめながら直感をする。
一人きりで泣いているフューレアを見つけた時、心の中に溢れあがったのは彼女を一人で泣かせなくないという想いだった。
「フュー、一人で泣かないで。泣きたいときは私を呼んでほしい」
彼女の背中に回した両腕に力を籠める。
すとんと胸の中に落ちてきた想い。それは、この腕の中にいる一人の少女を守り慈しみたいというものだった。
「ありがとう……ギルフォード」
それからしばらくのあいだフューレアは涙を流し続けた。
ギルフォードはずっと彼女の背中を優しく撫で、ぽんぽんとあやすようにたたいた。
落ち着いたころ、フューレアが胸元からあるものを取り出した。
それは楕円形のメダイユだった。
「これ……お母様からもらったの。わたしが生まれた時に作らせたのですって」
いまはもう、これしかないの、と彼女は寂しそうにつぶやいた。国も名前も失くした彼女にとってそれは己と両親を繋ぐたった一つのもの。その大切な宝物を見せてくれたことが嬉しかった。
彼女が、ギルフォードに心を許してくれたのはあれが始まりだったのだと思う。
そしてギルフォードにとっても、あの日からフューレアは何よりも優先すべき愛おしい存在になった。
そのとき、ノックもせずに部屋の扉が開いた。
公爵家のギルフォード専用の書斎に無遠慮に入ってきたのは父であるレーヴェン公爵だった。彼は不機嫌を隠そうともせずに息子を睨みつけている。
「まったく、まさかおまえが公女殿下最大の虫になろうとは思いもよらなかった」
実の息子に対してあんまりな言い方だ。
二人きりのとき、公爵はフューレアのことを公女殿下と呼ぶ。
「フューレアのことは私が守りますのでお構いなく」
「おまえの焚き付けのせいで公女殿下に対してあることないこと書かれている」
それはギルフォードがボートレースの会場内に新聞記者を忍ばせていたことを揶揄しているらしい。ギルフォードの気持ちがフューレアのみにあることを確実に知れ渡らせるには新聞を使った方がよいと考えた。
レーヴェン公爵家の名前は年頃の娘を持つ親にとってはかぐわしい蜜も同じだ。押し寄せる縁談から逃げ回っていたギルフォードは、己の心がどこにあるのか手っ取り早く教えることにした。新聞の効果は絶大だった。
「彼女に対する世間の好奇心が大きかったのは計算外でした。そこは素直に謝りますよ」
新聞記者はフューレアのかりそめの経歴にいきおいよく飛びついた。
名門公爵家の嫡男に見初められた娘の経歴を事細かに掲載をしたのだ。まったく暇人な奴らだ。
「だいたい、おまえが公女殿下の夫だと? 不敬にもほどがあるだろう。殿下とおまえとじゃ釣り合わん。殿下はリューベルン連邦の王家の血を引く生粋の姫君だ。本来ならおまえに手の届く相手ではない」
リューベルン連邦を形成する国々は王族同士が政略結婚を繰り返している。フューレア自身ゲルニー公国の大公を祖父に持つ身だし、彼女の母も連邦内のさる王国の第四王女だった。きっと、養女に出されることがなければフューレアも今頃はどこかの王族に嫁いでいただろう。
「けれども私たちは巡り合いました。……父上は私たちの結婚に反対ですか?」
「……殿下のお気持ちが最優先だ」
ということはフューレアがギルフォードと一緒になりたいと意思表明をすれば賛成に回るらしい。
レーヴェン公爵はフューレアの非公式な亡命に深くかかわっている。レーヴェン家の歴史は古い。レーヴェン公爵も若い時分には見聞を深めるという名のもと近隣諸国を回っている。おそらくはその時にモルテゲルニー家とも繋がったのだとギルフォードは推察をしている。
「殿下もご成長あそばされた。リューベルン連邦の内政も常に変化をしている。最近、再びフィウレオ殿下に近づく輩が増えつつある」
「それは」
「失踪したフィウアレア殿下と名乗る女性が連邦内の貴族に庇護される事態が多々ある。金目当てのものと、利権目当てのもの。両方だな」
ゲルニー公国の大公位に繋がるフィウアレア。彼女を未だに諦めきれない勢力が存在する。どこかで適当に似たような年頃の女を見繕ってきて、フィウレオ・モルテゲルニーの前に引き合わせるという事象が続いている。親子である、と認められれば色々な利権を手にできるとの計算が働いている。単純に報奨金目当てという場合もあるのだが。
「本物であるはずがない」
なにしろフューレアの所在は父であるフィウレオ自身が把握をしている。しかし口にすることはできないため、彼は自称フィウアレアを前にしていつも首を横に振っている。
「だからこそ、皇帝も長年フィウアレアの存在を探し続けている」
大公位に絡む人間の所在をはっきりとさせておきたいのだろう。フィウアレアが生きているのか死んでいるのか。
「公女殿下には決断をしてもらわなければならないかもしれない」
レーヴェン公爵が重々しく口を開いた。
フューレアを取り巻く環境は変化をしている。ギルフォードは彼女が平穏に暮らせればそれでよい。ただのフューレアとして、己の側にいてほしい。
「彼女を政治利用させませんよ」
「それは私とて同じだ。モルテゲルニー夫人の忘れ形見でもある。自由に、生きてほしい」
公爵の中になにか特別な感情が乗った気がしたが、それは一瞬のことでギルフォードが追及する暇もなく彼は慌ただしく出て行ってしまった。
どんな事態になろうとも己はただ、彼女を守るだけだ。
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