第13話 ギルフォードの猛攻
せっかくの探偵小説にもちっとものめり込むことはできない。
本の項をめくってみたはいいものの、先ほどから一文字だって頭に入ってきやしない。
どのくらい時間が経ったのか、体が固まってしまったため立ち上がり首を回しがてら窓の近くへ歩いた。
フューレアが屋敷の正面玄関を見渡していると、一台の馬車が屋敷の敷地内へと入ってくるのが目に飛び込んできた。
本を読む気にもなれないため、そのままぼんやりと眺めていると中から降りてきたのはギルフォードだった。これはもう、本人に苦情の一つでも言ってやるしかない。フューレアは部屋を飛び出した。
「ギルフォード!」
フューレアは応接間の扉を勢いよく開けた。
淑女の作法だとかそういう話はちょっと隅に置いておく。
部屋の中にはナフテハール男爵夫妻とギルフォードの三人のみ。
「フューレア。あなたは部屋に入っていなさい」
男爵が後ろを振り向いた。
「そういうわけにはいかないわ。わたし、ギルフォードにガツンと言っておかないと」
フューレアはギルフォードを睨みつける。
「フュー、私からもきみに話がある」
「わたしの話の方が先よ」
ギルフォードが立ち上がりフューレアの近くまでやってくる。
絶対に話の主導権を握ってやるんだから、と憤然としている目の前でギルフォードが片膝を床につけた。
「フューレア、いや、フィウアレア、どうか私の妻になってほしい。生涯にわたってきみを愛すると誓う。きみの愛をどうか私に捧げてほしい」
騎士が姫に忠誠を誓うように、ギルフォードはフューレアの前で跪いて、彼女の片方の手をそっと持ち上げ口づけを落とした。まっすぐにこちらを射抜く彼の瞳にははっきりと熱が籠っていた。
「なっ、なんてことをしているの!」
フューレアは叫んだ。
「なにって、求婚だよ。フュー、私の妻になってほしい。私のすべての愛をきみに捧げる」
「だめ。ねえ、立ち上がって。お願い、ギルフォード」
フューレアはギルフォードの手のひらの上から己のそれを引っこ抜こうとした。しかし、寸前のところで拒まれ、ぎゅっと握られてしまう。
「きみが私の妻になってくれると頷くまで立ち上がらない。私に、きみの愛を与えてほしい」
「だって……わたし、誰とも結婚をするつもりないのよ。だって、わたしは……」
「ゲルニー公国の大公家の血を引いているから? きみはいつも言っていたね。結婚をするつもりはないと。きみが心配するのも分かる。けれど、私はどんなことからでもきみを守ると誓う。きみも、将来生まれてくるであろう私たちの子供も全部まとめて私が引き受ける」
「だめよ……。だって、だって……お母様だって殺されてしまったわ」
「私がきみの盾になる。きみを危険な目に遭わせない」
「あなたを危険な目に遭わせたくはないわ」
「きみの騎士になれるのなら本望だよ」
「わたしは男爵家の養女よ。公爵家の跡取りのあなたとじゃ身分が釣り合わない」
「きみの出自は私が一番に知っている。世間がどう思うかなんて、そんなもの知ったことではない。それとも、きみは私のような臣下とは一緒になれない?」
「あなたはわたしの臣下ではないわ。ただの……友人だと思う。とにかく、立ち上がって」
「その言葉も残酷だけれど。私はきみの友人に甘んじるつもりはないよ。きみの一番になりたい」
「だって……」
ではどう言えばいいのだろう。
「とにかく、立ち上がって」
「では私の求婚を受けてくれるね?」
「それとこれとは別問題よ」
「一緒だよ。きみは私の求婚を受けるしかないんだ」
「そんなことないわ。生涯独身で構わない」
「では私も生涯独身を貫くよ。きみ以外の女性と結婚などするつもりもないしね」
「あなたは結婚をしないと駄目よ。公爵家の未来がかかっているのよ」
「なら、フューが私の妻になって」
「ギルフォード!」
話がぐるぐると回っている。堪らなくなってフューレアは叫んだ。
社交デビューにいまいち気乗りしなくて十七歳の時に旅行に出かけたのに。
ちょうどナフテハール男爵が本格的に長男に事業を引き継いだタイミングで、大人への入口に立って、少し心を塞いでいたフューレアを見かねた男爵が提案をした。しばらくこの国を離れて、色々な国を観て回ろうか、と。
それはとても魅力的な提案でフューレアは一も二もなく賛成した。
旅行の最中はよかった。目にするもの全部が新鮮で、楽しいこともあったけれど嫌なこともそれなりにあった。けれども、全部が旅の思い出だった。本当の両親はきっと、フューレアにこういう経験をしてほしいと思ったのだと考えもした。
「……あなたが引かないというのなら、わたしはまたこの国を出る。たぶん、もうここには帰ってこない」
「フュー‼」
ギルフォードがついに立ち上がる。
そのまま勢いよくフューレアを抱きしめ、その腕の中に閉じ込める。
「絶対に駄目だ。どこにもいかないと言っただろう? また私の元から逃げるの? そんなこと、私は絶対に認めない」
「や。ちょっと……離して」
「いいや。離さない」
「だって、わたし……どうしていいのかわからないのよ」
「私の妻になればいいんだ。全部守るから。きみを傷つける者は全員私の敵だ」
耳元に切羽詰まった声が届いた。ぎゅっと抱きしめられた箇所から彼の想いが流れ込んでくるような気がした。
フューレアは初めて見せられた、彼の気持ちに戸惑った。
「フューレア、国を出るだなんて、そんなこと言わないで」
男爵夫人が口をはさんだ。
いつの間にかフューレアの近くにやってきていた彼女の悲しい声が背中に届いた。
「とにかく、フューレアもギルフォード様も一度落ち着いてください」
男爵の声は朝よりもさらに疲れ切っていた。
フューレアは居たたまれなくなって、ギルフォードに拘束を解くよう願い出た。
今度は彼も素直に従ってくれた。
フューレアはギルフォードの隣に腰を落とした。片方の手をぎゅっと握られている。逃がさないという彼の強い意思が伝わってきて、しかもそれを両親に見られているかと思うと胸の鼓動が早まる。
「フューレア、本当のご両親は、あなたに生涯逃げ切れとおっしゃったわけではないのだよ。あなたの幸せを願って、我々に託された」
静かだがはっきりと耳に届く重みのある声だった。
「あなた一人が血の重みを背負うことはない。そのために新しい戸籍を用意されたのだから。今のあなたはナフテハール男爵家の娘だ」
「でも」
「そうよ、きっとあなたの本当のお母様も、あなたの花嫁姿を楽しみにしているわ。わたしも、もちろんあなたには花嫁衣装を着て、好きな人の元へ嫁いでもらいたいと思っている」
「そういう言い方ってずるいわ」
亡くなった母のことを持ちだされたら何も言い返せなくなる。
フューレアは胸元に手を重ねた。そこには、フューレアの大切な宝物が閉まってある。
「フュー、私のことは男性として見れない? それとも他に誰かに心を寄せている?」
フューレアは隣に座るギルフォードを意識する。
「正直……まだ分からない。あなたのこと、お友達としか見ていなかったから」
「好きな人はいる?」
「それは……いないけれど」
「ならまずは私を男として見てほしい」
「……っ」
率直な言葉にフューレアの顔が熱くなった。
「求婚よりも、まずはそれが最初よね?」
「そうだね。けれども、まずは外堀を埋めたかったから」
ギルフォードが苦笑を漏らす。
「大体、公爵家とナフテハール男爵家とじゃ家格が釣り合わないと思うけど」
「そんなこと関係ないよ。男爵家はこの国の経済界の重鎮だしね。フューが考えるほど男爵の力は弱くはないんだよ」
昔から商売繁盛、国益重視のロルテームでは周辺国よりも商人の地位が高い。
実際ナフテハール男爵家は国でも有数の資産家であり、その発言力は強く重い。リューベルン連邦では王族や有力貴族の力が強いし、フューレアはそもそもロルテームに来てからもあまり人前に出ることはなかったため、この国特有の階級意識を知らない。
「ねえ、フューレア。まずはギルフォード様と婚約をしてみるというのはどうかしら?」
「お母様⁉」
フューレアは目をむいた。
「あなたの結婚相手については、実はわたしも頭を悩ませていたの。あなたのお母様から大切な娘を託されたのよ。だから、全てから逃げるためだけに何もかもを諦めるのはよしてちょうだい」
「べつにわたしはギルフォードのことなんて」
「それ以上は悲しくなるから言っては駄目だよ」
「う……」
咄嗟にギルフォードのことなんて何とも思っていないと言おうとしたら当の本人に唇を押さえられてしまった。唇に添えられたギルフォードの人差し指の感触に、心の奥がざわざわする。どうして、彼の一部と触れるたびに心の奥が揺れてしまうのだろう。
「あなたの結婚相手は……、きっとあなたのことを全て承知している方の方がよいと思うの」
「そんな消去法」
「フューは私のことを嫌悪するくらい嫌い? 男には見えない?」
「ギルフォード、話をまぜっかえさないで」
「大事なことだよ」
「嫌いだと言ったら諦めてくれるの?」
「いいや。結婚をしてくれるまで毎日結婚契約書持参で求婚しに来る」
とんでもない答えが返ってきてしまい、少しだけひいた。そこまでしつこいのはちょっとどうかと思う。
「まずは婚約だけでも構わない。私にきみの隣にいる権利を与えてほしいんだ」
ようやくギルフォードが譲歩案を出してくれた。
それが落としどころだろう、と両親も期待の眼差しをフューレアに送ってくる。
三人からの期待のこもった視線に、フューレアはついに白旗を上げた。
「わかったわ。……婚約だけなら」
結婚よりもましだと思った。婚約期間は長めにとってもらおうとも考えた。
「ありがとう。私のフュー」
囁くような声と共に、ギルフォードがフューレアのこめかみに口づけを落とした。昨日までとは打って変わった近しい距離に体から力が抜けそうになる。もしかしたら、自分は大変なことを口走ったのかもしれないと思ったのだが、すでに後の祭りだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます