第12話 フューレアの事情2
男爵が渡してくれたのはロルテームで発行をされている新聞の中でも比較的硬派なものだった。『ロルテーム日報』を受け取ったフューレアは紙面をめくっていく。
社交欄の項には大きくレーヴェン公爵家の嫡男であるギルフォード・レーヴェンがナフテハール男爵家の末娘であるフューレア・ナフテハールに求婚したという記事が掲載されていた。フューレアは騒ぎ立てる心臓を宥めつつ文字を目で追っていく。
記事には、ボートレースの見学席でギルフォードがフューレアに求婚をしたことと、これまで恋のうわさが全くなかったギルフォードの本命が男爵家の末娘であったことの驚きが合わせて掲載されていた。結婚は早ければ来春になるだろうという予測とともに、麗しの公爵家令息を射止めたフューレアの経歴が記されている。
「フューレア・ナフテハール。十九歳。輝く銀色の髪に紫色の瞳を持った男爵令嬢はナフテハール氏がリューベルン連邦の修道院から慈善事業の一環として引き取った養女である。十三歳の頃引き取られたフューレア嬢はかくしてロルテーム女性の羨望を一心に浴びることとなった……。ううう……やっぱり色々と書かれている!」
かりそめの経歴までばっちりと調べられている。
さすがは社会派の新聞だけあって記事は事実のみが淡々と書かれてある。多少記者の感想も混じってはいるが過度な私意は見られない。これはおそらく好意な部類だろう。ゴシップだともっと面白おかしく書かれているに違いない。
「はぁ……困ったわ。わたし、ギルフォードがわたしのことをそういう相手として見ていただなんてちっとも思わなかったのよ!」
まさに青天の霹靂だった。
ギルフォードがフューレアを妻に望んでいただなんて。そんなこと、これっぽっちも考えてみなかった。
「それは……」
一方の男爵夫妻は互いに目配せをしあった。
ギルフォードは分かりやすくフューレアを特別扱いしていた。
レーヴェン公爵家はフューレアの秘密裏の亡命の協力者だった。その縁もありギルフォードはフューレアの話し相手として公爵に抜擢をされた。最初は額面通りの関係だったが、ゆっくりとギルフォードの態度が変化をしていった。
フューレアに対して心を砕き、常に彼女を溺愛するギルフォードに感じるものがあった夫人は「あなた、鈍い子だから」と苦笑いだ。
「だって、ギルフォードがわたしに優しくしてくれるのは、単なる気遣いだと思っていたもの。わたしの事情を全部知っているからこそのことだと思っていたし。わたしもそれに甘えてしまっていたのだけれど」
ギルフォードはフューレアがフィウアレア・モルテゲルニーという名前だったことも、ゲルニー公国の大公家の一族に生まれたことも全部知っている。
だから彼の隣では呼吸をすることが楽だった。
この人はわたしの事情を全部知っているから。たまに故郷を思い出して郷愁の念に駆られても、ギルフォードは黙ってフューレアの側にいてくれた。
それは妹を慈しむような家族にも似た愛情かと思っていた。
フューレアは安心して彼に心を預けていた。
けれども、そうではなかった。
昨日の帰りの最中、馬車の中で再度言われた。ずっと、きみだけを見つめてきて愛しているのだと。一人の女性としてフューレアを見てきた。望んでいるのだと。
婉曲表現では伝わらないからはっきり言うよ、と告げられた愛の言葉の数々。そして、大きな虫とは要するにフューレアに懸想をするかもしれないどこぞの馬の骨だと明かされた。
「わたし、結婚はしないわ。モルテゲルニー家の血を残すことが怖い。公爵家の妻になったら、きっと外国人ともそれなりに顔を合わせると思う。とくにギルフォードは政治に携わっているわけだし」
「フューレア」
夫人が柳眉を下げた。
フューレアが結婚をしないというたびに男爵夫人は何かを言いたそうな顔をする。
好きにしなさいと言うけれど、夫人が内心フューレアに結婚をしてほしいことにはなんとなく気が付いている。
「結論を出すのは早計だよ。きみの出自を知る者は限られているし、幼いきみの顔を見たことのある人間は連邦内でも限られている」
男爵が柔らかな声を出す。
実際、フューレアの出自はナフテハール男爵家でも、養父母である彼らしか知らない。
「それにあなたの経歴はモルテゲルニー家とはまったくの無関係よ。確かにリューベルン連邦とロルテームは国交はあるけれど、あなたとモルテゲルニー家を結び付けるような邪推をするような人はいないと思うわ」
夫人も言葉を重ねるけれど、それでもフューレアの心は晴れない。
フィウアレアは今も消息不明のままだ。この先、自分はどう生きていけばいいのだろう。
旅行記を出版したいという目先の目標がとん挫している今、フューレアは長い人生についてときおり考えてみる。
フューレア・ナフテハールという別人になったけれど、フューレアの体にはモルテゲルニー家の血が流れている。この血を残すことが怖いと思う。ゲルニー公国が併合されると知った一部の人間はフューレアを手に入れようと画策をした。
公国の君主には様々な特権がついてくる。
それはリューベルン連邦の選定皇帝へと足掛かりにもなる。公国の終わりを当時の公太子が決め、継承権の上位にいた父もその決定に従った。連邦の主導権を巡って彼の地では争いが絶えない。少しでも民衆が平和に暮らせるようという公太子の決断は偉大だとフューレアは考えている。
しかし、その周囲が同じとは限らない。利権が絡む場合は特にそれが顕著だった。ゲルニー公国はその歴史に幕を閉じることが決まったが、横やりを入れる人間という存在はいつの時代にも存在をする。
フューレアもまた時代の渦に飲み込まれるところにいた。大公家の血を引く姫でもあるフューレアが子供を生めば、それが男の子ならゲルニー公国の継承権を主張できる。そう思った幾つかの勢力がフューレアを妻にと望んだ。
だからフューレアは結婚に対して消極的だ。
もしも、生まれた子供にまでこの問題が波及してしまったら。
「わたし、やっぱり修道院に入った方がいいのかしら」
「まあ、そんなことを言わないでちょうだい。信仰心からの言葉なら賛成しますけれど、違うのでしょう」
「あなた一人で抱え込むことではないよ」
「でも……」
「まだ混乱しているんだろう。そうだ、読書をしたらどうだろう。読みたいと言っていた探偵小説を全巻揃えたんだよ」
「ありがとう。お父様、お母様」
フューレアは力なく微笑んで立ち上がった。
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