第11話 フューレアの事情1

 フューレアと同じ髪の色をした女性が彼女をぎゅっと抱きしめた。


 本当の母はとても優しい人だった。政略結婚で結ばれた両親ではあったが、二人とも仲睦まじく、フューレアは優しい両親の元で庇護されて平和な箱庭の中で成長した。


 両親はフューレアが習ったばかりの楽器を演奏すると手を叩いて喜んでくれて、語学の授業で習ったばかりの単語の練習を見せると、すごいわねえ、と頭を撫でて褒めてくれた。


 二人ともフューレアと同じ銀色の髪の毛と紫色の瞳をしていて、けれどもそれはフューレアの生まれた国ではごく当たり前のことだった。リューベニア民族と呼ばれる、北方の雪の化身とも言われる民族にフューレアは生まれた。


 幼いフューレアの世界はとても狭くて、生まれ育ったお屋敷と時折訪れる宮殿の二つだけ。両親と叔父と父の従兄弟と、それから家庭教師と使用人たち。彼らがフューレアのすべてだった。


 だから、狭い箱庭の外で起こっていることは、どこかフューレアにとっては現実感のないことだった。


「フィウアレア、離れていてもいつもあなたのことを想っている。愛しているわ。可愛いフィウアレア。あなたは公国とも連邦とも関係なく、自由に生きなさい。あなたにはたくさんの可能性があるわ。広い世界で、わたしたちの分までたくさんのものを見て経験をして頂戴」


「私たちはフィウアレアのことを愛している。ずっと、遠くから見守っているよ」


「お父様、お母様……わたし……」


 離れたくない。ずっとずっと一緒がいい。戦争に巻き込まれても、暗殺されてもいいから二人と一緒にいたい。そう言いたかったけれど、その言葉がフューレアの口から漏れることはなかった。


 一つの公国が終わりを迎えようとしていた。


 両親は、フューレアが政治的な問題に巻き込まれないように彼女一人を外の国に逃がすことを決意したのだ。

 フューレアの父は、ゲルニー公国の最後の大公の甥だったから。


「ずっと、ずっと愛しているわ。わたくしの可愛い子」

「フィウアレア、愛している」


 両親はフューレアを長い間抱きしめてくれた。

 わたしも、二人のことが好き。大好き。ずっとずっと大好き。

 厳しく躾けられてきたフューレアではあったが、別れの日の前日だけは涙を流した。


 十三歳の頃のことだった。


 その日を境に、ゲルニー公国からフィウアレア・モルテゲルニーは姿を消した。

 そしてフィウアレアはフューレアと名前を変えて国境をいくつか跨いで西大陸の最果てのロルテーム王国のナフテハール男爵家に養女として迎え入れられた。


 気が付くと頬を一筋の涙が伝っていた。


「夢……か」


 懐かしい夢だった。


 フューレアは寝台の中で、しばらくの間微睡んだ。優しい両親が懐かしい。もちろんナフテハール男爵家の人々もとても優しいし、良くしてくれる。それは分かっているけれど、新しい両親はフューレアにどこか線を引いている。フューレアの出自を知っているからこそ出る遠慮でもあった。


 フューレアは起き上がり、窓辺へと近寄った。

 今日も良い天気だ。しかし、湖の方角に雲がある。午後にはこちらへ流れてくるかもしれない。


 フューレアが生まれたゲルニー公国はリューベルン連邦を形成する国の一つだった。連邦を形成するのは二つの商業自治都市と三つの公国、それから四つの王国。商業自治都市を除く七人の君主の中から連邦選定皇帝が選ばれ、リューベルン連邦をまとめている。同じ民族のくせにまとまりが悪く、しょっちゅう揉めている。


 現に二十年ほど前はリューベニア帝国だった。これが瓦解して連邦になったが、各王国、公国の間では日常的に主導権争いが勃発をしていた。各王族同士政略結婚を繰り返す割に、それぞれの仲が微妙によろしくない。


 それでも民族をまとめ上げるため、今の選定皇帝は尽力を尽くしている。強引さも目立つが、民衆からの支持は厚い。開放政策を掲げ、優秀な人材を積極的に登用しているからだ。


 今はただのフューレア・ナフテハールだけれど、もしも誰かがフューレアの出自に気が付いたら。


 それを考えると結婚をすることに消極的になった。


 事の発端は、ゲルニー公国の公太子の宣誓だった。前大公が亡くなった後、継承権一位を持つフューレアの本当の父の従兄弟はリューベルン連邦の選定皇帝でもあるアウスバーグ王国の国王と取引をした。


 連邦内の王族は大体どこも血が繋がっている。公太子は結婚はしていたが、妻と子を流行病で亡くしていた。己が大公位を継いでもいずれそのあとの大公の座を巡って争いが起きる。彼の父の姉はアウスバーグに嫁いでおり、選定皇帝とは従兄同士だった。フューレアの父もまた彼らとは従兄弟同士。


 リューベニア連邦を完全なる形で統一したい選定皇帝は公太子の取引に応じた。彼の申し出は選定皇帝にとって喉から手が出るほど欲しいものだったからだ。


 公太子は民のことを思って公国の歴史に終止符を打つことを決めた。

 アウスバーグへの平和的な併合だった。フューレアの父も、それに応じて己の継承権を放棄し、ゲルニー公国の歴史は幕を閉じた。


 フューレアは嘆息をして、侍女を呼んだ。

 部屋着に着替えて階下へ降りると、ナフテハール男爵が新聞を開いてうめき声をあげていた。理由はお察しの通りだ。


「おはよう、お父様」

「……ああ、フューレアか」


 その声にはいつもの覇気がない。


「やっぱり、記事になっている……わよね?」


 娘の問いかけに養父は頷いた。皺が深まった気がするのは気のせいだろうか。気苦労をかけてしまい申し訳がない。


「とにかく、朝食を摂りなさい」

「そうする」


 サロンは静かだった。今日はエルセは同席をしていない。男爵が席を外させたのだ。

 いつものメニューを平らげ、コーヒーを飲むとようやく頭が回り出した。


「えっと……まずい状況かしら?」


 フューレアは恐る恐る切り出した。昨日衆人環視の中でギルフォードから求婚された。あの場にいなくても噂は即座に人々の間を駆け巡ったに違いない。


「とりあえず、自分の目で確認しなさい」

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