第8話 ギルフォードは過保護気味2
向かった先はロームの中心から少し離れたホテルだった。運河沿いに建つホテルの地上階にはサロンが併設されている。まだ薔薇の時期には早いけれど、青々と芽吹いた植物たちの力強さが目に心地よい。
庭園の見える長椅子に二人並んで座る。目の前には甘いクリームがたっぷりと挟まったケーキが置かれている。フューレアは目を輝かせた。フォークを手に取り、一口大に切ったケーキを口の中へと運ぶ。
「んんん~。美味しいっ」
甘いものってすごい。さっきまで沈んでいた気持ちがふわりと浮かび上がる。単純だと言えばいい。美味しいケーキは偉大なのだ。
「喜んでくれてよかった」
ギルフォードがフューレアの顔を覗き込む。
「あなたってばわたしを喜ばせるツボを心得ているわね」
「きみのことならなんでも知っているつもりだよ」
「またそんなことを」
「ああ、ほら。クリームが付いている」
口の端についたクリームをギルフォードの指が拭い去る。彼はそれを口元へ持って行った。ぺろりとクリームを舐めたとき、ちらりと舌が見えてフューレアの顔が真っ赤になった。なんてことのない仕草のはずが妙に生々しく感じられた。
「も、もう。ギルフォードったら。お行儀が悪いわ」
それを言い出すと、いい年をしてクリームを口の端につけているフューレアも大概なのだが、ここは隣の幼なじみに責任転嫁をする。
「きみ自身もこのクリームみたいに甘いのかな」
「え……?」
まっすぐに空色の瞳で射抜かれて、フューレアの心臓がトクンと高鳴った。
何かを欲するような、切なげな彼の瞳が一心にこちらへ注がれている。こんな彼の顔を今まで知らなかった。
「わたしはお菓子じゃないもの。……甘くはないわ」
胸が異常にドキドキした。それを隠しながら、フューレアはいつもの軽い口調で返した。
「ギルフォードったら、どうしたの?」
「どうって?」
「なにか……、そうね……昔とは違う気がするの。変なキノコでも食べた?」
「そこでキノコを持ち出すフューは通常運転で、非常に可愛いけどね。あえて一言言うなら……私はもう、きみに対して容赦をしなくなったってことかな」
「わたし、あなたに何か嫌なことをしてしまった?」
「いや。そういう意味ではないよ。フューはいつも愛らしいし、私の大切な宝物だ」
「……ありがとう?」
宝物と言われるとこそばゆい。もしかしたらギルフォードはフューレアのことを妹のようだと思ってくれているのかもしれない。
「男爵夫人から聞いたよ。今年のボートレース、フューも見学に行くんだって?」
「ええ。一度は行っておこうかと思って。あまりかしこまった場所でもないのでしょう?」
ギルフォードがさらりと話題を変えた。先ほどまでの妙な気配が消え去り、二人の間には再び幼なじみ同士の気安い空気が漂い始める。
「そうだね。野外だし、昼間の開催だし。その代わり人出は多いけれど」
「せっかくロームに住んでいるのだから一度は見学してみたかったのよ。あなたは行ったことがある?」
「付き合いで去年行ったかな」
「今年も行くのなら、会場で会えるといいわね」
「そのことなんだけど、きみのエスコート役を私にさせてくれないか?」
「え?」
「それとも、もう誰かに決まってしまった?」
「いいえ。エスコート役なんていないわ。わたしの交友関係の狭さはあなたも知っているでしょう? 当日はエルセと両親と一緒に行くつもりよ。向こうでフランカお姉様と会うくらいかしら」
「じゃあ、決まり。当日は私の馬車で一緒に会場へ向かおう」
「で、でも」
「クライフ嬢たちとは向こうで合流すればいいよ。当日のドレスも私が手配をする。近日中に仕立て屋を男爵家の屋敷へ寄越すように手配をするから」
「そんな、悪いわ。おそらくドレスはフランカお姉様が手配をしてくれているはずだし。それに、レーヴェン公爵家の嫡男でもあるあなたと一緒に会場入りしたら絶対に注目されるわ。わたし、目立つのは嫌」
「私はまだ爵位を継いでいるわけではないからそこまで目立たないよ」
「そうかしら。あなたこんなにもカッコいいんだもの。絶対に女性たちが放っておかないはずよ」
「きみの目から見ても、私はカッコいいと思う?」
「ええ、まあ」
主観的に見てもギルフォードはとびきりに素敵だ。だからこそ困る。こんなにも素敵な紳士と一緒に歩いて社交の場に姿を見せれば絶対に注目されてしまう。それに、公爵家と男爵家とでは身分的に釣り合わない。
「そうか。フューから見ても、私はカッコいいんだ」
ギルフォードが嬉しそうに笑うから、もしかしたら世間一般では彼はそこまでイケメンではないのかもしれない。ちなみにイケメンという単語はエルセから習ったスラングだ。
「さっきも言ったけれど、私はそこまで目立たないよ。挨拶くらいはしたりされたりするだろうけど。舞踏会よりも格式ばっていないし、レースが終わればすぐに帰ればいいだけのことだ。私はきみの側に張り付いていて、きみに特大の虫が付くのを防がなければならない。そっちのほうが私にとっては何よりも重要」
「確かに春だし、虫も多少は飛んでいそうだけれど」
「そうだね。だからこそ私の出番なんだよ」
「小さい虫くらいならわたしは平気よ」
大きな蜘蛛は見た瞬間背筋が凍り付いてしまうけれど、ハエくらいなら平気だ。ぶんぶんと回りを飛び回られると、多少は目障りだろうけれど。
「小さな虫一匹だって、きみの側には寄せ付けないから」
「ギルフォードって虫が嫌いなのねえ」
「そうだね。可愛いフューにまとわりつく虫なんて、みんな滅びてしまえばいいと思っている」
それは多分に言いすぎだと思う。
「あなたってもしかして反虫の過激派?」
「じゃあそういうことで決定だね」
ギルフォードが笑みを深めた。
いつの間にかそういうことになってしまった。
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