第9話 求婚は突然に1

 ロルテーム海軍によるボート演習はハレ湖で行われる。ハレ湖の沿岸の一部は公園として整備をされていて、そこが会場になるのだ。会場は二つの区画に分かれている。入場料金が設定された区画と、だれでもできる区画、とだ。入場料の関係から前者は主に上流階級に属する者たちが出入りをする。


「晴れてよかったわね」

「風があるから、レースの行方は読めないかもしれないね」


 雲が多少あるが、青い空からは太陽の光がさんさんと降っている。時折風が吹きつけるが、寒いほどではない。ようやく春本番なのだ。


「それにしてもすごい人ね。あちらの、無料開放のほうがもっと賑やかそう」

「ロームの住民たちも楽しみにしているからね。屋台も出るし、レースよりも祭りを楽しみにしている人もいるんじゃないかな」


 公爵家の馬車から降り立ったフューレアはギルフォードのエスコートで公園内を歩いていく。


 この日のために新調したドレスは、若い娘らしく明るい赤色。少し紫色も混じった色だからフューレアの瞳によく合っている。首元までしっかりと詰まったドレスは外での観戦にぴったりだ。スカートの後ろにたっぷりとひだを寄せボリュームを出している。反対に前側はすっきりとした意匠で、首元から縦に設えられた金色のボタンが唯一の飾り。


 ちなみにこの金色のボタンはギルフォードの上着に付いているものと同じだ。ギルフォードは当初の宣言通り、仕立て屋をナフテハール家へ寄越した。

 金色のボタンもおそろいで、フューレアの帽子についている藍色のりぼんはギルフォードが身に付けているクラヴァッドと同じ色。


 極めつけに、迎えに来たギルフォードはフューレアの帽子に白い薔薇を刺してくれた。彼の胸元にも同じ薔薇が飾られていて、胸の奥がくすぐったくなってしまう。


「海軍は六つのチームに分かれているのだったかしら」

「そう。勝負は三回戦で、一番得点を勝ち取ったチームの優勝だね」


 ギルフォードは歩く道すがらレースのルールをざっくりと教えてくれた。フューレアも事前に予習をしてきたから復習にもなった。海に面しているロルテームは昔から海軍の人材育成に金と時間をかけている。国民に自国の海軍にもっと親しみを持ってもらうために始まったこのレースは今ではすっかり春の風物詩となっている。


 最近では大学のボート部がこれを真似てハレ湖でレースを開催するようになった。

 ギルフォードは隣を歩くフューレアに優しくルール説明をしてくれているが、彼女には他にも気になることがあった。


(やっぱり注目されているじゃないっ! ギルフォードの嘘つき)


 会場入りしたときから、妙に視線が突き刺さるのは絶対にフューレアの気のせいではない。隣を歩くギルフォードは涼しい顔をしているが、視線が痛いと思うのはフューレアが自意識過剰なだけだろうか。


 会場にはすでにそれなりの人々が集っていた。色とりどりのドレスが花のようにあちこちで咲き誇っている。屋外のため、舞踏会のドレスよりも肌の露出は少ないが、その分帽子の意匠に皆凝っていて、目にも楽しい。一応フューレアの頭の上にもドレスとおそろいの日よけの帽子が乗っている。


 人々は談笑をしながら、こっそりと新しく会場へとやってきた人の顔を確認していく。

 おそらくその視線を浴びていることに気が付いているはずなのに、ギルフォードは頓着せずにいつもと変わらない声色でフューレアに話しかける。


「遠眼鏡は持ってきた?」

「ええ。一応」


 だからフューレアも努めて自然に返した。

 レースが行われる湖面とはそれなりに距離がある。より楽しみたい場合、遠眼鏡は必須ともいえる。


「海軍の士官らがたくましいからって、あんまり見惚れたら駄目だよ」

「あら、素敵な人がいるかもしれないじゃない?」

「フュー」


 混ぜっかえすとギルフォードの声が少しだけ狼狽する。


「もう。冗談よ。わたし、恋には興味ないもの。それよりもエルセたちはどこかしら」

 せっかくだからエルセと一緒にレースを眺めたい。


「今日は一日、私と一緒にいてくれる約束だろう?」

「会場で合流すればいいって言ったのはあなたよ」


 従者から飲み物を受け取ったギルフォードがグラスの一つをフューレアに手渡してくれた。中身はすっきりとした果実水だ。こくりと喉を潤し、エルセを探すために顔をいろいろな方向へ向ける。

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