真似ばかりして生きてきた、私という自我について

昔から人の真似をするのが得意だった。

ーというより、優れたものを真似すれば誰にも咎められずに認められ、褒められることを知ってしまっていた。

自我が無い訳ではない。

こうしたい、こうなればいいな、という意思は確かにある。

でも多くのことを模倣して生きてきた所為で、自己表現が苦手になった。

自分で考えたつもりでも、思い返すとやはり所詮人の真似事で、協調的であっても個性が感じられなかった。

だから、自我を強く持っている人がとても羨ましかった。

もっと早く勇気を出して自己主張ができる人間になりたかった。

既に形成されてしまった自分そのものを、今更になって変えることは難しいだろうし、変えたところで一体、どれ程の環境が変わるのだろうか。

きっと人生でかなり大切な時期(今後の付き合いも考慮して)は高校時代だったのだから、今私という人間が変わってしまうと側にいてくれた友人などはどう思うのだろう。

大したことでは無いのかもしれない。

そこまで重視することではないのかもしれない。

ただ、やはり確かで無い選択をする勇気が無い。

間違えてしまうのが恐ろしく怖い。

平和主義。肩書きはそう格好良くするかもしれない。

あながち間違ってはいないけれど、本当はただ臆病なだけなのだ。

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作者の吐き出し場所 高橋優美 @yukumi

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