作者の吐き出し場所

高橋優美

『終わる』ものを『生かし続ける』

どんなものにも『終わり』がある。連載中の少年漫画も、今期から始まるドラマも、人生にも。

始まりと終わりが対義語であるのは、もう誰にも変えられないことなのだ。

ただ、不思議なことに(不幸なことに、とも言える)、人間は、終わってしまったものを心の中で生かし続ける事ができてしまう。これが本当に厄介なもので。

例えば、本を読み終えた時(小説や漫画、なんでも構わないが)。二次創作としてその登場人物たちをことができる。

例えば、大切な人が逝去した時。共に過ごした場所、使っていたもの、その人が放った言葉は、意図せずとも心に生き続けてしまう。これもまた、居なくなってしまった人をと言えるだろう。

生かし続ける中で、人は時折、それを(極端に言えば)悪用する。

言って欲しいことを好きに言わせて、して欲しいことをさせる(無論、頭の中でだが)。自分が精神的にひどく弱った時、さらにそれはエスカレートしたりする。

必ずしもこれが悪いことだとは思わないし、筆者自身、飼い慣らしたものに縋ることは多々あった。

が、重要なのは、それによって、思い通りにいかない現実が嫌になる可能性がある、ということだ。これもまた筆者自身、経験していることである。

精神的に参っている時ほど、触ったらすぐ崩れ落ちてしまいそうな自分を強く守ってくれるを求める。それは勿論、確かでなければならない。だから確実に、大事に、そうっと壁を作っていく、それも分厚い。

少し話が逸れてしまうが、人が誰かに相談をするとき、殆どの場合、相談する前から既に答えは決まっている。答えではなく、後押しが欲しいのだ。

その後押しの役目を、『生かし続けているもの』に任せるのだ。

ただ、誰かに相談するときと違って、否定される事がほぼない(例外はある)。こうなると苦と向き合わなくなってしまう。目を逸らすのだ、それも次第に、無意識的に。

『続き』を考える(『生かし続ける』こと)は、その人を豊かにするが、その人を滅ぼしもする。

この世の殆どは、捉え方次第で正にも負にもなる。面倒だけれど、そういう運命さだめなのだ。

『始まり』、そして『終わる』から儚く、美しく、愛しく、憎い。もしかしたら、その一作品を、一作品として本棚にそうっと置いておくのが良いのかもしれない。その一作品を終わらないものとして生かし続けるのは、とても危険なことなのかもしれない。

しかし、我々はそうせざるを得ない場合があるのだ。それもまた運命さだめなのだから、もうどうにもできないのだ。

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