神殿と外出許可
本当だったら自室に図書館の本を持ち帰りたかったけれど、それはアルによって止められてしまった。
「図書の持ち出しは原則的に禁止されています」
「それじゃあ……覚えておきたいことって、どうしているんですか……?」
「ノートにペンで書き留めておくんです」
「はあ……ここで象徴の力を使うとは言わないんですね」
「……それは、一度魔法学者に診てもらって、教わってから考えましょう」
アルにそう言い含められてしまって、こちらに反論の余地はない。仕方なく私は、紙とペンをもらって、それで書いてみることにした。羽根ペンにインク壺、ちょっと黄ばんだ紙の質にぎょっとしつつ、私はどう書いたものかと思う。
この世界の人たちからしてみれば、ゲームシナリオの概要なんて、未来予知もいいところだよね。だとしたら、読まれてしまうのはすごく困る。仕方なく、リナリアにインストールされていたこの国のフルール語ではなく、日本語で予定を書き出すことにした。
やらないとまずいことは、攻略対象の地雷撤去。本編時系列に突入して、万が一フラグが立ったとしても、誰かの地雷を踏み抜かなかったら、闇落ちやラスボス化は避けられるはず。
神殿にいる間に、アルとクレマチスの地雷撤去はできるかもしれないし、最後のひとりは本編に入らないとまず出てこないから、残りふたり。
アルが提案してくれた魔法学者っていうのは、私の予想が正しいんだったら、攻略対象のひとりだ。彼の地雷は一番わかりやすいし、まずはそれを撤去するのがいいだろう。もし彼の地雷撤去がうまくいけば、もうひとりの攻略対象にも会えるかもしれない。
ただ。ひとつ懸念しているのは、私がウィンターベリーに着くまでの間に、穢れの襲撃に合うんじゃないかってこと。
ゲームだったら、チュートリアル戦闘っていうものがあって、それで馴らしてRPG戦闘ができるようになるけれど。そもそも象徴の力が使えないから相談に乗ってもらいに行くのに、そんなところで都合よく力が使えるようになるなんて思えない。
クレマチスだって、いったいどれくらいで許可を降ろしてもらえるかはわからないって言っていたしね。代わりの巫女がいない以上は、このままリナリアである私が巫女をするしかないんだから。
本編より前のことなんて、私も本編でさりげなく書かれていることか、設定資料集に載っていることまでしか知らない。一応のタイムスケジュールは組んではみたものの、これで問題ないのかまでは自信がなかった。
アルは私の書いたものを怪訝な顔をして見ているのを申し訳なく思いつつ、ひとまず書いたタイムスケジュールを折り畳んで、ドレスの腰紐に挟んでおくことにした。ドレスだとポケットがないのが考え物だね。
図書館を出ると、日が傾きかけている。でもその空の色は、私の知っているものとちがい、思わず空をまじまじと見てしまった。
日が落ちると夕焼けは赤く、日が出ているときは青い空。そう思い込んでいたけれど、シンポリズムから見る空の色はちがう。
日が出ているときは薄いラベンダー色。日が傾くときは、その薄いラベンダー色が濃くなっていって、やがて夜になる。一番星は白いものだと思っていたのに、空に散らばっている色はルビーを散りばめたような色をしていた。
「綺麗……」
思わず声に出してしまって、内心「しまった」と思う。アルはリナリアの護衛のせいで、ちっとも彼女から離れないのに。おずおずと後ろを振り返ると、相変わらずポーカーフェイスのアルが、私をまじまじと見ていた。
妙な沈黙が気まずく、なにか話さないととおろおろと考える。
「あの……記憶があった頃の私って、どんな人だったんですか?」
「どんな、人とは?」
「なにが好きだったのか、とか……普段はなにをしていたのか、とか……アルは、私の護衛だったんです、よね……?」
最後の方はボロが出るんじゃないかと、どうしても語尻が弱まってしまう。私の問いかけに、アルはしばらく考え込むように口を閉ざすと、やがて淡々と語り出す。
「リナリア様はいつも遠くを見ていました。世界を憂い、未来を憂い、周りにいる人々が穢れで脅えてしまうのではないかと、常に心を配ってらっしゃいました」
「そうですか……」
彼女の重圧を思うと心苦しい。リナリアは、世界浄化の旅を終える際に、誰かが死ぬという事実を受け入れられずに、何度も何度も繰り返していた。もっとおざなりになってもおかしくないのに、それがなかったんだな。
でも……今は私がリナリアなんだよね。
「私にできるでしょうか……?」
荷が重いって、投げ出すことなんてできない。どんなにゲームを周回してたって、私だとリナリアのやっていることをそっくりそのままトレースなんてできない。私ができる限りって、そもそもどこまでできるのかだってわからないんだもの。
思わずぽろっと出た情けない言葉に、アルはどんな反応をするんだろうと思っていたけれど。彼はほんの少しだけ口元を綻ばせていた。
「……できます。記憶を失っても、あなたがあなたである限りは」
「……ありがとうございます」
この人は本当に。いい人なんだろうなあと、そう思う。
アルの地雷に直撃する人には、残念ながら本編の時系列にならない限り、会うことはできない。せめて、猶予期間の間に彼が少しでも地雷から遠ざかればいいのになと、そう思わずにはいられなかった。
****
神殿の奥にある食事は、大皿に盛りつけられ、それを皆ですくって食べるバイキング方式になっていた。それらは神官見習いやら巫女見習いが修業の一環としてつくるみたい。神殿騎士たちもまた、神殿内の警備や神官、巫女の護衛の任務の交替時間になったら食事の席につくみたい。
スープにサラダ、焼きたてのパン。あと鶏ハム。一部は信者さんが持って来てくれたお菓子や果物、お酒。それらは神官や巫女から順番に手をつけるみたいだけれど、さすがに私はそれらに手をつけることができず、お酒は神官の方々に、お菓子や果物は料理を運んできてくれた神官見習いや巫女見習いの子にあげた。途端に頭を下げられたけれど、アルがなにも言わないことからして、リナリアは普段からやっていたことらしいと判断し、安心する。
お祈りをしてからご飯をいただき、それらを見習いの子たちにお礼を言ってから、自室に戻ろうとしたときだった。
「リナリア様……!」
「……クレマチス、どうかなさいましたか?」
「申し訳ありませんっ、外出の件ですが……!」
どうもクレマチスは今日の料理当番ではなかったらしく、大量の紙束と一緒にこちらに走り寄ってきた。
この言い方からして、もしかして神官長からNG判定出たのかしらん。思わず緊張の面持ちでクレチマスを見ると、彼は年相応に明るい顔で、にこっと笑う。
「三日後ですが、その日でしたら外出許可が降りそうです!」
「ありがとうございます……でも三日後、なんですねえ」
「はい。神官長が国に許可を取って、それで了承されれば、晴れてリナリア様の外出が可能となります!」
や、役所仕事……。そもそもまだ神託の降りてない巫女だっていうのに、それひとりが外出するのに国が動くって……。申し訳なさすぎる思いでいっぱいになるものの、国が動いているのに「やっぱやめた」なんて言えるわけもないし、そもそも象徴の力が使えるようにならなかったら、世界浄化の旅になんて出られないんだってば。
思わず引き吊りそうになる頬を抑え込んで、私はできる限りの上品な笑い顔を浮かべてみせた。
「本当にありがとうございます。神官長様にも、お礼を言いに行かないと駄目ですね」
「はい、書類仕事が終わるのは一時間後になりますから、その後でしたら謁見も可能だと思います!」
おお、神官長。おお、神官長。ありがとう。ほんっとうにありがとう……。後でちゃんとお礼に行かないとと思いながら、アルの方を見る。アルもうっすらと笑みを浮かべていた。
「よかったですね、リナリア様」
「はい! これで象徴の力を覚えることができれば、皆さんのお役に立てますから」
「リナリア様、謙虚が過ぎますよ」
クレマチスは穏やかに笑うのに、私も釣られて笑ってしまっていた。
でも、本当によかった。これで象徴の力を覚える手段はできたし、なによりも。一番地雷を撤去しやすいスターチスに会う段取りはできた。
部屋に戻り、ネグリジェに着替えつつ、私は自分の書き出したスケジュールを眺めていた。
一番地雷を撤去しやすいって言われているスターチス。
これは、彼のルートと彼がラスボス化するエンディングを見ないとわからない話だけれど。攻略対象の内で、彼は唯一の結婚経験者だっていうのが由来している。
元々彼はウィンターベリーで夫婦ふたりで子供たちに勉強を教えつつ、シンポリズムの象徴の力のメカニズムを研究する学者だったんだけれど。本編開始一年前に、奥さんを穢れの襲撃亡くしてしまう。その復讐心で、この街に立ち寄った巫女姫一行の旅に同行するようになるんだけれど……奥さんを亡くしたばかりだっていうのに、リナリアに恋情を抱いたことで自身に嫌悪感を抱いて、彼が好感度二位だった場合は耐え切れなくなって闇落ちしてしまう。
彼がやもめだったということは物議をかもした一方で、二次創作を書く人たちの中ではリナリア以外のカップリングで唯一書かれることのあるカップリングがスターチス夫婦で、一部のコアファンを獲得しているのだ。
今だったら、スターチスの奥さんは亡くなっていないはずだし、間に合って穢れを撃退できたら、スターチスの地雷を撤去できるんだけれど……彼が世界浄化の旅に同行する理由がなくなってしまうんだよね。
正直。彼の象徴の力はすごく強いし、ゲーム中でも何度もお世話になったんだけれど。私としては奥さんが生きているんだったら、わざわざ死に別れるかもしれない旅に出るよりは、夫婦ふたりで仲良く暮らしていてほしい。
スターチスの奥さんが死ぬかもしれない事件に、間に合うといいんだけれど。私はスケジュールを枕元に丸めて突っ込みつつ、目を閉じた。
今日は一日、脳の皺を使い過ぎて疲れてしまった。乙女ゲームがすごく好きだからって、変な適応能力を発揮しなくてもいいのにね。目を閉じたら、もう本当に簡単に意識はなくなってしまった。
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