神殿騎士と巫女姫の一日・前篇
目が覚めたら、私はいつものベッドで眠っていた。枕元にはゲーム機。電源点けっぱなしにしていたせいで、既にスリープモードになって画面が消えてしまっている。私はそれをセーブし直してから、電源を落とす。
昨日見たあの夢は、妙に生々しかった。
乙女ゲームのヒロインに成り代わって、ゲームの登場人物の死ぬ運命を覆すだなんて。しかもそれをヒロインであるリナリア本人から頼まれるなんて。
「……うん、そんなのゲームのし過ぎだよね」
お母さんに怒られるなあ、ゲームし過ぎで夢でまでゲームのことばっかり考えるなんて。
私はパジャマのままご飯を食べにリビングまで出たとき、窓から見える空の色を見て「あれ」と思う。
「……ラベンダー色の空」
いつも見慣れた青い空じゃない。
シンポリズムで一番印象に残った、あのラベンダー色の空が広がっていたのだ。私は思わずカーテンを全開にして、ペタンと窓に手を付ける。
ちょっと待って、ここは現実であって、ゲームの中じゃ、ましてやシンポリズムじゃなかったはず……。私は唖然と空の色を眺めていると、白いなにかが窓の外で揺れていることに気付いた。
レースのカーテン……とも思ったけれど、ちがう。それはリナリアのいつもまとっているドレスの巫女装束だった。リナリアが私の家の窓縁に座って、空の色を眺めていたのだ。
「ちょっと……リナリア?」
「夢だと思いましたか? 残念ですが、夢ではありません」
「ちょっと待って。あなたがいるってことは……ここって」
「これはあなたの夢に私の力を流し込んで具現化したもの。観測者のあなたの記憶とほとんど変わらないはずです」
こんなほとんど私の記憶と変わらないものをつくれるって、いったいどれだけ力が強いんだろう、【幻想の具現化】って。
でも……そもそも私は象徴の力を使えないんだけど。私はおずおずとリナリアに言う。
「あの……私がシンポリズムにいて、リナリアの代理を務めているのって、どうしてですか? そもそも、リナリアじゃ駄目で、私ならいいっていうのはどういう意味? 私は象徴の力だって使えないし、ゲーム……ええっと、とにかくあなたたちのことはそれなりに知っているとは思うけど、全部知ってるわけではないと思うんですれど」
「力はどうとでもなります。あなたには時間がありますから」
「時間があるって……リナリアは、どうなんですか」
リナリアは私と目を合わせると、にこりと笑う。
「……大丈夫です。あなたでしたら、絶対に大丈夫」
そのまま彼女が窓の縁に立つのに、私はぎょっとする。うちの社宅は大した高さはないけれど、落ちたら骨折くらいはする。それでもリナリアはドレスの裾をはためかせて、パステルピンクの髪を揺らめかせる。
ポン、と軽く飛び降りた。私は慌てて彼女の手を掴もうとするけれど、その手は空を切るだけだった。
「ちょっと待って……全然私の質問に答えてない……!!」
そんな世界と人の命のかかっていることを、どうして私に任せるの。どうして巫女であるリナリアじゃ駄目なの。そもそも、あなたはいったい、私に自分のなにもかもを任せて、今はいったいどこにいるの……!?
リナリアのパステルピンクの髪は、地面に落ちたはずなのに、気付いたら見えなくなってしまっていた。
****
目が覚めたら、見慣れない天井に、ベッド。部屋全体が真っ白なのを見て、リナリアの部屋だと思い知らされ、がっくりとする。
現実にいるのが夢で、ゲーム世界にいるのが現実って、どういうことなの……。それにしても。
思わず起きてしまったのはいいとしても、今って何時なんだろう。シンポリズムだったら、そもそも時計の概念があるのかどうかも怪しいけれど、外を眺めてみても朝日がうっすらと出て、夜が洗われるかのように、真っ暗だった空がラベンダー色に輝いていくのが見える。今って早朝だよねえとはわかるんだ。
どうしよう、二度寝する? でも二度寝なんてしたらこう、お祈りとか奉仕活動とかするのに支障がないのかな? 私はそう思いながら、リナリアの巫女装束に手を伸ばす。
真っ白なドレスはふわふわとしていて乙女チック。普段の私だったら「絶対似合わない!」と手を出さないだろうけれど、乙女ゲームのヒロインだったら似合ってしまうのだ。
私は鏡で何度も何度も確認していたところで「リナリア様?」と部屋の外から声をかけられる。
「は、はい……!」
アルの声だ。私はビクッと肩を跳ねさせながら返事をすると、アルは淡々とした口調でドア越しに尋ねてきた。
「おはようございます。そろそろ神託の時間なのですが……わかりますか?」
「ええ、ええっと……」
それに私はとまどう。
だって、ゲーム中で神託を受けて旅立つまでに、まだ時間があるはずなのに。今日もう神託を受けに行くの? 私がそう思ってまごついていると、アルは私の記憶喪失設定を思い出したのか、すぐに「申し訳ありません、説明不足でした」と謝ってくれる。
「巫女は毎朝、聖堂まで神託を受けに行きます。毎朝の日課なのです」
「あのう、本当に神託で神様のお声を授かることはあるんでしょうか……?」
私がおずおずとアルに尋ねると、アルはそれに対しても淡々と答えてくれる。
「巫女が神託で神の声を聞くのは余程世界が混沌としたときだと伺っています。今はリナリア様が神の声を耳にしてはいない以上、まだそのときではないのでしょう」
「ああ、なるほど……」
つまり、リナリアが神託を受けて、世界浄化の旅が決行されたときっていうのは、もうにっちもさっちもいかなくなったときだったっていうわけね。私はそう納得してから、部屋のドアを開けた。
早朝だっていうのに、既にアルは白い甲冑に青いマントをはためかせた神殿騎士の格好をしていた。騎士って本当に早起きなのねと感心しつつ、私は連れて行かれる。
連れて行かれたのは神殿内の最奥に当たる聖堂。そこで私はとまどって立ち尽くしていると、アルはそっと耳打ちしてくれた。
「膝をついて、手を組んでください。それで目を閉じ、耳を傾けたら神託は終了です。……本当に余程のことがない限りは神の声は耳には入らないはずですので」
「わ、かりました」
聖堂の中には白いつるりとした石の棺があり、その上には百合が敷き詰められている。多分これらは庭の百合を巫女見習いや神官見習いが摘んできて敷き詰めたのだろう。むわりと漂う百合の匂いを嗅ぎながら、私はアルに言われたとおりに、手を組んで祈りを捧げるポーズを取った。
今だったら、まだ巫女には神託は聞こえないはずだ。私はそう思いながら、耳をじっと傾けるものの、ときどき外から柔らかな日差しが落ちてくるのを感じ、寝起きの身体が温められるのを感じるばかりだ。やっぱり今日は神託は降りない日だったらしい。
最後に私はぺこりと棺に頭を下げてから、アルと一緒に棺から離れる。
ここで食事かなと思ったものの、それは甘かった。
巫女見習いや神官見習いが巫女の神託のあとに入ってきて、最後に神官たちが並ぶ。聖堂の端々には神殿騎士たちが連なり、皆で手を組んで瞑想をはじめるのだ。私も思わずそれにならいつつ、周りをちらちらと見る。神殿騎士たちは背中に背負っている大きな剣を掲げて祈りを捧げている姿はヒロイックだし、見習いの子たちが一心不乱に祈りを捧げている姿は神々しい。そして年老いた神官たちが祈りを捧げる姿は重々しく、私は本当に場違いなのでは、とついつい思ってしまった。
そのあとにようやく朝ご飯だ。今日も見習いの子たちがつくってくれたパンやサラダに、信者さんたちからのお菓子を食べていたところで、「リナリア様、おはようございます」と甲高い声をかけられる。
クレマチスからふんわりと小麦の匂いがするのに、私は「あ」と言う。
「もしかして、今日の当番はあなたでしたか? 匂いがしますが」
「ああ、そうです。今日はぼくたちの班が食事当番だったんですが……その、味は問題ありませんでしたか?」
私は千切っていたパンを口に放り込んで咀嚼する。パンはさっくりとしていて香ばしくておいしい。一緒に出されたサラダは、今日はフルーツサラダらしくて、薄切りにされた果物……それにしてもこの果物、現実世界にはないと思うけどなんだろう。マンゴーみたいな味がする……とドレッシングが絡んでこくがあるのに後味はさっぱりしている。はっきり言って、どれもこれもモーニングで出せばお金が取れるレベルだ。
「おいしいです。すごいですね、こんなにおいしいものを朝からいただけるなんて」
「い、いえ! つくったのはぼくだけではありませんし! でもよかったです、リナリア様のお口に合いまして。その……すみません。神官長も国に嘆願書を出しましたが、まだ外出許可は降りないみたいで」
「それは、仕方がありませんよね。まだ一日も経ってはいませんし」
地図や本に目を通した限り、王都まで時間がかかるみたいだし、三日でどうこうできるんだったら、まだ早い方なんじゃないのかな。神官長の象徴の力は知らないけれど、それを使っても審査に時間がかかるんだったらしょうがないし。
そう私がのんびりと言ってみると、クレマチスはしょんぼりと肩を落とした。
「申し訳ありません……」
「ああ、そこで謝らないでください。ほら、クレマチスだって食事がまだなんでしょう? 修業がはじまってしまったら、ゆっくりすることだってできませんし。食事の時間くらいは肩の力を抜いてくださいな」
「……ありがとうございます」
途端にハニーフェイスが綻ぶ。
本当、ただでさえシンポリズムの人たちって顔面偏差値が高いっていうのに、攻略対象の顔面偏差値の高さと来たら、まぶしさで直視できないレベルだ。
私は不自然にならない程度に視線を逸らしつつ、「大皿のものはまだ残ってますから、食べましょう」と小皿を差し出した。
私とクレマチスが食事しているのを、アルはなんとも言えない顔で見ていた。
できる限りリナリアのセリフを真似したつもりだったけれど、まだ不自然な部分があったのかなあ……。アルの視線もできる限り見て見ぬふりをしつつ、どうにか食事の時間をやり過ごしたのだ。
****
食後はなにをするんだろうと思っていたら、神官と一緒に礼拝堂の掃除だ。
まだ見習いの子たちは掃除箇所の多い神殿内部のほうの掃除らしい。この辺りでアルは交替でどこかに行ってしまったので、私は交替でやってきた騎士の人に声をかけてみる。
「あの……アルがどこかに行きましたが、どうなさったんでしょう?」
「ああ、護衛騎士になりましたら、食事も交替ですし、鍛錬の時間も交替になるんです」
「まあ……」
そういえば、昨日も今日も、アルは一度も私の前で食事を摂ってないんだよね。神殿騎士っていうのも、大変なんだな……。一緒に食べられたらいいんだろうけど、それも駄目なのかな。
どうにも神官や巫女と神殿騎士は一緒に神殿にいる割には、指示系統が違うような気がする。
私は渡されたモップで床を磨きつつ、手伝ってくれている騎士さんと一緒にワックスがけを済ませる。何年にも渡って磨き抜かれているんだろう床は、鏡のようにピカピカで、天井に描かれている絵やステンドグラスが床にも映って見える。
掃除が終わったあとは、礼拝堂は一般開放されて、信者さんたちがたびたびやってくるようになる。
巫女はなにかやらないと駄目なのかなと思っておろおろしていたけれど、ここはちょうど信者さんたちの憩いの場みたいで、悩んでいる人たちこそ別室で神官たちが話を聞いていたものの、ほとんどの人たちはその辺にいる信者同士で世間話をしているようだった。
あれかな、ほとんどの人たちは神社やお寺に観光に来たりお参りに来たりしているのであって、深刻な悩みを相談に来るのはよっぽどの場合っていうのに似ているかもしれない。
私も端っこで座っていたものの、やることがないなと思い、ふと騎士さんに話をしてみる。
「あの……神殿騎士の鍛錬の場は行ってはいけないってアルから聞いたんですけど……こっそり覗くっていうのは駄目でしょうか」
「な……」
途端に騎士さんは口を開ける。そんなまずいものなの?
私がキョトンとしていたら、騎士さんは気まずそうにごにょごにょと言う。
「……あー、あそこは本当にリナリア様が行っても、面白い場所ではないと思いますよ?」
「ですけど、アルは普段ずっと私の護衛をしてますのに、私だけ彼を知らないのはずるいです」
「……ああ……本当に、アルには内緒ですよ」
騎士さんは本当に渋々といった様子で、私を神殿騎士の区画に連れて行ってくれた。
神殿の庭をとおって、神殿騎士の区画に入る。入った途端、急に剣戟の音が耳に入ったのに、思わず目を見開く。今まで音なんてしなかったのに。私は区画の境目に思わず視線をやると、騎士さんは苦笑気味に教えてくれた。
「神殿のほうにまで鍛錬の音が響いたら、巫女見習いや信者が怖がりますからね、この辺りには騎士団長により、象徴の力が敷かれています」
「なるほど……防音結界になるんですね」
そう納得してから、私は一緒に鍛錬場まで向かう。人目の寄りつかない道をとおったために、幸い誰にも見とがめられることがなかったのにほっとする。鍛錬場を覗ける窓からひょいと覗いてみて、息を止める。
甲冑を付けたまま、背中に背負っている大剣と同じくらいの大きさの棒で大きく素振りをしている。ときおり打ち合っている人たちが見られる。たしかにこれだったら斬られる心配はないものの、これで殴られたら普通に怪我だけじゃ済まないっていうのくらいは見てればわかる。
それに汗のにおいがすごい。窓も扉も全開にして鍛錬は行われているけれど、それでも鍛錬の熱気や気迫でどうしても空気が篭もる。私はそのにおいを嗅ぎつつ、アルを探した。
アルは涼しげな顔のままだけれど、前髪をぺったりと貼りつかせてまだ体の出来上がってないような子たちに……クレマチスよりも若い子たちだろう、体が騎士の人たちと比べたらマッチ棒みたいに細いんだもの……稽古をつけていた。
「たあ……!」
「甘い! もうちょっと大きく踏み込め! 次!」
「やあぁぁぁぁ……!」
「剣は盾であり武器だ、最初から振り回せとは言わない。だが最初から盾として使うな! 次!」
普段は寡黙というイメージが付きまとうし、乙女ゲームでプレイしていてもシャイな一面ばかり知っていたから、男同士であんなに気迫に満ちた声で鍛錬をしているとは思わなくって、私は唖然とする。
騎士さんは穏やかに言う。
「アルは今は新人たちの教育係もしていますから」
「でも……アルはまだ十代では」
「十代で護衛騎士まで登りつめる奴はそんなにいませんよ」
やんわりと言われて、気が付く。
一応リナリアは替えの利かない立場だから、それの護衛騎士にまでなるとなったら、大変なんだ。
アルって、本当にリナリアが大切なんだなあ……。
少しだけ寂しいなと思いつつも、首を振る。私はリナリアからいろいろ預かっている身で、乙女ゲームとは一旦考えを切り離さないと。私は騎士さんにお礼を言いつつ、元来た道を帰っていった。
窓の向こうから、アルがじっとこちらを見ていたことに、気付きもしないで。
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