穢れと象徴の力



 嘆願書の映像は、おそらくはリナリアの本来持っている象徴の力【幻想の具現化】に近い能力で見せているものなんだろう。その映像に映っている村は、悲惨な状態になっている。

 村の畑にはなにも実っていない。本当だったらそこには作物が育っているだろうに、土がほとんどひび割れた砂みたいになってしまっていて、水を撒いても撒いても、砂と同じように吸収するばかりで、土に染み渡ってくれないのだ。

でも……この世界には象徴の力があるはずだ。この世界の象徴の力って呼ばれている力は、私の世界でいうところの花言葉で説明できる。たしか花言葉の本にも【実り】【豊かさ】みたいな言葉のついた花が存在していたはずだし、農家の人たちだって、その力を使ったら、そんな悲惨なことにならないはずなのに……。

 私が嘆願書の映像を凝視しているのを見て、クレマチスはそっと嘆願書の映像を消した。

「穢れが原因で、世界に異変が出ています。最初は小さいもので気にも止めないほどの影響しかありませんでしたが、その影響はどんどん大きくなり、今は土が割れ、海が荒れ、人の営みを行うのにも支障が出ています。ですから、穢れを鎮めるために、巫女が闇の祭殿に向かわなければいけないんです」

「あの……事情はわかったんですけど……その、質問いいですか?」

「ぼくで答えられることでしたら」

 クレマチスがおっとりと噛み砕いて教えてくれるから、私でもどうにか理解ができる。ゲームだとほとんど流し読みしてしまっている部分も、直接聞くことができるのはありがたい限りだ。

 私はおずおずと口を開いた。

「象徴の力がどうのっておっしゃっていましたが……それで対処できなかったんでしょうか? 今までは、使えたんですよね?」

 設定資料集によれば、農家の人には代々農家に使える象徴の力を行使していたし、漁師さんには漁師さん向けの象徴の力を持っている。なのに今は世界が滅びる危機になってどうしようもないことになっているっていうのが、私には不思議で仕方がなかった。

 クレマチスは一瞬おろおろとアルの方に視線を送ったものの、アルの方も私の疑問に答えられる術はないらしい。……まあ、アルは元々騎士だし、体を動かすのは得意でも言葉で説明するのは苦手なはずだ。

 彼は困り果てたように眉を潜めたあと、「そうですねえ」と言いながら、聖書の一ページを広げて、そこでカリカリとなにかを書きはじめた。

 それの文字を追っていて、私は「あ」と気付く。

 リナリアは私にどう細工をしたのかはわからないけれど、ゲーム中にはオブジェや模様くらいにしか思っていなかった文字が、何故か読めるのだ。これだったら、ここでの生活もなんとかなりそうだ。

 私がひとりでほっとしている間に、クレマチスはなにかを書き終えた。

 書かれていたのは、【流水】【濾過】【放水】という短い言葉。

「あの、これは?」

「わかりやすく言ってしまえば、穢れというのは、下水処理の不具合です。まずは下水は下水道をとおり、処理システムを通過します」

「まあ、そうですよね……」

「下水は汚染されていますから、それを一度濾過システムをとおして水を浄化してからでなければ、川に戻すことはできません。そのまま戻してしまったら、川に住まう生き物が死んでしまいますからね。でも、ずっとこれを繰り返していたら、どうなるかわかりますか?」

「ええっと……」

 社会の課外授業で下水道処理場を見学したことはあったと思うけど、濾過システムの不調なんて考えたこともなかったな。

 私がうんうんと考えて思い付いたのは、掃除機だ。あれも定期的にフィルターを掃除しなかったら吸引はできなくなるし、そもそも掃除ができなくなってしまう。

「……濾過システムが詰まったら、下水が逆流してしまう……?」

「はい、それです」

 クレマチスはにこりと笑う。向こうでアルは律儀に耳を傾けてはいるものの、こちらに口を挟むことはない。クレマチスは笑いながら言葉を続ける。

「残念ですが、象徴の力は万能ではありません。世の中、いい象徴の力だけではありませんから。この世界をつくった神は、言葉が汚染された場合、それを闇の祭壇で濾過して無害化するシステムをつくりましたが、長年言葉が汚染された場合、その祭壇に蓄えられた悪い言葉が溢れてきてしまいます。それが、穢れです」

「なるほど……」

 シンポリズムは言葉がすべての世界だ。

 言霊を具現化して力として行使する力が、象徴の力だっていうのと同じように、悪い言霊にだって力は存在する。それが穢れって理解なんだな。

 残念だけれど、花言葉にだって悪い言葉を持つものだって存在する。つまりは、そういうことなんだろう。

 でも。それだったら巫女以外だったら穢れを鎮める方法はないんだろうか?

「巫女以外では、どうにもならないんですか?」

「そうですね……ぼくも残念ながらよくはわからないんですが、聖書にも、代々の世界浄化の旅の概要は載っていますが、巫女以外で成功例がないみたいです」

「そうなんですね……」

 うーん、さすがにこの辺りは設定が存在していないのかな。でもお祭りにだって昔は理由もなく女人禁止のものだってあったし、そういうものなのかな?

 でも、一応世界のルールや情報はクレマチスのおかげでだいたい把握できたけれど、一番肝心な部分がわからないままだ。

「でも……私はどうやって象徴の力を使えばいいんでしょうか?」

「はい、それなんですが」

「使えないというのは、本来はありえないことです」

 と、今まで黙っていたアルが口を挟んできた。私は目をパチパチとさせる。

「そう……なんですか?」

「たとえば歩く、座る、しゃべる……普通に生活していれば問題がない限りは覚えることです。象徴の力も生まれついてひとりひとり違いますから、本来は自分でコントロールを覚えるものです」

「そんなあ……」

 それに私は頭を抱えそうになる。

 リナリアの持っている象徴の力である【幻想の具現化】。

 彼女が頭に浮かべたものを瞬時に映像として皆で見えるようにするものだけでなく、戦闘においては付与魔法として使える。

 たとえば騎士のアルの使う剣に炎属性の付与を行うことで炎剣に変えることができるし、結界を誰かが張った場合は、それに光属性を付与することで、死霊系の穢れを寄せ付けない強い結界に変えることができる。

 リナリア自身は戦闘能力はなくっても、周りに戦闘能力を付加させる強いものなのだ。

 これが使えるのと使えないのだったら、戦闘の難易度が全然違ってくるし、なによりも……。

 足手まといが、世界浄化の旅に出てもなんの意味もないと思うんだよね。一年猶予があるとは言っても、逆に言ってしまえば一年以内に象徴の力の使い方を覚えないといけないんだから。

 私が喉の奥で「ふぐぐぐぐぐ……」と唸る。間違ってもリナリアっぽくないから、本当に口にはしていない。私が唸っていると、アルは溜息をひとつついた。

「どうして記憶喪失になったのかはわからないが……あまりに不安ならば外に出ることも考えたほうがいいかと」

「え……?」

「アル様! それはさすがに……」

「ええっと……どういう意味でしょうか?」

 クレマチスが途端におろおろと年相応の顔をするのに対して、アルはポーカーフェイスのままだ。

「別にリナリア様に還俗しろと言ってはいない。ただ、神官たちでもわからないのであったら、せめて象徴の力を研究している学者に見せた方がいいと思うだけだ」

 アルのひと言に、私はピンと来る。

 攻略対象の内、神殿にいて会えるのはアルとクレマチスだけだ。

 残りは神殿の外にいる。最後のひとりは猶予の一年以内に会うのはまず無理だけれど、残りのふたりは神殿の外に出れば会えると思う。それに象徴の力の研究者といえば、私はそのひとりを知っている。

「ぜひとも、外に行きたいです……このままじゃ、世界浄化の旅には出られないのでしょう?」

「……リナリア様までぇ……ですが、この件はお待ちください。神官長に許可をいただかなければいけませんし、いったい何日でその許可が降りるかはぼくもわかりませんから」

「ごめんなさい、クレマチス」

「……はい、いいんですよ。リナリア様が記憶を失ってもなお、使命に燃えているのを見られたら、ぼくは充分なんですから」

 そうすねたことを言うクレマチスに、私は思わず笑ってしまった。本当にこの子可愛いなあ。

 でも……いつ外に出られるかはわからないけれど、これで象徴の力を覚えられるめどは立てた。私もいろいろ考えないと駄目だなあ。

 一年の内に、それぞれの地雷を解体する準備をしないといけない。


****


 クレマチスは「それじゃあ、神官長に外出の許可をいただいてまいりますね……」と、涙目で去って行った。

 うん、ごめんね。あとでいっぱいお礼しないと駄目だな。おどおどしているクレチマスは、スパルタ教育の神官長が苦手だから。

 私はアルと一緒に図書館に赴いていた。アルは怪訝な顔で私を見ている。

「いったい図書館でなにを?」

「……全然覚えていませんから、この世界のことをいちから勉強しようと思いまして」

「……リナリア様がそんなに勉強熱心だったとは、俺の記憶にもありません」

 そうボソリとした口調でつぶやくアルに、私の胸はチクリと痛む。

 なんというか。周りには「記憶喪失になりました」という無茶なことをどうにかして信じさせたけれど、彼だけはそれを信じてないような気がする。

 幼馴染のせいで、リナリアは本来はアルにだけは敬語を使っていないし、他の前ではリナリアに対して敬語を使う彼も、ふたりのときは敬語は使わないし、リナリアだって愛称で呼ぶのだ。

 私だって記憶喪失って設定だからアルに対しても敬語のままだけれど、アルも敬語のままなのは、なんとなく寂しい。疑っているんじゃないかな。

 でも「どうして私に対して敬語なの?」なんて、聞けるわけもないから、私から話を振るわけにもいかない。なんとはなしに感じる寂しさを無視して、私は資料にあれこれと手を伸ばしていた。

 歴史の本でも、あんまり文章が詰まりすぎている奴だと読み飛ばしてしまうから、できるだけ噛み砕いた言葉で書いてあるものを選び、次に地図を取り出す。

 さっきクレチマスが見せてくれたような嘆願書のまとめと照らし合わせながら、私は頭の中でカチカチとパズルをはじめていた。

 乙女ゲームっていうと、大概は「恋愛していればいいんでしょう?」と言われがちだけれど、ほとんどのゲームは、別名「カウンセリングゲーム」だ。

 というのも、乙女ゲームで攻略対象に選ばれた人のほとんどは、深層心理レベルで悩みを抱えていて、物語を追っていくごとに、それが表に出て話に波紋を呼ぶってつくりだ。

『円環のリナリア』も例外ではなく、誰かのルートに入るイコール誰かの地雷を踏み抜いてラスボス化っていう形を取っているのだ。

 見ている限り、クレマチスは今は彼の地雷になる相手が現れていないから、おっとりしている優等生のままだし、アルも彼の地雷を踏み抜く相手が未だに現れていないから、普通のやや無骨な騎士のままだ。その辺りは表に出てないのにほじくり返すわけにもいかないから放置しているけれど。

 私は歴史書を見ながら、一年猶予があるんじゃっていう自分の計算が合っているかを確認してから、地図をめくる。神殿の周りは森で覆われていて、それを過ぎた先には神聖都市カサブランカがある。そこまでで既に馬車で三日かかるし、さらにカサブランカを出て道をとおっていったら、学問の町ウィンターベリーに着く。そこまでで馬車で四日。でも……。穢れに襲撃される場合だってある。歩きだったら全部で倍かかるって考えないとなあ。

 私が地図を読んで計算をしているのに、アルは怪訝な色を浮かべている。……うん、そりゃそうだよね。多分リナリアだって、地図を見ながら眉をひそめるような真似はしていなかったと思う。

 でも、ウィンターベリーで一番わかりやすい地雷を撤去する術がある。それで攻略対象のひとりの闇落ちを完全に防ぐことができるとは思うけれど、問題は。

 タイミングが合わなかったら、完全に泥沼になるっていうことだ。

 リナリアには予知や予言の力はないんだから、それをどう伝えればいいのか、わからないんだけど。私は日数を計算してから、地図や歴史書を本棚に片付けた。

 まずはクレマチスが、神官長の許可を取ってくれることが第一だもんね。

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