はじまるための嘘と神殿
「リナリア様、どうなさいましたか……!?」
「ひっ、ひい……っ!」
私は身を縮こまらせる。
落ち着け落ち着けと思っても、いったいどう説明すればいいの。
いくら見た目がリナリアになっているとは言っても、いきなり巫女に成り代わりましたなんて、どうやって説明するの。そもそもリナリアだって、何回も何回も周回プレイしていたなんて、説明できなかっただろうし。
私は気を鎮めようとひとまず爪を噛んで考える。
いきなり人がそのまんま立場が変わったなんて本当のことを言っても、説明なんてできない。そもそも、今はいったいいつなんだろう?
今の私はゲーム内でさんざん使っていた象徴の力すら使えないし、世界浄化の旅で【穢れ】と戦えと言われても、まず無理だ。
リナリアも私がゲームユーザーで周回プレイしていたことは知っていても、象徴の力すら使えないってことも織り込み済みじゃなかったら、わざわざ私に自分の立場を全部渡すなんて真似、できないと思う。……そもそも世界浄化の旅に行かないとこの世界が滅びることは確定なんだし。
……そう考えたら、ゲーム本編開始の、神託は、まだ起こっていない……?
私が黙り込んで考え込んでいる間も、向こうのほうで心配そうな声が響いている。
「リナリア様、入ってもよろしいですか?」
その声を聞いて、私は覚悟を決める。なにも答えないでいると、気を遣った硬い声で、その人はドアを開けてきた。
「失礼します……リナリア様……どうなさいましたか?」
「あ……」
思わずその人を凝視してしまう。
青い髪なんてのは、パステルピンク以上にお目にかからない色の髪だ。その髪を短く刈り上げ、凛とした目をしている。そして白い甲冑。青いマント。
『円環のリナリア』のパッケージを飾るひとりの、アルストロメリア・フォン・リンネ。あまりにも長い名前なため、リナリアからも他の攻略対象たちからも「アル」と呼ばれている。神殿騎士であり、世界浄化の旅にも護衛として同行する人だ。
本来はリナリアが神殿に入った幼少期から神殿騎士見習いとして神殿を守る騎士団に入っている、幼馴染の間柄だから、互いが唯一ため口で話す相手なのだけれど……。
イチかバチか、だ。
私は口から全然違う言葉を出した。
「……あなたは、誰ですか?」
「……リナリア様?」
端正な顔が曇るのを見るのは胸が痛むけれど。
とにかくリナリアになりきるためには、情報が欲しい。残念ながらリナリアは私に立場なり力なり役割なりを譲渡してくれたけれど、肝心のこの世界の情報についてはなにひとつよこしてはくれなかったんだから。……言葉が通じているのは、ありがたいんだけれど。これで言葉が通じないだったら、既に詰んでいた。
「あ、あの……私はリナリアって名前なんですか?」
我ながら白々しいとは思うものの、とにかくとぼけなければいけなかった。
アルはみるみる顔をこわばらせていくのを見ながら、私は追い打ちをかける。
「ここはいったいどこですか? 目を覚ましたらここにいましたので、いったいなにがなんだかわからないんです……」
「……誰か、すぐに神官長を……!!」
アルは大声で部屋の外に声をかけ、いきなり膝を折ってしまった。
……って、ええ? これって、かしずかれてしまってる?
本来、巫女が騎士にかしずかれている構図なんていうのは絵になるもののはずなんだけれど、中身が私じゃ、私はおろおろとしながら彼を見下ろすことしかできない。
「あ、あの……?」
「……落ち着いて聞いてください。リナリア様。自分はアルストロメリア・フォン・リンネ。……あなたの騎士です。巫女様」
それに私はどぎまぎする。同い年なんてうるさいし図体大きい子供ばっかりだし女の子に全然優しくない奴ばっかりだし。……こんな扱いなんて受けたことないもんなあ。
リナリアだったら、彼に対してなんと言うんだろう。……私はなんて言えばいいんだろう。
「……挨拶、ありがとうございます?」
疑問形のとぼけた言葉しか出てこなかった。
……ああん、乙女ゲームはさんざんやってたクセして、語彙が駄目駄目じゃないか。
****
呼ばれた神官長に、私はあれこれ診察されてしまった。
象徴の力により呪いでも受けてるんじゃないかと調べられたけれど、その気配はなし。まあ、当然だ。別に呪われてなんていないんだから。
「本当に自室で目が覚めるまでの記憶がないんですね?」
人のよさそうな白ローブのおじさんが私に尋ねる。
ゲーム中だったらセリフのみだったから、神官長がどんな人かなんて知らなかったから、あからさまに老輩な人が敬語を使ってくるのが妙に座り悪く感じる。
何度聞かれたって、記憶があるなしじゃなくって、この世界に今来たばかりだし、そもそも今がいつなのって話なんだけれど。私は何度も何度も頷いた。
「本当に……私はいったい、誰なんですか? 巫女だとアルさんがおっしゃっていましたが」
リナリアの言葉遣いってこれで大丈夫なのかな。
私と神官長の診察の間も向こうで立っているアルが険しい顔をしているのが忍びない。本当にごめんなさい。そう思いながら神官長を眺めていたら、彼は他の神官と話をしていた。
「……もしリナリア様が無理でしたら、他に巫女は?」
「無理です。十年以上修業した巫女は、今は神殿にはいません」
「なんということだ……世界浄化の猶予は、あと二年だというのに」
そう長い長い溜息をついた。
ん、二年? 途端に私は脳内でさんざん読み込んだ設定集の年表を思い浮かべる。
たしか、ゲーム開始時に神託を受けて、世界浄化の旅に出る。そこから一年かけて旅の終焉の地である闇の祭壇に到達。そこの崩壊をもって旅は終了する。
……つまり、私の猶予は一年。一年以内に象徴の力の使い方をマスターしつつ、攻略対象の闇落ちフラグをへし折って回れば……攻略対象の闇落ちは防げるって訳か。
リナリアがどうして本編開始一年前に私を放り込んだのかは、なんとなく読めたとは言えど。それができるかできないか、だよね。私は神官長に言う。
「……いけません。まだ修業を終えていない巫女見習いを私の代理に立てることは」
「リナリア様?」
途端に回りの視線がどっと私に集まる。
……リナリアはまだ十七歳の女の子で、周りは皆大人ばっかりだ。正直私だってかしずかれたり敬語使われたりするのには慣れてないんだけれど……。一年もあったら、できることもたくさんあると思う。
そもそも、神殿に入れられた巫女見習いのほとんどは、孤児だったり後継者争いを防ぐために出家させられた子たちばかりだったはずだ。その子たちに修業もほとんど付けられてないのに、我が身可愛さに世界のために死ねなんて言えるほど、私だって非道になんてなれない。
「一年もあれば記憶は戻ります。いえ、戻してみせます。私に巫女としての役割と力を、知識を教えてくださいませんか?」
現実でだったら、保身に走らないと生きていけないけれど。異世界でくらいいいじゃないか。ヒロイックに生きたいと思ったって。
私がすらすらと述べた言葉に、周りはしばし唖然としたものの、やがて。
小さな拍手が響いた。それは神官たちと共にいた、小柄な少年からだった。
あの子は、たしかクレマチス・アーティス。まだ十五歳だけれど神官見習いとして神官昇格試験目前だと言われている才能の塊で……あの子もまた『リナリア』の攻略対象だ。金色の髪を揺らして、まだサイズの合わない神官服を纏ってこちらに笑っている。
「それでこそ、リナリア様です。神官長、あの……ぼくにリナリア様の教育を命じてくださいませんか? なにも思い出せないのでしたら、まずは神殿の案内からはじめないといけませんし……それに名前を忘れていらしたということは、彼女は象徴の力の使い方を忘れてらっしゃる可能性があります」
「なんと……彼女には呪いの形跡はないものの、象徴の力を忘れているなんてことは、致命的だ……わかった。クレマチス、リナリア様にぜひとも教育を」
おたついたしゃべり方をしているものの、さすがは天才。まさかあっさりと象徴の力の使い方を覚えるめどが立つなんて思いもしなかった。
クレマチスの言葉に、神官長は顔をしかめる。
「……なんということだ。呪いを受けた形跡も、頭を打った形跡もないというのに。リナリア様は相当のストレスを受けて、自身の力まで忘れてしまわれるとは。……わかった。クレマチス、リナリア様にぜひとも象徴の力を教えてあげなさい」
「ありがとうございます」
途端にクレマチスはパァーッと笑うと、私の方に寄ってくる。まだ成長期に入ってないせいで、攻略対象で唯一リナリアよりも身長が低い。
「はじめまして、リナリア様。ぼくはクレマチス・アーティスと言います。いきなりいろんな事を言われて困惑してらっしゃるでしょう? ひとつずつ説明しますから、ゆっくり思い出していきましょう。それでは、神殿内を案内致しますね。アル様、一緒に参りましょう!」
「……ああ」
こうして、私は護衛のアルを連れて、クレマチスに神殿内を案内されることになった。
神託を受けるっていう神殿の奥に存在する聖堂。神殿にたびたびやってくる信者さんに神官や巫女たちが話をする礼拝堂。神官や巫女が修業をする祈りの場。
全部ゲームでぐるっと見て回った場所だけれど、こうして案内されると不思議な気分になってくる。神殿騎士たちの鍛錬場は、さすがに神官や巫女の立入は禁止されているらしかった。神官たちが管理している歴代の巫女が受けた神託は、すべて記録されて図書館に収められている。これは各地の言い伝えも勉強できるらしいから、あとで見せてもらおう。この世界の文字が読めなかったら、それはそれで困るなあと思いつつ。
クレマチスに案内してもらっていたら、まだ巫女見習いの女の子たちが修業の一環として神殿を掃除して回っているのにぺこっと頭を下げた瞬間、女の子たちが一斉に頭を下げて、私たちがとおり過ぎた瞬間キャーキャーと華やいだ声が響くのに、私は閉口する。これって、アルやクレマチスを連れていたから叫ばれているんだろうか。それともリナリアの影響力のせいなんだろうか。
さんざん見て回ってから、私たちは中庭に座った。中庭には初代巫女の象徴の花とされる真っ白な百合が咲いているのが見える。
「それでは、あれこれ見て回りましたが、なにか質問はありますか?」
「ええっと……」
クレマチスはとんっと庭に座り、私もそれにならって座る。アルは私たちから離れた場所で、腕を組みながら立っている。神殿内でも護衛って付けないと駄目なんだなあと思いつつ。
ゲーム内だったら、世界浄化の旅に出るまではずっと神殿内にいるけれど、神殿内を見て回った限り、世界がもうすぐ滅びるっていう雰囲気が見当たらない。庭も誰かの象徴の力のせいか管理が行き届いているみたいだし、ここを訪れている信者さんたちも特に大変そうな印象はない。
「……世界って、本当に滅びかけているんですよね?」
さんざん考えた末に、その疑問が私の喉をついて出た途端、その場は凍り付いたような気がした。やばい、さすがに考えなし過ぎた!? 私は必死でその場を取り繕うように言葉を足す。
「私が見た人たちは困っているようには、見えなかったもので……神官長様も二年以内に世界がとはおっしゃっていましたが、わからなかったもので、その……」
「……リナリア様、ここにいたのがぼくたちだけじゃなかったら、大変なことをおっしゃっていたんですよ?」
クレマチスはそう溜息混じりに言うと、そっとアルの方に視線をよこす。アルは一瞬険しい顔をしてみせたものの、すぐにポーカーフェイスに戻ってしまった。
その顔を見てから、クレマチスは言葉を続ける。
「そうですね、神殿内だけでしたらわからないかもしれませんが、情報を見せますね。これは神官長様にも内緒ですよ?」
クレマチスはそう言いながら、彼がずっと持ち歩いている聖書を取り出した。その聖書の間に挟まっていたのは、映像だった。
「これは、各地から届いている嘆願書です。象徴の力で一部のものは具現化されています」
映像を展開され……私はそれを見て言葉を失った。
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