第9話 白粉彫り

東の低い空に明けの明星が夜の名残を留める時刻、久我は駅近くのコーヒースタンドに居た。

目の下のクマとシワが寝不足を物語り、顎を撫でる掌にザリザリとした髭が痛い。

ブラックコーヒーと煙草で頭をシャキッと整え、今まで分かったことを険しい顔で自問自答しながら手帳へと整理していく。


矢立カオルが初めてこの刺青殺人の舞台に登場したのは久我が走ってくるカオルを公園から追いかけた時だ。

何をそんなに焦っていたのか。

それは恐らく、あの凄惨な殺人現場を見たからに違いない。

目撃したのは偶然か?

いや、偶然ではでは無い筈だ。

それはそこで何らかの絵画の売買が行われる事をカオルは知っていたからだ。買うのは殺された鹿島興業の舎弟。売ろうとしていたのはそのブローカー。

それは秘密の取引だったに違いない。そしてそれを自分の手柄にしようとカオルは画策していた。

それは何故か。

鹿島への手土産だ。

それを手土産に破門されかけていたカオルは鹿島に許しを乞おうとしていた。

久我が知り得た情報を元に推理できたのはここまでだった。

これでは撫川の疑いを決定的に晴らすものではない。もっと踏み込んだ何かが足りない。

頭を掻き毟りながら、久我はもう一度、鹿島周吾と言う男に会わねばと考えていた。舎弟が会うはずだった絵画のブローカーとヤクザとの関係。そして撫川自身の事も。

しかしあの時はマル暴の後藤が一緒に居た。久我が単独で行ってはたして何か聞き出せるだろうか。不安はあったが行かねばなるまいと久我が覚悟を決めて立ち上がった時だった。背後の二人連れの話が久我の耳に入った。


「ありゃあ、いい女だっなあ〜。裸に剥いてみたらよ、背中にきれーな弁天様がよぉ、後光にこう包まれてだなぁ」

「女の肌に入った刺青は化粧彫りって言うんだろう?そんなら俺も一度は拝みたいモンだな」

「いやあ、違う違う化粧彫りってのはよ、ナニして身体が熱ってくるとよ、肌にパーっと刺青が浮き上がってくんだよ。まあ、白粉彫りとも言うらしいがよ、そんなのは都市伝説ってやつさ。実際、そんなの見た奴もいなけりゃ、彫ったという奴もいねえんだ」

「なんだ、居ねえのか。みんなホントの事みたいに言いやがって」

「夢だよ、夢。男のロマンだ。そんな女が居たらそりゃあ、男なら一度は抱いてみたいやね!」


ーーー白粉彫りか。

優美な背中に一面に咲く。それはきっとさぞや艶やかな光景なのだろう。

そんな女が居たら自分も抱いて見たいものだ。

一面の赤い曼珠沙華の中、背中に美しい弁天様を頂いた女が肩越しに振り返る。するとその顔はあの撫川の顔になった。

久我はハッとして、そんな束の間の幻想に苦笑した。

…オレは疲れているのだ。



ガシャン!!


閑散とした街中に何かの激しく割れる音が響き渡った。

久我が鹿島興業の入り口に差し掛かった時だった。ビルの中からヤクザの若衆が扉をぶち破って中から道へと転がり出てきた。

飛び散ったガラスで強か切ったその顔からは血が滴りながら、素早く起き上がったヤクザは叫び声を上げながら、再びビルの中へと突っ込んでいく。


「くぉらっ!!舐めてんじゃねえぞ!!ゴマキー!!てめぇ!こましたる!!」


中を覗くと、後藤がヤクザの若衆数人相手に大立ち回りをしている所だった。

殴りかかるヤクザの拳もなんのその、骨太のガタイがボディアタックを決めていた。


「怪しく無いなら倉庫の中を見せやがれっ!お前ら三下に様はねえ!鹿島を呼んで来い!鹿島を!」


そう言うと後ろから取り付く若衆の顔面を後藤の頑強な後頭部が一撃し、若衆は鼻血を散らせて蹲る。するともう1人の男が後藤の顔面目掛けて拳を振り上げた。


「後藤さん?!」

「おう!久我か!手伝え!おごっ!」


ヤクザのパンチが後藤の顎を強打した。慌てた久我が両者の間に割って入った。


「何してんですか!ヤクザと喧嘩なんて!」


引き剥がした両者の鼻息は荒かった。


「このおっさん頭おかしいぞ!鎖で繋いどけや!この馬鹿が!!」

「んだとぉ?誰が馬鹿だ!倉庫見せろっつてるだけだろうが!」


小競り合いになりそうな後藤の身体を己の身体を張って諌めながら、久我が聞き返す。


「倉庫?何ですかその倉庫って」


そう言うと、よほど隠したいものでもあるのかわかりやすい反応を見せる若衆。


「何でもねえよ!首突っ込むなやにいちゃん!」

「このやろーまだそんなシラを」


再燃しそうな後藤を抑えながら久我が若衆に尋ねた。


「オレは鹿島周吾に会いに来たんだ、会わせてもらえるか?急を要してるんだ!」

「揃いも揃って何だテメェらは!オヤジは居ねえ!」

「何処にいるんだ!」

「刺青事件の事で本家に呼ばれてんだよ!だから留守の間に勝手は出来ねえっつってるのにこのタヌキが騒ぎ立てやがって!」

「誰がタヌキだ!この三下が!親分がいねぇ方が都合がいいじゃねえか!だから倉庫見せろってんだよ!」

「てめぇ、なめてんじゃねえぞ!」


掴み掛かろうとするヤクザを宥め、なおも暴れようとしていた後藤を必死に引き摺って久我はビルの外に出た。


「ヤクザ相手にいつもこんな事してんですかっ!」

「今日はたまたま成り行きって奴だ。お前さんだって令状なんか取ってる暇はないんだろう?」


後藤は既に、久我が啖呵を切っていることを知っているようだった。

久我は自分の車の助手席に取り敢えず後藤を詰め込んで自分は運転席に収まった。


「あー…頭いてぇな、たんこぶか?ボコボコ殴りやがって」


後藤の顔面にはあちこち血が滲んでいる。久我はティッシュを差し出しながらも早くその話が聞きたかった。


「後藤さん。その倉庫って一体、」

「まあ、慌てなさんな。ヤクザの資金源の話さ」

「資金源?シャブとか、ですか」

「古いな〜久我、鹿島周吾が凄いと言われるのは、資金源の目の付け所だよ。マネーロンダリングってのは知ってるよな?」

「…資金洗浄…?」

「そうだ。鹿島周吾は絵画のオークションで資金洗浄している。と言うことはだ…」


後藤は久我と目を合わせると意味ありげにニヤリと笑って頷いた。

そう、今朝からずっと久我の頭を悩ませていた言葉が綻びかけた。


「絵画の…ブローカー…っ!」

「そうだ。そいつが持ち込んだ絵が鹿島の倉庫にあるとしたら?」


あるとしたらどんな絵だ。

凄惨な殺人事件に関わるような絵とは何なんだ!

それは撫川を救えるネタのか?


その話を聞いた途端、久我は活気けっきに逸り闇雲に車の外に飛び出していた。


「あっ!コラっ待て久我!!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る